ユリアン・シトコヴェツキー
ユリアン・グリゴリェヴィチ・シトコヴェツキー(ロシア語: Ситковецкий, Юлиан Григорьевич, ラテン文字転写: Yulian (Julian) Grigor'evich Sitkovetsky, 1925年11月7日 - 1958年2月23日)[1]は、ロシアのヴァイオリニスト。
ユリアン グリゴリェヴィチ シトコヴェツキー | |
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生誕 | 1925年11月7日 |
出身地 |
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死没 | 1958年2月23日(32歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ヴァイオリニスト |
担当楽器 | ヴァイオリン |
経歴編集
キエフにてユダヤ系として生まれる。8歳の時にソ連を訪れていたジャック・ティボーの前で演奏して激賞された。1934年に地元の交響楽団とメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏して脚光を浴びた。
1945年には全ソ連青少年コンクールに出場して優勝を飾った。1947年、プラハのユース・フェスティヴァルのコンクールに出場し、レオニード・コーガンと第1位を分け合っている。1950年にはピアニストのベラ・ダヴィドヴィチと結婚。1952年にはポーランドのポズナニで開催された第2回ヴィエニャフスキ国際コンクールで第2位を獲得。1955年に開催されたエリザベト王妃国際コンクールで第2位を獲得。
1956年に肺癌を発病し、闘病生活を送るも、モスクワで死去。
ベラ・ダヴィドヴィチとの間の息子ドミトリー・シトコヴェツキーもヴァイオリニストである。