メルセデス・ベンツ・CLR

メルセデス・ベンツ・CLRは、メルセデス・ベンツ1999年ル・マン24時間レース「ル・マン」GTプロトタイプ規定に沿って開発したスポーツカー

メルセデス・ベンツ・CLR
ニュルブルクリンクを走行するメルセデス・ベンツ・CLR(2009年)
ニュルブルクリンクを走行するメルセデス・ベンツ・CLR(2009年
カテゴリー 「ル・マン」GTプロトタイプ (LMGTP)
コンストラクター AMGメルセデス
主要諸元
シャシー カーボンファイバー アルミニウム ハニカム モノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン
ホイールベース 2,670 mm (105 in)
エンジン メルセデス・ベンツ GT 108 C 5,721 cc (349.1 cu in) V8 自然吸気 ミッドシップ
トランスミッション 6速 シーケンシャル・マニュアル
重量 921 kg (2,030 lb)
燃料 モービル ハイパフォーマンス 5.75% バイオ燃料
タイヤ ブリヂストン
主要成績
チーム ドイツの旗 AMGメルセデス
ドライバー
初戦 1999年のル・マン24時間レース
最終戦 1999
出走優勝ポールFラップ
1000
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極限まで低められたボディだが、写真からもサスペンションストロークが非常に短いのが判る

概要編集

1998年、メルセデスは、CLK-GTRの発展型であるCLK-LM二台でワークスチームとしてル・マンに出場するが、トラブルによりレース開始後2時間ほどで二台共にリタイアと惨敗を喫してしまう。そして1999年、CLK-LMをさらに発展させたマシンとしてCLRは開発された。AMGのV8・NAエンジンを搭載し、ボディはCLK-LM譲りのロングテールや市販車を連想させるメッキグリルなどの特徴を残しつつ、空力を徹底的に重視して限界まで低く設計された。ル・マンには3台が投入された。

当初より「ル・マン」GTプロトタイプとして企図されているため、グループGT1のグランドツーリング・スポーツカーであったCLK-GTRおよびLMとは異なり、ホモロゲーション取得目的の乗用車は製造されていない。

欠陥と事故編集

(サーキット内のコーナー・ストレート名などはサルト・サーキットを参照)

ル・マンに持ち込まれたCLRは、その強烈な印象と洗練されたスタイルにより優勝候補の一角として期待されることとなった。しかし、予備予選では関節部の強度不足が原因でサスペンションが破損するアクシデントが起こり、予選2日目にはマーク・ウェバーが搭乗する4号車がミュルサンヌとインディアナポリスの間で突如フロントから浮き上がり離陸するという事故が起こる。離陸し宙に舞い上がった4号車は後向きに回転しながら後部からアスファルト路面に叩きつけられた。幸いにもウェバーは無事だったが、CLRは信頼性に疑問を持たれることとなった。

CLRは修復され、決勝日朝のウォームアップに臨んだ。しかしダウンフォースを増すよう改良を施したにも関わらず、またも4号車がミュルサンヌ手前で舞い上がった。回転しながら屋根から仰向けに路面に叩き付けられたマシンは大破し、修復不可能となった。この二度目の事故でウェバーは膝を負傷、そのまま決勝出走を断念することとなった。それでもメルセデスは残る2台を決勝に出走させることを決め、フロントに更なる離陸対策として左右に2枚のカナードを装備した。しかし、付け焼刃の対策で解消できる問題ではなかったことを実証する三度目のアクシデントがメルセデスチームを襲ってしまう。

決勝レースの76周目、ユノディエールと並んでコースの中でも最高速が出るエリアでもあるインディアナポリスのコーナー手前の直線区間で、トヨタのTS020を追っていた3位走行中の5号車が、4号車と同じように舞い上がり、空中で回転しながらコース脇の林に落下した。5号車の事故現場は緩やかな凸形状をしており、その坂頂点を越えたあたりで、通常は車体上部を通過しダウンフォースを生み出すはずの気流が一気に車体底部へ流れ込んだため起こった。これには、すぐ前を走っていたTS020のスリップストリーム、もしくは乱気流の影響が少なからずあったとみられる。現場付近にはコースを跨ぐ形で設置されていたブリヂストンの看板のポールが建っていたが、これに衝突せずに済んだこと、また落下地点が林を広範囲に渡って伐採した跡だったため立ち木に衝突せずに済んだこと、さらに仰向けに落下しなかったことは不幸中の幸いだった。この事故直後にメルセデスは残る6号車を呼び戻し、レースを棄権した。なお、ドライバーのピーター・ダンブレックは軽傷を負ったのみだった。

そしてこの後、メルセデスのチーム監督ノルベルト・ハウグは予選、フリー走行、そして決勝の事故によって大方の原因は見当がついていたため、決勝レースへの出走を強行したことに対して各方面から批判の矢面に立たされる。

この事故の様子はTV中継などを介して世界中に配信され、大きな衝撃を与えた。この事故は、市販車であるAクラスMクラスにおける欠陥や品質の問題と並んで、メルセデスのブランドイメージの低下に拍車をかけた。また、FIAは事故調査の結果、原因は複合的なものであるという結論を出したが、マシンの設計に根本的な問題があることは明らかであった。また、このときテレビ朝日の中継で解説を務めたカーデザイナーの由良拓也は、レース中にメルセデスCLRが異常なピッチング(小刻みな上下振動)を見せることを指摘していた。

