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ヤシマドオターは、日本競走馬

ヤシマドオター
現役期間 1948年 - 1950年
欧字表記 Yashima Daughter
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1946年4月30日
死没 1952年6月12日
クモハタ
第二スターリングモア
母の父 セフト
生国 日本の旗 日本
北海道浦河郡浦河町
生産 ヤシマ牧場
馬主 小林庄平
調教師 大久保房松尾形藤吉
競走成績
生涯成績 28戦12勝
勝ち鞍 桜花賞天皇賞【秋】
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馬齢は日本で2000年以前に使用された旧表記(数え年)で統一して記述する。

経歴編集

1946年4月30日北海道浦河郡浦河町のヤシマ牧場にて生誕。3歳夏に大久保房松厩舎(中山競馬場)に入厩する。

1948年9月19日札幌競馬場でのA3歳競走(ダート1,000m)にて勝又忠が騎乗してデビューし、3着。その後、4戦目の札幌でのA1万下条件戦でようやく初勝利を挙げる。

年明けの1949年東京競馬場尾形藤吉厩舎へ転厩。4月17日の京都競馬場での4歳新馬戦に八木沢勝美に乗り替わって出走、1着となる。5月1日の第9回桜花賞(京都 芝1,600m)に2勝馬ながら挑戦、6頭立てという少頭数レースながら2番人気に支持され、1分40秒3と当時のレコードタイムで勝ち、初重賞制覇を飾る。その後、4歳牝馬特別(東京)[1]を勝ち、6月5日の東京優駿競走(東京・芝 2,400m)に出走、トサミドリに次いで2番人気に支持されたが、レース中に他馬が落馬した煽りを受けて競走を中止するアクシデントに見舞われた。東京優駿の後は5ヶ月休養するも、優駿牝馬[2]に出走せず、その当日の東京競馬場での4歳オープン競走(芝 2,000m)に出走して2着となっている。

1950年、4ヶ月休養後に4週連続で中山競馬場でのオープン級競走に出走するというタフネスぶりを見せ、6月11日の東京競馬場でのオープン競走では61kgを背負って1着となる。その年の秋は10月22日、29日に連闘でオープン競走を走ると、11月3日の第22回天皇賞(秋、東京・芝 3,200m)に出走、このレースでは保田隆芳が初めて騎乗し、1番人気のトサミドリが落馬競走中止となる波乱の中、牝馬として戦後初となる秋の天皇賞優勝を飾った。その後も連闘で毎日王冠(3着)に出走、さらに12月17日の中山記念(中山・芝 3,200m[3])では66kgを背負って優勝、なんと2ヶ月の間に8戦という、現代競馬では考えられない強行日程や負担重量をこなすというタフネスな馬でもあった。

引退後のヤシマドオターは生まれ故郷のヤシマ牧場で繁殖牝馬となったが、1952年に流行した馬伝染性貧血に罹患してヤシマヒメと共に薬殺処分となっている。

主な勝鞍編集

血統表編集

ヤシマドオター血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ゲインズバラ系
[§ 2]

クモハタ
1936 栗毛
父の父
*トウルヌソル
Tournesol
1922 鹿毛
Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Soliste Prince William
Sees
父の母
*星旗
Fairy Maiden
1924 栗毛
Gnome Whisk Broom
Faiery Sprite
Tuscan Maiden Maiden Erlegh
Tuscan Red

第二スターリングモア
1941 鹿毛
*セフト
1932 鹿毛
Tetratema The Tetrarch
Scotch Gift
Voleuse Volta
Sun Worship
母の母
スターリングモア
1929 鹿毛
*シアンモア Buchan
Orlass
第九フロリースカップ *ガロン
*フロリースカップ
母系(F-No.) スターリングモア系(FN:3-l) [§ 3]
5代内の近親交配 なし [§ 4]
出典
  1. ^ [4]
  2. ^ [5]
  3. ^ [6][4]
  4. ^ [4]


脚注編集

  1. ^ 1966年に創設されたサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別(現在のフローラステークス)とは全く異なる競走。
  2. ^ この当時は東京競馬場で11月中旬に開催されていた。
  3. ^ 当時の中山記念は春・秋2回開催であり、距離も現在のように1,800mではなかった。
  4. ^ a b c 血統情報:5代血統表|ヤシマドオター”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年6月3日閲覧。
  5. ^ ヤシマドオターの血統表”. netkeiba.com. 2019年6月3日閲覧。
  6. ^ 『優駿』1990年1月号、日本中央競馬会、23頁