メリルリンチ
メリルリンチ(Merrill Lynch & Co., Inc.)は、元米国三大投資銀行の一つで、国際的に幅広く展開をしていた金融機関。投資銀行業を始めとし、世界37カ国・地域に展開していた。現在ではバンク・オブ・アメリカに救済買収され、ウェルスマネジメント部門は引き続きメリルリンチとして、投資銀行部門はバンク・オブ・アメリカ・メリルリンチの名で営業している。
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
本社所在地 |
![]() ニューヨーク州ニューヨーク市、ブルックフィールド・プレイス |
設立 | 1973年(創業1914年) |
業種 | 証券、商品先物取引業 |
事業内容 |
銀行業 資産管理 保険 投資銀行 |
代表者 | ジョン・A・セイン(会長兼CEO) |
資本金 |
271億6300万ドル (2007年12月28日現在) |
売上高 |
626億7500万ドル (2007年12月28日終了事業年度) |
総資産 |
1兆0200億5000万ドル (2007年12月28日現在) |
従業員数 | 約64,200名(2007年12月28日現在) |
決算期 | 12月の最終金曜日 |
主要株主 |
テマセク・ホールディングス(プライベート)リミテッド及びその特定の子会社 9.02% ステート・ストリート・バンク・アンド・トラスト・カンパニー 7.81% アクサ及びアクサ・ファイナンシャル・インクを含む特定の関連企業 5.48% |
外部リンク | www.ml.com(英語) |

歴史編集
1914年1月6日に、チャールズ・E・メリルによって「Charles E. Merrill & Co.」が設立され、ニューヨークのウォール街で営業を開始した。
数ヵ月後に、メリルの友人のエドモンド・C・リンチが営業に参加し、1915年に会社名が「メリルリンチ」となった。また、しばらくして新たにウィンスロップ・H・スミスも営業に参加した。
その後、仲介業ネットワークの営業方式で、メリルリンチは徐々に有名となり、1971年に株式を公開し、多国籍企業となる。プライムブローカー業務では世界一[何の?]である。1978年に同族経営のWhite Weld & Co. を買収。
1972年6月に、東京にメリルリンチ証券会社東京支店が設立され、外国証券会社の証券業の免許を取得した。1998年には旧山一證券の営業網の大半を引き継ぐ形でメリルリンチ日本証券(現在のBofA証券)を設立、M&A業務、プライムブローカー業務、トレーディング業務で収益を上げ、2006年5月には三菱東京UFJ銀行、三菱UFJ証券と合弁で、三菱UFJメリルリンチPB証券を設立したが、2012年末に合弁を解消し同社を三菱UFJグループに売却した(三菱UFJモルガン・スタンレーPB証券を経て三菱UFJモルガン・スタンレー証券に統合)。
2007年のサブプライムショックで巨額の損失を計上し、赤字に転落。その後、スタンレー・オニール会長兼CEOが同年10月に引責辞任し、NYSEユーロネクストのCEOを務めたジョン・セインが同年12月1日付けで新たな会長兼CEOに就任した。
2008年9月15日、事実上破綻したためバンク・オブ・アメリカに1株29ドル、総額500億ドルで救済買収されると発表。2009年1月1日、バンク・オブ・アメリカによる買収が完了し、社名をバンクオブアメリカ・メリルリンチに変更した。
2018年10月9日、日本のメリルリンチ証券が、AM7時31-32分の間に東証に対し取引開始前の試験通信で通常の千倍以上のデータを誤送信し、東証の4つの回線のうち1つの回線をダウンさせ、国内の複数の証券会社を長時間取引停止に追い込んだ。
2019年2月25日、バンク・オブ・アメリカは投資銀行事業からメリルリンチの名を外してバンク・オブ・アメリカ・セキュリティーズとする事、またメリルの名はウェルスマネジメント(富裕層向け資産運用)事業で残す事を発表した[1]。
主要なオフィス編集
証券会社編集
アメリカ本国では、従来型の店頭や電話での証券サービスを提供する「メリルリンチ」と、ネットを中心にセルフサービスを主体とする「メリルエッジ(Merrill Edge)」の二つのブランドを対象顧客によって使い分けている。
日本ではBofA証券の名で、証券会社を経営している。かつて[いつ?]はリテール部門・ホールセール部門を擁する総合証券会社だったが、リテール部門は三菱UFJメリルリンチPB証券への分割→売却により撤退しているため、現在はホールセール専業となっている。
脚注編集
- ^ “米銀BofA:投資銀行事業から「メリルリンチ」のブランド外す”. ブルームバーグ. (2019年2月26日) 2019年2月26日閲覧。