ヤマピット日本競走馬。のちに「華麗なる一族」と称される牝系の初期の活躍馬で、1967年の優駿牝馬などに優勝。1966年最優秀3歳牝馬1967年最優秀4歳牝馬1968年最優秀古牝馬に選ばれた。主戦騎手池江泰郎が務めた。

ヤマピット
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1964年3月29日
死没 1970年9月??日(7歳没・旧表記)
ソロナウェー
キユーピツト
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産者 荻伏牧場
馬主 小林信夫
調教師 浅見国一京都
競走成績
生涯成績 22戦9勝
獲得賞金 5032万6500円
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血統背景

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キユーピツト阪神牝馬特別の勝馬。繁殖牝馬となって最初にガーサントと交配されたが、生まれた子は競走馬となる前に死んだ。翌年ソロナウェーを配合されて生まれたのがヤマピットである。

競走生活

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馬齢は当時の表記とする。

3歳チャンピオン

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1966年9月、ヤマピットは京都競馬場新馬戦でデビューし、1100メートルを1分05秒5のレコードで逃げ切って、2着に大差を付けて勝った。このレコードは50年以上経った2018年現在も破られていない(1100メートルの競走は2018年現在施行されていないことも付記しておく)。2戦目は不良馬場の3歳ステークスで、同じように新馬戦をレコード勝ちしてきた牡馬が相手だったが、ここでも大差で逃げ切った。11月の楓ステークス(1500メートル)でも従来の記録を1秒半短縮する1分31秒5で逃げ切り、2週間後のデイリー盃3歳ステークス(1600メートル)でも逃げ切り勝ちを収め、ふたたび記録を1秒半縮める1分38秒0のレコードを樹立した。

デビュー以来すべて逃げ切りの無敗の4連勝で、不良馬場の1戦をのぞくとすべてレコード勝ちのヤマピットは、関西の3歳チャンピオン決定戦である阪神3歳ステークス単勝支持率50パーセントを超える本命になった。池江泰郎が騎乗したヤマピットは、内側の4番枠からスタートしたがほかの馬に包まれてしまい、デビュー以来はじめて先頭に立てないまま3着に敗れた。しかし5戦4勝のヤマピットはこの年の最良3歳牝馬に選ばれた。父のソロナウェーはテイトオー日本ダービー優勝)や本馬の活躍によりこの年リーディングサイアーになった。

4歳チャンピオン

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年が明けて4歳になると、緒戦の阪神4歳牝馬特別を逃げ切り、桜花賞へと駒を進めた。ところがこの年1967年(昭和42年)の春、厩務員の賃上げ要求にはじまる労働争議が紛糾し、3週にわたって中央競馬の開催が中止された。結局4月2日に開催予定の桜花賞は順延され、4月30日に京都競馬場で行われることになった。こうして桜花賞に出てきた20頭のうち、60パーセントを超す単勝支持率を得たヤマピットだったが、阪神3歳ステークスと同じように他馬につつまれると、大して見せ場もなく12着に大敗した。

2週間後、ヤマピットは続く優駿牝馬(オークス)で初めて関東の競馬場に遠征した。桜花賞のわずか2週間後で、長距離輸送のあとのヤマピットは大きく体重を落としていた。それでも1番人気に支持されたヤマピットは、スタートしてすぐに先頭に立つとそのまま2400メートルをずっと先頭で走りきり、後続に3馬身差をつけて優勝し、4歳牝馬の頂点にたった。ヤマピットの全競走歴の中で、保田隆芳が騎手を務めたのはこのときだけであり、保田にとっては29年ぶりの優駿牝馬勝利となった。秋は牝馬限定の競走がないため[1]菊花賞に挑み、途中まで逃げて大敗した。

この年ヤマピットは最良4歳牝馬に選出された。

古馬チャンピオン

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5歳になると牡馬に混じって重賞に挑み、大阪杯鳴尾記念を逃げ切り、オープン特別の夕月特別では1600メートルを1分35秒4のレコードで逃げ切った。鳴尾記念と夕月特別は8馬身差だった。牝馬による大阪杯優勝は、このあとエアグルーヴが勝つまで30年間なかった。ヤマピットはこの年、最良5歳以上牝馬に選ばれ、3年連続の牝馬のチャンピオンとなった。JRA賞の前身である啓衆賞まで含め、1954年の創設以来、3年連続チャンピオンはメイヂヒカリ以来2頭目、牝馬の3年連続チャンピオンは初である[2]

母として

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1969年(昭和44年)に現役を退いたヤマピットは荻伏牧場で繁殖牝馬となった。最初の交配相手には、斎藤卯助がイギリスから輸入してきたネヴァービートが選ばれた。ネヴァービートはすでに皐月賞馬マーチスオークスルピナスを出すなど、期待された種牡馬だった。ヤマピットは翌春に牡馬を産んだが、直後に腸捻転のために急死し、1頭しか仔を残せなかった。生まれた仔馬はのちにボージェストと名づけられている。

血統表

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ヤマピット血統フェアウェイ系 / Fairway 3×5=15.62%、Polymelus 5×5=6.25% (血統表の出典)

* ソロナウェー
Solonaway
1946 鹿毛
父の父
Solferino
1940 鹿毛
Fairway Phalaris
Scapa Flow
Sol Speranza Ballyferis
Sunbridge
父の母
Anyway
1935 鹿毛
Grand Glacier Grand Parade
Glaspia
The Widow Murphy Pomme-de-Terre
Waterwitch

キユーピツト
1957 鹿毛
Nearula
1950 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Respite Flag of Truce
Orama
母の母
*マイリー
Mairie
1953 鹿毛
Supreme Court Precipitation
Forecourt
Lusignan William of Valence
Blue Star F-No.7-e


脚注

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  1. ^ エリザベス女王杯の前身、ビクトリアカップの創設は1970年
  2. ^ 3年連続のチャンピオンとしては本馬のほかメイヂヒカリ(1954年 - 1956年)、ヒシアマゾン(1993年 - 1995年)、メジロドーベル(1996年 - 1999年)、ブエナビスタ(2008年 - 2011年)、オルフェーヴル(2011年 - 2013年)、ジェンティルドンナ(2012年 - 2014年)、コントレイル(2019年 - 2021年)がいる。また、3回以上チャンピオンとなったものとして、ウオッカ(2006年・2008年・2009年(2007年はJRA賞特別賞を受賞)、短距離ではニホンピロウイナー(1983年 - 1985年)、障害競走ではバローネターフ(1977年 - 1979年)、オジュウチョウサン(2016年 - 2018年・2021年・2022年)、地方競馬ではフリオーソ(2007年・2008年、2010年、NARグランプリ年度代表馬を基準)等がいる。

外部リンク

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