モーツァルトのミサ曲

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モーツァルトのミサ曲では、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトミサ曲を作品リストにし、それらを述べる。

作品一覧 編集

ケッヘル番号順
K. 作品タイトル 作曲年 編成 通し番号 備考
49 (47d) ミサ曲 ト長調『ミサ・ブレヴィス』 1768 S,A,T,Bs,cho,
弦楽,org
1
65 (61a) ミサ曲 ニ短調『ミサ・ブレヴィス』 1769 S,A,T,Bs,cho,
弦楽,org
2
66 ミサ曲 ハ長調『ドミニクス・ミサ』 1769 S,A,T,Bs,cho,
Orch,org
3
115 (166d) ミサ・ブレヴィス ハ長調 1773 4声,org 偽作=L. モーツァルト
116 (90a) ミサ・ブレヴィス ヘ長調 1773 4声,org L. モーツァルト作?
139 (47a) ミサ曲 ハ短調『孤児院ミサ』 1768 S,A,T,Bs,cho,
Orch,org
4
140
(Anh.C 1.12)
ミサ曲 ト長調『パストラル・ミサ』 1773? S,A,T,Bs,cho,
Orch,org
5
167 ミサ曲 ハ長調『三位一体の祝日のためのミサ』 1773 S,A,T,Bs,cho,
Orch,org
7
192 (186f) ミサ曲 ヘ長調『ミサ・ブレヴィス』 1774 S,A,T,Bs,cho,
Orch,org
6
194 (186h) ミサ曲 ニ長調『ミサ・ブレヴィス』 1774 S,A,T,Bs,cho,
Orch,org
8
220 (196b) ミサ曲 ハ長調『雀のミサ』 1775 S,A,T,Bs,cho,
Orch,org
9 ミサ・ブレヴィス
257 ミサ曲 ハ長調『クレド・ミサ』 1776 S,A,T,Bs,cho,
Orch,org
10
258 ミサ曲 ハ長調『シュパウル・ミサ』 1775 S,A,T,Bs,cho,
Orch,org
11 ミサ・ブレヴィス
259 ミサ曲 ハ長調『オルガン・ソロ・ミサ』 1775-76 S,A,T,Bs,cho,
Orch,org
12 ミサ・ブレヴィス
262 (246a) ミサ曲 ハ長調『ミサ・ロンガ』 1775 S,A,T,Bs,cho,
弦楽
13
275 (272b) ミサ曲 変ロ長調 1777 S,A,T,Bs,cho,
弦楽,org
14 ミサ・ブレヴィス
317 ミサ曲 ハ長調『戴冠式ミサ』 1779 S,A,T,Bs,cho,
Orch,org
15
337 ミサ曲 ハ長調 1780 S,A,T,Bs,cho,
Orch,org
16 ミサ・ソレムニス
427 (417a) ミサ曲 ハ短調『大ミサ曲』[1] 1782-83 2S,T,Bs,2重cho,
Orch,org
17 未完、クレドは途中まで作曲
626 レクイエム ニ短調 1791 S,A,T,Bs,cho,
Orch,org
未完、ジュスマイヤー補筆完成

楽曲解説 編集

ミサ曲 ト長調『ミサ・ブレヴィス』 K. 49 (47d) 編集

1768年10月から11月にかけてウィーンで作曲された初期のミサ曲である。

ミサ曲 ニ短調『ミサ・ブレヴィス』 K. 65 (61a) 編集

1769年1月14日ザルツブルクで作曲された初期のミサ曲である。モーツァルトのミサ曲において楽器編成は非常に小規模の編成となっている。

ミサ曲 ハ長調『ドミニク・ミサ』 K. 66 編集

1769年ザルツブルクで作曲された初期のミサ曲(ミサ・ソレムニス)である。当時、モーツァルト一家が住んでいた家の家主であったローレンツ・ハーゲナウア(Lorenz Hagenauer)の四男であるカイェタン・ルーペルト・ハーゲナウア(Franz Cajetan Rupert Hagenauer)が司祭に就任した際に、その最初のミサのために作曲されたものである。

