モトクロス
モトクロス (Motocross、MX) は、モトクロス競技専用車である「モトクロッサー」を用いて、オフロードの周回路で順位を競うオートバイ競技の一つ。



概要 編集
一周あたり3km以下の、土の露出した短距離のオフロードコースを周回して競われるスプリントレース。コースは屋内外の丘陵や斜面を利用して造ったり、平坦な土地に土を盛って、起伏のある地形を人の手で造る。離陸から着陸まで5~10mもの巨大ジャンピングスポットも設けられており、跳ねたり飛んだりといった三次元的なアクションが多く、加えてレースの進行とともに路面コンディションが変化するため、複雑な要素を含んでいる。基本的には天候やコース状態の変化を考慮して、周回数より規定時間(例:モトクロス世界選手権では30分+2周)で争うよう定められている。
レースフォーマットの多くは2ヒート制で、それぞれの順位を合算して一番少ないライダーがイベント総合優勝という形式を取ることが多い。四輪の耐久レースのように異なるクラス同士の混走もあるが、路面の変化次第では軽量な少排気量クラスの方が有利になる場面もある。
30台~40台程度のバイクが横一列、もしくは予選順位に従って並び、スターティングゲートを使用して一斉に全車が走り出す、迫力あるスタートシーンも魅力の一つである。反面、後続車が次々に来ることや、起伏があって滑りやすく(=転倒しやすい)道幅も広いとは言えないダートコースであること、トップカテゴリの450ccクラスの場合は最高速は140km/h[1]、平均速度は60km/h[2]と非常に高速なことなどから、一度バランスを崩すと重傷・死亡に繋がりやすい危険なスポーツでもある。
本格的な大会に参加する場合のマシンは、公道装備を省き極限まで性能を高めたモトクロッサーを用いるが、草レースの場合は公道走行可能なトレールバイク等を認めている場合もある。手軽に始められる二輪オフロード競技の代表格で、熱狂的な愛好者が多く、世界各地で市民参加の草レースから公式レースまで様々なレベルで行われている。
日本国内では日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)が主催する全日本モトクロス選手権をはじめ各地方選手権や販売店やクラブが主催する草レースが開催されている。
また、都市部のスタジアム等に多量の土砂を運び込んでジャンピングスポットに工夫を凝らした特設コースを造り、ショー的要素を大きくしたスーパークロスも北米を中心に興業として多くのファンを集めている。
歴史 編集
発祥は1920年代から英国で行われていた「スクランブルレース(Scramble Racing/Scrambling)」というオフロードレースである[3]。「スクランブル」という名称は、レースの決定的瞬間でも用いられた言葉[4]であったが、由来としてはロードバイクを改造した、様々な形状のバイクが走っていたことに由来するという説が最も有力である[5]。スクランブルレース成立までの英国のオートバイ競技は、耐久テストを名目とした長距離トライアルのような競技が中心で、耐久性にまつわる得点・減点が存在するなどルールがやや複雑化していたが、スクランブルレースはルールを極端に簡素化し、シンプルに最速のライダーが勝者というルールにしたことで人気を高めた。ただし安全についての規則がほぼ存在せず、数十台のバイクが一斉に泥塗れになる様は当時狂っているようにも見られたという[6]。
バイクの種類が実質的にロードバイクしかなかった当時、スクランブラーは車体の基本構造がロードバイクをベースに大雑多な改造をしていた[5]ため、不整地走破性は現在のような最初からオフロード走行を想定して設計されたモトクロッサーと比べるべくもなく、コース自体も現在より起伏は控えめであった。
第二次世界大戦後、軍事用バイクで培われた技術が競技用オートバイの世界にも流入し、発展を促進した[6]。個人レベルから国際レベルまで一気に人気の高まりを見せ、マシンも進化。1947年に国別対抗戦のモトクロス・オブ・ネイションズが、1952年にモトクロス欧州選手権がそれぞれ誕生して競技として確立された[6]。
