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歴史編集

考古学上の研究から、紀元前2世紀から紀元前1500年の間に人が定住していたことがわかっている。現在の都市の基礎ができたのは、ローマ人のガリア征服期であった。1世紀のガリア=ローマ人のヴィラの領域であったマトリニアクス(Matriniacus)は、現在あるロマネスク様式教会の場所を中心に存在した。そしてデヴェーズ川流域の小さな村落を巻き込んで次第に拡大していった。

キリスト教が伝来していたことは、現在も名残を残すサン=ヴァンサン教区教会が7世紀につくられたことで証明される。幾度も破壊と再建を繰り返し、現在のロマネスク様式教会は1231年に完成している。中世初期、マトリニアクスはメリナック(Mayrinac)と呼ばれており、12世紀にはアキテーヌ公国の摂政政のもとでイングランド王国の支配下にあった。1453年のカスティヨンの戦いでフランスが勝利するまで、この地はイングランド領であった。

イングランド人たちの手で発展したワイン用ブドウ栽培は、やがて小さな村々の主要経済活動となった。

1939年、ヴィシー政権はア城(Château du Hâ)をスペイン内戦の避難民のための避難所とした[1]。1940年10月25日以降、ナチス・ドイツ占領下のフランス全土から、定住しない流浪者がこの城に集められ拘留された。多くのジプシーの家族が収容された[2]。1942年7月、ドイツ秘密警察は16歳から45歳までのユダヤ人収容者をア城に拘留しており、彼らのうち459人は同じ年のうちにドランシー収容所へ送られた。

第二次世界大戦後、ア城は、裁判を待つナチス協力者の拘留所として使用された。1946年以降は不法滞在者(特にスペイン人)の拘留所となった。1948年に拘留所は閉鎖されたが、1956年についに壊されるまではホームレスの仮宿泊所となっていた。

姉妹都市編集

脚注編集

  1. ^ Archives Départementales de la Gironde
  2. ^ Emanuel FILHOL, « L´internement et la déportation de Tsiganes français sous l´Occupation : Mérignac- Poitiers-Sachsenhausen 1940-1945 », Revue d´histoire de la Shoah, no 170, 2000, p. 136-182.

外部リンク編集