ムリシ・ラマーリョ

ブラジルのサッカー選手

ムリシ・ラマーリョ(Muricy Ramalho, 1955年11月30日 - )は、ブラジルサンパウロ州サンパウロ出身の元サッカー選手。サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダームリシ・ハマーリョと表記されることもある。

ムリシ・ラマーリョ
名前
ラテン文字 Muricy Ramalho
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1955-11-30) 1955年11月30日(69歳)
出身地 サンパウロ
選手情報
ポジション MF (AMF)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1973-1979 ブラジルの旗 サンパウロ 177 (26)
1979-1985 メキシコの旗 プエブラ 154 (48)
1984 ブラジルの旗 アメリカ-RJ (loan) 9 (0)
監督歴
1993 メキシコの旗 プエブラ
1994-1996 ブラジルの旗 サンパウロ (ユース)
1997 ブラジルの旗 グアラニ
1998 中華人民共和国の旗 上海申花
1998 ブラジルの旗 イトゥアーノ
1999 ブラジルの旗 ボタフォゴ-SP
2000 ブラジルの旗 ポルトゥゲーザ・サンチスタ
2001 ブラジルの旗 ナウチコ
2001 ブラジルの旗 サンタクルス
2002 ブラジルの旗 ナウチコ
2002 ブラジルの旗 フィゲイレンセ
2003 ブラジルの旗 インテルナシオナル
2004 ブラジルの旗 サンカエターノ
2004-2005 ブラジルの旗 インテルナシオナル
2006-2009 ブラジルの旗 サンパウロ
2009-2010 ブラジルの旗 パルメイラス
2010-2011 ブラジルの旗 フルミネンセ
2011-2013 ブラジルの旗 サントス
2013-2015 ブラジルの旗 サンパウロ
2016 ブラジルの旗 フラメンゴ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

選手経歴

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1970年代にサンパウロFCに在籍し、177試合出場して26得点した。当時サンパウロ州ではペレの後継者の一人として名が挙がっていた。1975年にはサンパウロ州選手権、1977年にはブラジル全国選手権で優勝した。1985年、膝の怪我により30歳で引退した。

指導者経歴

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クラブ

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メキシコのプエブラFCで監督としてデビュー。1993年にはテレ・サンターナーのアシスタントコーチになった。1994年にはサンパウロのBチームとともにコパCONMEBOLを制覇。このチームには後からブラジル代表となるロジェリオ・セニジュニーニョ・パウリスタデニウソンらがいた。同年にはAチームの指導を経験。1997年にはサンパウロのオフィシャル監督となったが数ヶ月で解雇された。

その後数クラブを渡り、2001年2002年クルーベ・ナウチコペルナンブーコ州選手権連覇を果たした。クラブの12年ぶりのタイトル獲得監督となり、再びメディアの前に現れた。翌年SCインテルナシオナルに指導の場を移し、同チームをリオグランデ・ド・スル州選手権王者へと導いた。2004年にはサンパウロ州のADサンカエターノへと渡り、クラブの初タイトルを獲得(サンパウロ州選手権)。翌年再びSCインテルナシオナルへ戻り、州選手権優勝を獲得した。これにより、5年連続で州選手権王者となった。その活躍によりサンパウロFCがムリシを招集し、9年ぶりに古巣復帰となった。サンパウロFCでは2006年2007年2008年とブラジル選手権3連覇を成し遂げた。

2009年8月、成績不振のため、サンパウロFC監督を解任、同月SEパルメイラスの監督に就任。

2010年7月、ブラジルサッカー連盟からドゥンガ監督の後任としてブラジル代表監督に指名された[1]が、フルミネンセがラマーリョの代表監督への転出を拒否した為、ラマーリョのブラジル代表監督就任は白紙撤回という形となった[2]

2014年9月25日、体調不良を訴えたため、サンパウロ市内のサン・ルイス病院に緊急入院したことを明かした[3]。2015年4月6日に胆石悪化による手術を理由にサンパウロFCの監督を辞任して以降は現場から離れた。

2015年12月、2016シーズンからCRフラメンゴで再び監督業に復帰することを発表した[4]。5月26日、健康状態が思わしくないことから監督を辞任[5]

タイトル

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監督時代

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サンパウロFC
上海緑地申花足球倶楽部
クルーベ・ナウチコ・カピバリベ
SCインテルナシオナル
ADサンカエターノ
フルミネンセFC
  • カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA:1回(2010)
サントスFC

脚注

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外部リンク

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