モンジュー
モンジュー(Montjeu、1996年4月4日 - 2012年3月29日)は、アイルランドで生産され、フランスで調教された競走馬、種牡馬。おもな勝ち鞍は1999年のジョッケクルブ賞(フランスダービー)、アイリッシュダービー、凱旋門賞、2000年のタタソールズゴールドカップ、サンクルー大賞、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス。
モンジュー | |
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![]() 1999年11月28日 東京競馬場 | |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1996年4月4日 |
死没 | 2012年3月29日(16歳没) |
父 | Sadler's Wells |
母 | Floripedes |
母の父 | Top Ville |
生国 |
![]() |
生産 | Sir J.Goldsmith |
馬主 | Michael Tabor |
調教師 | John Edward Hammond(フランス) |
競走成績 | |
生涯成績 | 16戦11勝 |
獲得賞金 |
約2,263,832ポンド(合計) フランス : 10,820,000フラン イギリス : 523,000ポンド アイルランド : 503,555アイルランドポンド 日本 : 20,000,000円 |
現役時代編集
2歳・3歳時代編集
1996年4月4日生まれ。
2歳のときフランスでデビューしたモンジューは2歳を2戦2勝、3歳初戦のグレフュール賞を制し、一躍クラシック候補に躍り出る。そのジョッケクルブ賞の前哨戦リュパン賞では2着と敗れるも、迎えた本番では4馬身差をつける圧勝でフランス3歳の頂点となる。続くアイリッシュダービーも5馬身差の圧勝、その後休養に入り、秋に行われるヨーロッパ最大のレース凱旋門賞へと駒を進める事を決定する。
迎えた秋、緒戦のニエル賞をアタマ差で制し(2着ビエナマド)、凱旋門賞へと向かう。この年の凱旋門賞には他にエルコンドルパサー(蛯名正義騎乗)とデイラミ(ランフランコ・デットーリ騎乗)も出走していたが、当日レースの舞台となるロンシャン競馬場はペネトロメーター5.1というレース史上類を見ないほど大量に水分を含んだ状態の不良馬場だったため、道悪を苦としないエルコンドルパサーとモンジューの一騎討ちというのが戦前の評判であった[注 1]。ゴール前の直線では、逃げるエルコンドルパサーと追い込んだモンジューの2頭の勝負となるが、残り50mで逆転したモンジューが1/2馬身の差をつけて優勝した。
次に陣営が選んだのはジャパンカップで、名実ともに欧州最強馬ということや、凱旋門賞でエルコンドルパサーに勝利していたこともあり、日本でも非常に注目された単勝1番人気に支持される。しかし、レースでは4着に敗れ、初めて連対を外した[注 2]。陣営はレース前日の取材で「体調が戻るまであと3日はかかる」「早く連れてくればよかった」と答えており[1]、レース後のコメントにも、敗因は馬場ではなく輸送の疲れが抜けなかったことや調整不足を挙げた。こうして3歳シーズンを終え、この年のカルティエ賞最優秀3歳牡馬を獲得した。
古馬時代編集
年が明けて2000年。古馬になり、5月のタタソールズゴールドカップから始動。同レースは直線で進路がふさがる不利があったが、前が空くと騎手が手綱を持ったまま勝利。さらにサンクルー大賞は5馬身で圧勝すると、キングジョージでも持ったままでファンタスティックライトらを退けて勝利した。次走はアイリッシュチャンピオンステークスに出走予定であったがこれを回避し[注 3]、凱旋門賞連覇をかけてフォワ賞に出走し、これに勝利。しかし、凱旋門賞ではシンダー、エジプトバンド、ヴォルヴォレッタといった3歳勢の前に屈し、勝ち馬から7馬身差の4着と大敗した。その後も精彩を欠き、チャンピオンステークス、BCターフともにカラニシに敗れ、そのまま引退となった。
競走成績編集
出走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離 | 着順 | 騎手 | 1着(2着)馬 |
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1998.09.18 | シャンティイ | マニゲット賞 | 芝1600m | 1着 | C.アスムッセン | (Camikaril) | |
1998.10.18 | ロンシャン | アイソノミー賞 | 芝1800m | 1着 | C.アスムッセン | (Spadoun) | |
1999.04.25 | ロンシャン | グレフュール賞 | GII | 芝2100m | 1着 | C.アスムッセン | (Sendawar) |
1999.05.16 | ロンシャン | リュパン賞 | GI | 芝2100m | 2着 | C.アスムッセン | Gracioso |
1999.06.06 | シャンティイ | ジョッケクルブ賞 | GI | 芝2400m | 1着 | C.アスムッセン | (Nowhere to Exit) |
1999.06.27 | カラ | 愛ダービー | GI | 芝12f | 1着 | C.アスムッセン | (Daliapour) |
1999.09.12 | ロンシャン | ニエル賞 | GII | 芝2400m | 1着 | M.キネーン | (Bienamado) |
1999.10.03 | ロンシャン | 凱旋門賞 | GI | 芝2400m | 1着 | M.キネーン | (El Condor Pasa) |
1999.11.28 | 東京 | ジャパンC | GI | 芝2400m | 4着 | M.キネーン | スペシャルウィーク |
2000.05.28 | カラ | タタソールズGC | GI | 芝10f110y | 1着 | M.キネーン | (Greek Dance) |
2000.07.02 | サンクルー | サンクルー大賞 | GI | 芝2400m | 1着 | C.アスムッセン | (Dancing Miss) |
2000.07.29 | アスコット | KGVI&QEDS | GI | 芝12f | 1着 | M.キネーン | (Fantastic Light) |