なお、タイトルの『ドミニク・ミサ』とは、ハーゲナウアの修道名が「ドミニクス」と称していたことが由来であり、そこからこのタイトルで呼ばれるようになった。

ミサ・ブレヴィス ハ長調 K. 115 (166d) 編集

1773年に作曲された未完のミサ曲であるが、現在は偽作とされており、父レオポルト・モーツァルトの作とされているが父の作であるかは疑問視されている。

ミサ・ブレヴィス ヘ長調 K. 116 (90a) 編集

1773年に作曲されたミサ曲であるが、現在は偽作とされており、父レオポルト・モーツァルトの作であると断定されている。

ミサ曲 ト長調『パストラル・ミサ』 K. 140 (Anh.C 1.12) 編集

1773年頃にザルツブルクで作曲されたと考えられるミサ曲である。当初はヨーロッパの教会にある写本で1770年代初頭の作品とされ、他者による偽作と疑問視されていた。後にモーツァルトの書き込みがある写譜が発見され、研究後に本人のものと判断された。このミサ曲は、ヨーゼフ・シュタルツァー(Joseph Starzer)のバレエ音楽に基づく編曲に近い作品であるとされている。

ミサ曲 ハ長調『三位一体の祝日のためのミサ』 K. 167 編集

1773年6月ザルツブルクで作曲されたミサ曲(ミサ・ソレムニス)である。ヒエロニュムス・コロレド伯の命によって簡素な作品となっている。

ミサ曲 ヘ長調『ミサ・ブレヴィス』 K. 192 (186f) 編集

1774年6月24日ザルツブルクで作曲されたミサ曲である。ザルツブルクの大聖堂のために作曲されたものと考えられている。ヒエロニュムス・コロレド伯の命によって簡素な作品となっている。

ミサ曲 ニ長調『ミサ・ブレヴィス』 K. 194 (186h) 編集

1774年8月8日ザルツブルクで作曲されたミサ曲である。ザルツブルクの大聖堂のために作曲されたものと考えられている。父が妻へ宛てた手紙には、礼拝堂においてレオポルトが指揮を行ったと記述されている。

ミサ曲 ハ長調『クレド・ミサ』 K. 257 編集

1776年11月ザルツブルクで作曲されたミサ曲である。特別な祝祭日のために作曲されたものと考えられているが、資料が無いため不明である。『ミサ・ロンガ』に次いで編成が大規模である。

ミサ曲 ハ長調『シュパウル・ミサ』 K. 258 編集

1775年12月ザルツブルクで作曲されたミサ曲である。父レオポルトの手紙の記述によれば、このミサ曲はシュパウル伯爵の聖職叙任式のために作曲されたものとされている。

ミサ曲 ハ長調『オルガン・ソロ・ミサ』 K. 259 編集

1775年から1776年にかけてザルツブルクで作曲されたミサ曲である。

タイトルの由来は、「ベネディクトゥス」においてオルガンが声楽のオブリガードのパートとして活躍し、目立つことから来ている。

ミサ曲 ハ長調『ミサ・ロンガ』 K. 262 (246a) 編集

1775年6月または7月ザルツブルクで作曲されたミサ曲である。

『ミサ・ロンガ』(Missa longa, 「長いミサ」の意)の表記は父レオポルトの書き込みによるものである。

ミサ曲 変ロ長調 K. 275 (272b) 編集

1777年9月23日頃にザルツブルクで作曲されたミサ曲(ミサ・ブレヴィス)である。

ミサ曲 ハ長調 K.337 編集

1780年3月ザルツブルクで作曲されたミサ曲(ミサ・ソレムニス)である。ザルツブルク時代において最後に作曲されたミサ曲である。

出典 編集

脚注 編集

  1. ^ オラトリオ「悔悟するダヴィデ」(カンタータ), K.469 へ転用。