1957年に欧州選手権が発展して、FIMモトクロス世界選手権(MXGP)が誕生した。その後10年で二輪競技はエンデューロ、トライアル、トレイルランディングなどカテゴリの細分化が急速に進むこととなる[6]。
不整地走破性に特化したモトクロッサーが登場するようになるとスクランブラーは次第に廃れていき、1970年代には現代的なモトクロッサーへと置き換わっていった[6][7]。
北米では英国同様雨の多いカリフォルニアの人々によって持ち込まれ、プライベートでもオフロードバイクを好んだ、スティーブ・マックィーンが1971年にハスクバーナ・400クロスを駆って主演を務めた映画「ON ANY SUNDAY(邦題:栄光のライダー)」が公開され、一気に世間的な知名度を高めた[6]。その翌年の1972年にAMAモトクロス選手権、1974年により興行性を高めたAMAスーパークロスが誕生し、一つのカテゴリとして確立された。
本格的なモトクロッサーやエンデューロマシンが市販車として出回るようになると、これらを使ったモトクロスレースが盛んに行われるようになっていった。草レースレベルでは、しばしば公道走行が可能な市販のデュアルパーパスを流用したレースも行われるが、モトクロス専用車も多くのメーカーが正規販売を行っているため、これを購入してワンボックスカーなどのトランスポーターに積載・運搬して参加する愛好者も見られる。
日本での流行 編集
日本では第二次世界大戦後(戦後)に進駐軍によって国内にその原型が伝えられた。当時は駐留軍基地の施設内で開催され、米軍人の趣味や娯楽として行われていたが、日本人レーサーも出場していたという。
1959年(昭和34年)、第1回スクランブルレースが埼玉県朝霞市で開催。同年、第1回全日本モトクロスが大阪府信太山で開催された[8]。
現在レジェンドとされる、国内モータースポーツ黎明期の四輪レーシングドライバーやエンジニア(鈴木誠一、星野一義、長谷見昌弘、黒澤元治、都平健二、生沢徹、菅原義正、土屋春雄など)には、モトクロス出身あるいはモトクロスに慣れ親しんでいた者が多い。東名エンジンの母体となった城北ライダースはその代表例である。
1967年に全日本モトクロス選手権(JMX)が発足した[9]。
1970年代以降、日本の4大メーカー(ホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキ)が世界のモトクロスシーンに旋風を起こし、現在まで続いている。
1978年にスズキの渡辺明が日本人として唯一となる世界王者(125ccクラス)に輝いた。また同時期、鈴木都良夫がアプリリアのライダーとして世界選手権に参戦した。
2000年と2003年に、モトクロス・オブ・ネイションズで日本チームがそれぞれ過去最高の6位になった(2000年は高濱龍一郎/熱田孝高/成田亮、2003年は熱田孝高/成田亮/田中教世)。
高濱、成田、熱田、近年では富田俊樹、渡辺祐介など多数の日本人が世界選手権やAMA選手権にも参戦し、成田は2005年にAMAスーパークロスの250ccクラスで3位表彰台を獲得した[10]。
下田丈は10歳からアメリカで育ち、AMAスーパークロス、AMAモトクロス、AMAスーパーモトクロスの250ccクラスでイベント総合優勝を挙げる活躍を見せている。
他の競技との関連 編集
スーパークロスはモトクロッサーをほぼそのまま用いるため、モトクロスに最も近い競技である。違いはスーパークロスは天井開放型のスタジアムで行われ、道幅が狭い上にタイトコーナーが連続することも多い点にある。そのためスーパークロスの足回りは固めにセットされるのが基本となる[11]。また完全インドア(屋内)型のモトクロスとして「アリーナクロス」もあり、通常のモトクロスは「アウトドア」と呼んで区別される。
エンデューロもモトクロスによく似たマシンを用いるが、公道も走るため、モトクロッサーに公道用装備を取り付けたものようなものが用いられる。そのため外観の違いは保安部品やナンバープレート、キックスタンドが装着されている程度しかない。ただし中身は燃料タンクを大きめにしたり、ギア比をワイドにしたり、騒音規制対応マフラーを装着したりとそれなりの変更がされている[12]。そのためメーカーはモトクロッサーとは別にエンデューロバイクをラインナップに用意するのが一般的である。