2000.09.10 | ロンシャン | フォワ賞 | GII | 芝2400m | 1着 | M.キネーン | (Crillon) |
2000.10.01 | ロンシャン | 凱旋門賞 | GI | 芝2400m | 4着 | M.キネーン | Sinndar |
2000.10.14 | ニューマーケット | チャンピオンS | GI | 芝10f | 2着 | M.キネーン | Kalanisi |
2000.11.04 | チャーチルダウンズ | BCターフ | GI | 芝12f | 7着 | M.キネーン | Kalanisi |
種牡馬実績編集
種牡馬入りした際には、同年に引退したジャイアンツコーズウェイと比べると約3分の1の種付け料に抑えられていた。しかし初年度産駒からダービーステークスを制したモティヴェイター[注 4]、父と2代続けて凱旋門賞、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスを制したハリケーンランなどを輩出。初年度産駒がデビューしてわずか2年目にして2005年のフランスリーディングサイアーの座を手中にし、イギリス・アイルランドの種牡馬ランキングでも父を上回る2位につけた。残した12世代の産駒からダービーステークス勝ち馬を4頭輩出した。
2012年3月29日朝に敗血症による合併症で、16歳でこの世を去った[2]。
後継種牡馬は今のところ中心となる馬を欠いているものの種牡馬入りした産駒は多く、サドラーズウェルズ系の中ではガリレオ、エルプラドに次ぐ3番手の位置に付けている。有力な種牡馬としては、キャメロットが欧州の平地用種牡馬としては有数の種付け数を集めており、プールモア産駒のウイングスオブイーグルスも2017年のダービーステークスに勝って種牡馬入りしている。モティヴェイターも牡馬の活躍馬はあまり出ていないが、種付け料は回復基調にある。
2013年の報道によると、ミオスタチン遺伝子型はガリレオと同じくTTの長距離タイプである[3]。
主な産駒編集
- 2002年産
- 2003年産
- 2004年産
- オーソライズド(レーシングポストトロフィー、エプソムダービー、インターナショナルステークス)
- 2005年産
- 2006年産
- フェイムアンドグローリー(クリテリウムドサンクルー、アイリッシュダービー、タターソルズゴールドカップ、コロネーションカップ、ゴールドカップ)
- ジュークボックスジュリー(アイリッシュセントレジャー)
- *ミスケラー(E.P.テイラーステークス)
- 2007年産
- セントニコラスアビー(レーシングポストトロフィー、コロネーションカップ3連覇、ブリーダーズカップ・ターフ、ドバイシーマクラシック)
- ジョシュアツリー(カナディアンインターナショナルステークス3勝)
- サラリンクス(カナディアンインターナショナルステークス)
- グリーンムーン(ターンブルステークス、メルボルンカップ)
- 2008年産
- リサイタル(クリテリウムドサンクルー)
- プールモア(エプソムダービー)
- マスクドマーヴェル(セントレジャーステークス)
- 2009年産
- 2010年産
- チキータ(アイリッシュオークス)
- リーディングライト(セントレジャーステークス)
- 2011年産
- ブレスレット(アイリッシュオークス)
母の父として編集
パリッシュホールがデューハーストステークスを優勝。レガティッシモは2015年のカルティエ賞最優秀3歳牝馬に選ばれている。また、アナプルナが2019年の英オークスを優勝し、フランケル産駒初の英国クラシック競走勝ち馬となっている[4]。
血統表編集
モンジューの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | サドラーズウェルズ系 |
[§ 2] | ||
父 Sadler's Wells 1981 鹿毛 |
父の父 Northern Dancer1961 鹿毛 |
Nearctic | Nearco | |
Lady Angela | ||||
Natalma | Native Dancer | |||
Almahmoud | ||||
父の母 Fairy Bridge1975 鹿毛 |
Bold Reason | Hail to Reason | ||
Lalun | ||||
Special | Forli | |||
Thong | ||||
母 Floripedes 1985 鹿毛 |
Top Ville 1976 鹿毛 |
High Top | Derring-Do | |
Camanae | ||||
Sega Ville | Charlottesville | |||
La Sega | ||||
母の母 Toute Cy1979 鹿毛 |
Tennyson | Val de Loir | ||
Tidra | ||||
Adele Toumignon | *ゼダーン | |||
Alvorada | ||||
母系(F-No.) | Alvorada系(FN:1-u) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | アウトブリード | [§ 4] | ||
出典 |
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脚注・出典編集
注釈編集
出典編集
- ^ 『優駿』(日本中央競馬会)2000年1月号
- ^ World-class stallion Montjeu dies aged 16
- ^ http://bloodstock.racingpost.com/news/bloodstock/dawn-approach-j-s-bolger-world-class-why-jim-bolger-will-be-in-two-minds-watching-saturdays-derby/1279873/
- ^ “Frankel’s Anapurna Wins The Oaks” (英語). Thoroughbred Daily News (2019年5月31日). 2019年6月2日閲覧。
- ^ 平出貴昭 (2019年9月18日). “『覚えておきたい世界の牝系100』掲載牝系一覧”. 競馬“血統”人生/平出貴昭. 2020年4月11日閲覧。
外部リンク編集
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post