メジロボサツ日本競走馬。おもな勝鞍は1965年朝日杯3歳ステークス1966年第1回4歳牝馬特別函館記念など。1966年の優駿牝馬(オークス)2着。1965年啓衆社賞最優秀3歳牝馬受賞。

メジロボサツ
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1963年5月12日
死没 1991年1月5日
  (28歳没・旧29歳)
モンタヴァル
メジロクイン
母の父 シマタカ
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産者 富岡峰治
馬主 北野俊雄
調教師 大久保末吉東京
競走成績
生涯成績 18戦9勝
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なお、年齢表記については当時の表記(数え年)で表す。

略歴 編集

誕生秘話 編集

メジロボサツは、1963年5月12日に公営で4勝を挙げたメジロクインの初仔として誕生した。ところが、母メジロクインが難産がたたって出産後間もなく死亡してしまう。この不運が祟ったのか、メジロボサツは380キロそこそこの軽量馬として現役生活を送る事となった。さらに競走馬としてデビューする直前に父のモンタヴァルも急死している。

なお、馬名のボサツ菩薩が由来とされているが、この名前と誕生にまつわるエピソードが災いし走るお墓という縁起でも無い渾名を贈られる羽目となった。

競走馬時代 編集

1965年7月10日にデビュー戦を4着で落としたメジロボサツであったが、その後は快進撃。6連勝で挑む事となった朝日杯3歳ステークスは、タマシユウホウ(翌年弥生賞札幌記念を制する)、ヒロイサミ(翌年ラジオたんぱ賞セントライト記念を制する)、ハイアデス京成杯三歳ステークス勝ち。翌年七夕賞を制す)等の有力牡馬を相手に1番人気で快勝。この勝利が原動力となり、この年の最優秀3歳牝馬に選ばれる事となった。

こうして、1966年牝馬クラシック最有力候補と目されたメジロボサツであったが、肝心のレースは共に惜敗。桜花賞は、メジロボサツに勝るとも劣らぬ不運な境遇を背負ったワカクモの3着。オークスは、雨中決戦を利用した雨の古山こと古山良司騎手の大胆な逃げ戦法に屈し、優勝したヒロヨシから9馬身差の2着に終わった。

その後、メジロボサツはラストランとなる翌年5月13日のオープン戦まで5戦するが、函館記念以外は惨敗に終わっている。

引退後 編集

引退後も繁殖牝馬としてメジロゲッコウなどを輩出。メジロ牧場で最も発展した牝系のひとつであり、メジロドーベルもそのうちの一頭である。なお、何の因果か末裔のメジロドーベルも、メジロボサツと同じく血液型が不適合により実の母の乳を飲めなかった馬であった。また、メジロ牧場以外ではモーリスがいる(五代母)。

こうして、メジロ軍団の主軸牝系となったメジロボサツは、馬の養老院として知られるイーハトーヴ・オーシァンファームで29年の生涯を閉じた。

主な牝系図 編集

牝系図の主要な部分(太字はGI級競走優勝馬)は以下の通り。*は日本に輸入された馬。

  • Braxey 1849 --- F-No.10-d始祖
    • (6代省略)
      • *デヴォーニア 1925
        • 第七デヴオーニア 1939
          • コウゲン 1947
            • メジロクイン 1957
              • メジロボサツ 1969 ---↓(改行)

牝系図の出典:牝系検索α

---↓メジロボサツ系

同期の馬達 編集

血統表 編集

メジロボサツ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ブランドフォード系

*モンタヴァル
Montaval
1953 鹿毛
父の父
Norseman
1940 栗毛
Umidwar Blandford
Uganda
Tara Teddy
Jean Gow
父の母
Ballynash
1946 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Ballywellbroke Ballyferis
The Beggar

メジロクイン
1957 鹿毛
シマタカ
1944 鹿毛
*プリメロ
Primero
Blandford
Athasi
第参マンナ *シアンモア
マンナ
母の母
コウゲン
1947 鹿毛
ハクリユウ ラシデヤー
フロリスト
第七デヴオーニア *ステーツマン
*デヴオーニア
母系(F-No.) (FN:10-d) [§ 2]
5代内の近親交配 Blandford 4×5・5 [§ 3]
出典
  1. ^ [1]
  2. ^ [1]
  3. ^ [1]


同期・同父のナスノコトブキ・ニホンピローエース同様社台牧場由来の母系である。

出典・脚注 編集

  1. ^ a b c 血統情報:5代血統表|メジロボサツ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2016年10月30日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集