メルセデスCLRはトップスピードを重視して、空気抵抗を減らすため極限まで低められたボディを持つが、そのため十分なサスペンションストロークが取れなかった上に、前後のオーバーハングが極端に長かったためにフロントのダウンフォースが大きめになっていた。これに対応するためフロントサスは固く設定され、一方のリアはトラクション確保のために柔らかく設定されていたことからピッチングが起きやすくなっており、数度程度鼻先が持ち上がった状態から一気に離陸してしまった[1]

また、最初のアクシデントが発生した後からベルント・シュナイダーがフロント側のダウンフォース不足から来る乗り心地やコントロール性の悪さを指摘していた他、その後からドライバーが続々フロントのダウンフォース不足を指摘していた。さらにレース中外部から見てもわかる程の激しいピッチングからポーポイズ現象を起こし、その上マシンのスリップストリームに入ったためにマシンのフロント側のダウンフォースが急激に減少、さらにリアウイングによる車体後部に掛かったダウンフォースによってバランスが崩れ(二度目のアクシデントはブレーキングによるマシンの挙動不安定という要素もあった)、ノーズ部分が持ち上がったマシン下部に大量の空気が押し込まれたために発生したということが、事故後にメルセデス・ベンツが独自に立ち上げた調査チームとル・マン24時間レースの主催者であるフランス西部自動車クラブ(ACO)、更にこの事故の重大さを受けた国際自動車連盟(FIA)によって最終的に突き止められた。

また、激しいピッチングの原因は、それまでのCLK-GTRCLK-LMでは装備されていたサスペンションのピッチングを抑制する「サードダンパー」が取り付けられていなかったことであった。ダウンフォースよりもトップスピードを極端に重視してフロントノーズを薄く低く設計したためにサードダンパーの取付スペースが確保できなくなって搭載を諦めたが、その結果フロントノーズ形状およびサスペンション特性から当然発生し得るピッチングを抑制する手段を失ってしまった、という明らかな構造上・設計上の欠陥であった。さらに、空力については本来ならAMGのムービングベルト式風洞を使用して走行状態における空力を解析するはずであったが、開発スケジュールの遅れ等諸事情によって風洞が使用できなかったため、やむなくシュトゥットガルト大学にあったムービングベルト無しの風洞を借りてスケールモデルを用いた風洞実験のみ行なわざるを得なくなり、走行状態におけるダウンフォースの解析を煮詰めることができていなかったという準備不足も明らかとなった。

ちなみに、二度目のアクシデント後にノルベルト・ハウグは各ドライバーに「スリップストリームに絶対に入るな」と指示をしているが、一部公道コースを使用していて道路幅が狭く、かつ数多くの車両が同時に走行しているル・マン24時間レースにおいて、この指示を遵守するのは事実上不可能であった。

事故の余波とその後編集

事故後、メルセデス・ベンツはル・マン24時間レースから撤退、2020年現在においても復帰していない。サルト・サーキットも事故が二度にわたって発生したミュルサンヌコーナー手前の丘を高さ8 m程の高さに削り、勾配を抑制する等の対策工事を行うこととなった[2]。また、「ル・マン」プロトタイプではタイヤハウス上部に開口部を設けるレギュレーションが新設された。

1998年型ポルシェ・911 GT1も、前年秋のALMS"プチ・ル・マン"開幕戦のロード・アトランタで、ヤニック・ダルマスの駆るマシンがフロント部分から浮上し宙を舞う事態に見舞われている[2]。これらの事象によって、レーシングカーのエアロダイナミクスを見直す動きが活発化し、レギュレーションの改定が行われた。これらの改善が図られたにも関わらず、2000年の"プチ・ル・マン"では今度はウィリアムズが開発したBMWのワークスマシンが宙を舞う事態が起きている。その後FIA 世界耐久選手権2018年開幕戦のスパ・フランコルシャン6時間レースの決勝レースで、SMP RacingのプロトタイプマシンBR1-AERが突然「オー・ルージュ」出口の登り急勾配の右カーブで突然フロント部分から宙に舞い上がりマシン後部からコース上に落下、コントロールを失ってタイヤバリアに衝突するという、CLRの事故とほぼ同じ状況でのアクシデントが発生した。幸い、ドライバーのマテヴォス・イサアキャンは無傷だった。

なお、唯一宙を舞わなかった6号車がドイツのメルセデス・ベンツ・ミュージアムにて保管されていた。後にある自動車コレクターに売却され、時折イベントなどに姿を見せているが[2]、浮上事故を起こす危険を回避するため「絶対にレーシングスピードで走行させないこと」という条件の元に走行している。

関連項目編集

参照編集

  1. ^ 「夢を打ち砕いた「宙返り」 戦慄のクラッシュ、その後 」『Racing on』第22巻第3号、三栄書房、2007年3月、 41-42頁。
  2. ^ a b c Collins 2018, p. 49.

参考文献編集

  • 大谷, 達也「メルセデスの新たなるル・マン制覇への挑戦」『Racing on Archives』第13巻、三栄書房、2018年、 38-45頁、 ISBN 9784779638183
  • Collins, Sam、見田豊(翻訳)「CLRはなぜ宙を舞ったか」『Racing on Archives』第13巻、三栄書房、2018年、 46-49頁、 ISBN 9784779638183

外部リンク編集