ヨーゼフ・デュンヴァルト

ヨーゼフ・デュンヴァルト(Josef Dünnwald, 1909年11月3日 - 1995年7月7日)は、ドイツ指揮者[1][2][3][4]

デュッセルドルフ近郊ベンラートの生まれ。5歳のころからピアノをはじめ、9歳でピアニストとして活動を始めた。その後、ケルン音楽院に籍を置きながらケルン大学で言語学を学び、教師の資格を取るに至ったが、1933年にバイロイト音楽祭に行ってカール・エルメンドルフの指揮する《ニーベルングの指環》を見て指揮者の道を歩むようになった。まずはヴィースバーデン歌劇場のコレペティートルとして働き、ヘルマン・アーベントロートの下で指揮法を学んだ。1938年にザールブリュッケンの歌劇場の指揮者陣に加わり、1939年からシュトゥットガルト州立歌劇場の第二指揮者に転任した。1951年から1975年まで同歌劇場の第一指揮者を務めた。

シュトゥットガルトにて没。

脚注 編集

  1. ^ Schnabel, Dieter (2003) (ドイツ語). Zuweilen muss einer da sein, der gedenkt. Books on Demand. pp. 115-117. ISBN 978-3833000157 
  2. ^ Orff, Carl; Leitner, Ferdinand (2008). Lukas Naef. ed (ドイツ語). Carl Orf - Ferdinand Leitner. Ein Briefwechsel. Schott Music. p. 76. ISBN 978-3795705923 
  3. ^ Josef Dünnwald - Discogs
  4. ^ Josef Dünnwald - オールミュージック