ラグビーイタリア代表
ラグビーイタリア代表は、イタリアラグビー連盟によるラグビーのナショナルチームである。愛称は「アッズーリ」(青の意味)である。
ユニオン | イタリアラグビー連盟 | ||
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愛称 | アッズーリ | ||
グラウンド | スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ | ||
コーチ | フランコ・スミス | ||
主将 | ルカ・ビギ | ||
最多キャップ | セルジオ・パリセ (112) | ||
最多得点選手 | ディエゴ・ドミンゲス (983) | ||
最多トライ選手 | マルセロ・クッティッタ (25) | ||
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初国際試合 | |||
![]() ![]() (1906年1月1日) | |||
最大差勝利試合 | |||
![]() ![]() (1994年5月18日) | |||
最大差敗戦試合 | |||
![]() ![]() (1999年6月19日) | |||
ラグビーワールドカップ | |||
出場回数 | 9 (1987年初出場) | ||
最高成績 | 1次リーグ3位(1987,1991,1995,2003,2007,2011,2015,2019) |
概要編集
初のテストマッチは1929年5月20日のスペイン戦で、このときは0-9で敗れている。
2000年にはシックス・ネイションズに加わり、ラグビー人気の高い北イタリア出身の選手を中心に、アルゼンチンや南アフリカ共和国出身の選手も引き入れてチームを強化するなど、着々と実力を付けてきた。
2003年ワールドカップでは、ニュージーランドの英雄ジョン・カーワンを監督に招聘、同国史上初めて2勝を挙げる。
2007年のシックス・ネイションズでは、2月24日にスコットランドを、敵地のマレーフィールドにおいて37-17(前半24-10)で下し、イタリア代表のシックス・ネイションズ初のアウェー勝利を果たした。また、2週間後の3月10日にはウェールズを、本拠地スタディオ・フラミニオにおいて23-20(前半13-7)で下し、シックス・ネイションズ初のシーズン2勝をあげた。このような快挙の達成で過去最高の4位という成績を残した一方、同年のW杯では決勝トーナメントに進出できなかった。シックス・ネイションズではその後、2011年まで最下位が続き、同年のワールドカップでも決勝トーナメント進出はならなかった。
歴史編集
1911–34編集
1911年、ミランスポーツ組合とヴォワロンとの間でイタリア代表としての初試合を行った。同年7月25日、イタリア宣伝委員会が形成され、これが、1928年にイタリアラグビー連盟となった。1929年5月、初のテストマッチをスペイン代表との間で行い、0-9で敗れた。1934年、フランスラグビー連盟の主導により国際アマチュア・ラグビー連盟が設立されると、これに加盟した。
1945–99編集
イタリアラグビー界にとって、第二次世界大戦は他国と同様に空白期間であった。
1970年代から1980年代にかけて、イタリアのラグビーは、外国からの選手や指導者によって飛躍的な進化を遂げ、1973年には、南アフリカ遠征を行った。1987年にはワールドカップに初出場し。ニュージーランド相手に70-6の大敗を喫するもフィジーに勝利し、プール戦を3位で終えた。
1991年大会では、イングランド、ニュージーランドと同組という死の組に組み込まれたものの、アメリカには勝利した。1995年大会では、イングランド相手に20–27と善戦するも敗北。その後、アルゼンチンに勝利するもプール戦3位に沈んだ。1997年、同国代表はアイルランド代表を相手に連勝(11月4日、ランズダウン・ロードにて37-29。12月20日、スタディオ・レナート・ダッラーラにて37–22)[1]。他に、同年3月22日にはフランス代表相手に初勝利(グルノーブルにて40-32)。 1998年1月にはスコットランド代表から勝利を挙げた(トレヴィゾにて25-21)。しかしながら、1999年のワールドカップでは全敗でプール戦を終えた。
シックス・ネイションズ加入から現在まで編集
2000年、同国代表はついにファイブ・ネイションズ(シックス・ネイションズへ改名)への加盟を認められた。
ジョン・カーワン監督の下で臨んだ2003年のワールドカップでは、カナダとトンガには勝利したが、ニュージーランド、ウェールズに敗れた。
スタジアム編集
シックス・ネイションズ加入以前の同国代表は、ホームスタジアムを持っておらず、様々なスタジアムで試合を行っていた。2000年から2011年にかけては、シックス・ネイションズでの全てのホームゲームをローマのスタディオ・フラミニオにて行った。2010年、イタリアラグビー連盟は、シックス・ネイションズの2012年シーズンまでにスタディオ・フラミニオの収容人員を42,000人へ拡大することを発表したが、進捗していない[2]。そのため、全ての試合はスタディオ・オリンピコ・ディ・ローマにて行うようになっている[3]
- 80,074人, ニュージーランド戦, 2009年11月14日, スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ(ミラン).
- 80,054人, アイルランド戦, 2013年3月16日, スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(ローマ).
- 73,526人, ウェールズ戦, 2013年2月23日, スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(ローマ).
- 73,000人, ニュージーランド戦, 2012年11月17日, スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(ローマ).
- 72,354人, スコットランド戦, 2012年3月17日, スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(ローマ).
- 71,257人, イングランド戦, 2014年3月15日, スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(ローマ).
- 67,529人, フランス戦, 2013年2月3日, スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(ローマ).
- 66,271人, スコットランド戦, 2014年2月22日, スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(ローマ).
- 57,700人, アイルランド戦, 2015年2月7日,スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(ローマ).
- 53,700人, イングランド戦, 2012年2月11日, スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(ローマ).
ワールドカップの成績編集
選手編集
現在の代表編集
[4] イタリア代表スコッド
- ヘッドコーチ: フランコ・スミス
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※所属、 キャップ数(Cap)は2021年1月31日現在
脚注編集
- ^ “RWC Blog: Italy's Golden Era against Ireland”. RTÉ News. (2011年9月29日)
- ^ “Stadio Flaminio set for re-vamp”. Scrum.com. (2010年1月30日) 2010年8月21日閲覧。
- ^ “RBS 6 Nazioni, allo Stadio Olimpico l'Edizione 2012” (Italian) (プレスリリース), Italian Rugby Federation, (2011年7月13日) 2011年8月10日閲覧。
- ^ ITALRUGBY, GLI AZZURRI CONVOCATI PER IL RADUNO DI ROMA . federugby (2021年1月25日). 2021年1月31日閲覧。
関連項目編集
外部リンク編集
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