メルヒオール・バウアー

メルヒオール・バウアーMelchior Bauer1733年10月19日 - ?)は、18世紀のドイツの発明家で、「空中車」(Der Himmelswagen )を考案した人物。

経歴と発明 編集

1733年にザクセン=ゴータ=アルテンブルク公国(現テューリンゲン州アルテンブルクAltenburg )のレーニッチュ(Lenitzsch )で生まれる。父親は庭師で、バウアー自身も造園を学んだ。彼は信仰の厚いプロテスタントであり、自由な時間を聖書の講読に当てていた。そして飛行機械によって人間が飛行可能であることを、彼は宗教的な必然と捉えていた。

バウアーの「空中車」はモミ材、、真鍮線から成る28平方mの翼面と、人力で動かされる推進用の可動翼を持っていた。これは「揚力と推力を別々に発生させる」という固定翼の発想の先駆であった。バウアーは1763年(一般に固定翼の祖として知られるジョージ・ケイリーがそれを着想したのは1790年代以降であった)にはこの考えを文書にし、領主ロイス=グライツ侯ハインリヒ11世 (enに送っている。バウアーはこの文書で飛行機械の軍事利用についても言及している。

バウアーは七年戦争後にイギリスのジョージ3世へ、その後プロイセンフリードリヒ2世に自らの発明を売り込んだが成功しなかった。1767年には領主ハインリヒ11世に再び書状を出したが、功を奏しなかった。しかし領主への書状[1]は1921年にテューリンゲン州グライツ郡Greiz)の城の古文書中から発見され、それによりバウアーの存在が後世の人間に知られるところとなった。

発見された文書には図面も含まれており[2]、それを元にダルムシュタットの大学生チームが作った「空中車」のレプリカは20メートル以上の飛行に複数回成功している(1923年 - 1924年)。[3]

メルヒオール・バウアーは1770年にレーニッチュの住居を引き払ったことが分かっているが、その後の消息は不明である。

脚注・出典 編集

  1. ^ 脚注:シュトレール『航空発達物語(上)』では、発見されたのは最初(1763年)の方の書状だとしている。
  2. ^ ドイツ語版ウィキペディアの対応記事de:Melchior Bauerにはこの図版の画像あり。
  3. ^ 出典:シュトレール『航空発達物語(上)』

関連項目 編集

参考資料 編集

  • Die Flugzeughandschrift des Melchior Bauer von 1765. Eingeleitet und transkribiert von Dr. Werner Querfeld, Herausgeber: Greifenverlag Rudolstadt
  • Gerhard Wissmann: Abenteuer in Wind und Wolken - Die Geschichte des Segelfluges. transpress, Berlin 1988
  • Matthias Gründer: Die „Flugzeughandschrift“ von Melchior Bauer. In: Flieger Revue. 12/93
  • Buch der deutschen Fluggeschichte
  • Bauer, Melchior. In: Neue Dertsche Biograpie (NDB). Bd. 1, Berlin 1953, S.644.
  • Rolf Strehl: Der Himmel hat keine Grenzen ロルフ・シュトレール『航空発達物語(上)』白水社、1965年