公道用として市販されているオフロードバイクは、基本的に林道ツーリング向けのトレール車であり、形は良く似ていてもモトクロス競技車両とは別のマシンである。これらは競技車のような激しい走りに対する車体の耐久性を持っていないため、モトクロスコースを全力で走ると各部に致命的な損傷が起きるため十分な注意が必要である。
クロスカントリーのように公道/オフロード問わず走り抜けるものでは、専用設計のラリー仕様車が使われる。こちらは公道用の装備に加え、防風用のカウルが装着されたり、大型燃料タンクやコマ図用のマップホルダー、内部に非常用の水タンクを備えたりと、外観も機能もそれなりに異なる。
速度よりも確実な走破を目的としたトライアルでは、駆け上がったりジャンプして巨大な障害物をクリアしていくためにトリッキーな動作を必要とする。そのため専用の競技車両であるトライアラーは、モトクロッサーよりも更に簡素かつ軽量な作りとなっており、燃料タンクも極めて小さく3〜4リッター程度である。
モトクロッサーに舗装路向けのホイールとタイヤ(スリックタイヤなど)を履かせて、舗装路/不整地を織り交ぜたコースを走るスーパーモタード(スーパーモト)も、モトクロスに近い性質の競技である。特にアスファルトをドリフトで走るその過激なライディングスタイルに熱狂的なファンもいる。勿論スリックタイヤでダートを走破するのはタイヤ本来の用法ではないため、これを乗りこなす技術が競技の見所となっている。
脚注 編集
- ^ How Fast Can a Motocross Bike Go? Dirt Bike Average Speeds by CC RiskRacing 2023年9月18日閲覧
- ^ MXGP: TOO FAST, TOO FURIOUS? KTM BLOG 2023年9月18日閲覧
- ^ Motocross History Martin RACING TECHNOLOGY 2023年9月17日閲覧
- ^ Scrambleの原義は「素早く難しく動き、時には手を使ってよじ登る」
- ^ a b THE FASCINATING STORY OF SCRAMBLERS ピレリタイヤ公式サイト 2023年9月17日閲覧
- ^ a b c d e f A Brief History of the Scrambler Motorcycle RETURN OF THE CAFE RACERS 2023年9月17日閲覧
- ^ 1970年代末に発売されたスズキ・SP370は、こういったスクランブラー直系の最後の市販車となった
- ^ 『写楽』、小学館、1986年2月、74頁。
- ^ MFJ 60年の歩み MFJ公式サイト 2023年9月17日閲覧
- ^ 日本人にとって特別な2020年のAMAスーパークロスが完全再現されるゲーム「Monster Energy Supercross -The Official Videogame 4」 バイクブロス 2023年9月24日閲覧
- ^ スーパークロスとモトクロスの違いを学ぶレッドブル公式サイト 2023年9月19日閲覧
- ^ MOTOCROSS VS ENDURO: WHAT’S THE DIFFERENCE, AND WHICH ONE TO START Xtreme Moto 2023年9月19日閲覧
参考文献 編集
- 『ライダーのためのバイク用語辞典』(監修:加藤隆夫・CBSソニー出版)ISBN 4-7897-0040-2
関連項目 編集
- モトクロッサー
- オートバイ競技
- 国際モーターサイクリズム連盟
- 全日本モトクロス選手権
- AMAモトクロス
- スーパークロス
- フリースタイルモトクロス
- エンデューロレース
- トライアル (オートバイ)
- スーパーモタード
- ラリーレイド
- 城北ライダース
- エキサイトバイク(ファミリーコンピュータ用ゲームソフト) - 1984年に任天堂から発売されたレースゲーム。2000年に続編としてNINTENDO64用ソフト「エキサイトバイク64」が発売された。