モロタイ島県

インドネシア、北マルク州モロタイ島に位置する県

モロタイ島県(モロタイとうけん、インドネシア語: Kabupaten Pulau Morotaiインドネシア北マルク州モロタイ島を中心にする。県都はモロタイ

モロタイ島県

Kabupaten Pulau Morotai
モロタイ島県の公式印章
印章
モロタイ島の位置
モロタイ島の位置
北緯2度18分 東経128度25分 / 北緯2.300度 東経128.417度 / 2.300; 128.417座標: 北緯2度18分 東経128度25分 / 北緯2.300度 東経128.417度 / 2.300; 128.417
インドネシア
北マルク州
県庁所在地 モロタイ
面積
 • 合計 1,800km2
人口
(2010)
 • 合計 52,860人
等時帯 UTC+9 (WIT)
ウェブサイト http://www.pulaumorotaikab.go.id/

2010年の調査では人口は52860人だった。

歴史編集

15世紀から16世紀にかけてモロタイはテルナテ島を中心とするテルナテ・スルタン国スルタンの影響圏にあった。テルナテ島はモロと呼ばれた広い地域の中心であり、モロタイ島や南隣のハルマヘラ島の海岸なども影響圏であった。

16世紀半ば、島はイエズス会の宣教師の拠点となった。テルナテ島やハルマヘラ島のムスリム諸国は布教活動の拠点に憤慨し、1571年にポルトガル人排斥の一環として島から宣教師を排除しようとした。17世紀、テルテナはモロタイ島への影響力を拡大し、人口の大部分の島外への移動を繰り返し強いた。17世紀初期には多くの人口がヘルマヘラ西部の要衝にあるDodingaという小村に移動された。1627年と28年にはテルテナのスルタンであるハムザが島内のキリスト教徒の多くをより簡単に制御できるテルナテのマラユへ移住させた。

第二次世界大戦編集

島は1942年の初期に日本によって占領された。 その後、1944年9月になるとモロタイ島の戦いを経てモロタイ島の南部平原はアメリカ軍が占領し、1945年初期のフィリピンの戦い、5-6月のボルネオの戦いの戦略拠点として利用した残留日本兵となった中村輝夫は1974年にモロタイ島のジャングルで発見された。

地理編集

モロタイ島はハルマヘラ島の北に位置する険しく、森の深い島である。面積は1800km2程であり、南北80km、東西は42km以下である。県最大の町は島内南岸のダルバ英語版であり、モロタイ島のほとんどの居住地は海岸線に位置している。東海岸のこれらの居住地をつなぐ舗装道路はダルバから始まり、ダルバから68kmの位置にあるモロタイ東岸の主要都市ベレベレ英語版まで繋がっている。

自治体編集

県は5の英語版kecamatan)からなり、2010年の調査では人口は以下のようであった。

Name English name Population
Census 2010
Morotai Selatan South Morotai 17,547
Morotai Timur East Morotai 7,779
Morotai Selatan Barat Southwest Morotai 18,857
Morotai Jaya Great Morotai 7,067
Morotai Utara North Morotai 9,226

経済編集

島は森林密度が高く、樹脂や木材の生産が盛んである。2010年10月、インドネシア政府は中華民国にモロタイ島開拓への援助を要求した[1]。2011年にはモロタイ島内でPTハルマヘラ開発投資がエコツーリズムへの投資先を探していた。

島内の児童の救済に焦点を当てて小規模な非営利組織の"ヘルプ・モロタイ"のようなモロタイ島の住民と子供を救済するプロジェクトが計画・展開されている[2][3]

州政府は観光を後押しするためにピトゥ空港英語版の国際空港化の取り組みを行っている[4]。ピトゥは7を意味しており、第二次世界大戦中に7本の発着場を持っていたことに由来する。

脚注編集

  • Andaya, Leonard (1993). The world of Maluku: eastern Indonesia in the early modern period. Honolulu: University of Hawaii Press.
  • Villiers, John (1988). Las Yslas de Esperar en Dios: The Jesuit Mission in Moro 1546-1571. Modern Asian Studies 22(3):593-606.