メアリー・エリザベス・リンジー・ヘズレットMary Elizabeth Linzee "May" Hezlet、1882年4月29日 - 1978年12月27日)は、英国のアマチュアゴルファー兼スポーツライター。「多分アイルランドで最も偉大な女子ゴルファー」と呼ばれている。

 メイ・ヘズレット 
May Hezlet
基本情報
名前 メイ・ヘズレット
生年月日 (1882-04-29) 1882年4月29日
没年月日 (1978-12-27) 1978年12月27日(96歳没)
経歴
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1907年の出版物から。

若年期

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リチャード・ジャクソン・ヘズレット中佐の娘としてジブラルタルで生まれた。姉妹のフローレンス、バイオレットとともにアイルランドで育ち、皆トップゴルファーになった。

ゴルフ成績

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アイリッシュ女子クローズ選手権

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1899年、ダウン県ニューキャッスルで行われたアイリッシュ女子アマチュアクローズ選手権(出場者資格・制限付き大会)でローナ・アデアを破って優勝し、最終的にはこの大会に5回優勝(このうちの1904年から1906年にかけては3連続優勝)する1勝目を記録した。メイが優勝したこの大会のうち2大会では妹のフローレンスが準優勝している[1]。5回優勝の記録は、その後ジャネット・ジャクソンが1913年から1925年にかけて6勝したことで破られた[2]

全英女子アマチュア

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1899年に全英女子アマチュア選手権に優勝したが、これは最年少記録で、今でも破られていない[1]。1902年の全英女子アマに再び優勝したが、1904年のロイヤルトルーンでは決勝でロッティー・ドッドに敗れた。3度目の全英女子アマ優勝は1907年で、5回目のアイリッシュ女子クローズ(ロイヤルポートラッシュゴルフクラブ)優勝は1908年だった。

ゴルフ本の執筆

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1904年には『Ladie's Golf』という本を出版し好評を博した。1907年には加筆を行って第2版を出版した[3]。1912年、ホラス・G・ハッチンソンの著書『The New Book of Golf』に寄稿を行った[4]

家族

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1909年、牧師であるアーサー・エドウィン・ロスと結婚した[5]。弟のチャールズ・ヘズレットは1914年の全英アマチュア選手権で2位入賞し、ウォーカーカップにも出場した。また、アイルランド内のいくつかのアマチュア大会にも優勝している。

死と遺産

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1978年12月27日にケントサンドウィッチで死去。1999年にアイリッシュタイムズはメイ・ヘズレットについて、多分アイルランドで最も偉大な女子ゴルファーであると評した[6]

脚注

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  1. ^ a b The King and His Navy & Army: On the Links. (1905). p. 258. https://books.google.com/books?id=4Kg_AQAAMAAJ&q=Florence+Hezlet&pg=PA258 14 April 2015閲覧。 
  2. ^ Smith, Colm (14 June 2004). “An extra special milestone for The Island ladies”. The Independent. https://www.independent.ie/sport/golf/an-extra-special-milestone-for-the-island-ladies-25910514.html 2 January 2020閲覧。 
  3. ^ May Hezlet (1907). Ladies' Golf. Hutchinson. https://books.google.com/books?id=gI4ZAAAAYAAJ 
  4. ^ Hutchinson, Horace G. (1912). The New Book of Golf. London, England: Longmans, Green & Co.. http://chestofbooks.com/sports/golf/New-Book-On-Golf/#.VTKLCJUtHIU 18 April 2015閲覧。 
  5. ^ “The Bishop of Tuam”. The Times: p. 14. (25 May 1923) 
  6. ^ “May Hezlet - the greatest ever”. The Irish Times. https://www.irishtimes.com/sport/may-hezlet-the-greatest-ever-1.232438 20 May 2018閲覧。