ラグージー・ボーンスレー3世

ラグージー・ボーンスレー3世(Raghuji Bhonsle III, 1807年 - 1853年12月11日)は、中央インドボーンスレー家の当主およびナーグプル藩王国の君主(在位:1818年 - 1853年)。バープー・サーヒブ(Bapu Sahib)とも呼ばれる。

ラグージー・ボーンスレー3世
Raghuji Bhonsle III
ボーンスレー家当主
在位 1818年 - 1853年
別号 マハーラージャ

出生 1807年
死去 1853年12月11日
ナーグプル
家名 ボーンスレー家
宗教 ヒンドゥー教
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生涯 編集

1807年、ボーンスレー家の当主ラグージー・ボーンスレー2世の孫として生まれた[1]。ただし、成年を1806年または1808年とする場合もある。

1818年3月15日、当主のマードージー・ボーンスレー2世がイギリスに投獄されたことにより、ラグージー・ボーンスレー2世の妃によって養子とされ、ラグージー・ボーンスレー3世として当主位を継承した[1]

第三次マラーター戦争の結果、ボーンスレー家はイギリス統治下のもと、その主権に従属する藩王国として存続を許されていた。

1853年12月11日、ラグージーは死亡した。彼には3人の娘がいたものの、息子は一人もいなかった[1]。そのため、1854年3月13日にイギリスはラグージーの末期養子に相続を相続を認めず、ナーグプル藩王国を「失権の原理」に基づいて併合した[1]

出典・脚注 編集

  1. ^ a b c d Nagpur

関連項目 編集

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