ラジオ大阪ドラマティックナイター

ラジオ大阪ドラマティックナイター(ラジオおおさかドラマティックナイター、Radio Osaka Dramatic Nighter)は、1993年から2007年9月29日まで[注 1]プロ野球シーズンに、ラジオ大阪(OBC)で放送されていたプロ野球ナイトゲーム中継番組である。

ラジオ大阪ドラマティックナイター
ジャンル プロ野球中継
放送方式 生放送
放送期間 1993年 - 2007年9月29日
放送時間 毎週土曜 18:00 - 21:00
(最大延長は22:00)
放送局 ラジオ大阪
ネットワーク NRN
出演 #出演者参照
テーマ曲 ペガサス幻想インストゥメンタルバージョン)
特記事項:
1.放送日時は、2007年のもの。
2.1997年までは、金曜日・土曜日・日曜日の放送。
3.1998年 - 2006年は土・日曜の放送。
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本項では、ドラマティックナイターとして放送する以前の、ラジオ大阪におけるプロ野球中継についても記述していく。

概要 編集

1977年昭和52年)から1992年平成4年)まで土曜・日曜の夜に放送された『OBCビッグナイター』を1993年にAMステレオ放送移行に伴いリニューアルし、それまでの土・日曜に金曜の放送を加えて週3回の放送にした。金曜は、近鉄バファローズ(1999年より大阪近鉄バファローズ)戦のみだったが、1998年以降『金曜バファローズナイター』(1998年 - 2000年)→『近鉄バファローズナイター』(2001年 - 2004年)→『オリックス・バファローズ ナイトスタジアム』(2005年、オリックス主催ゲーム開催に限る)に移行したため、土・日曜の放送となっていた。最終年は、土曜のみの放送となった。

放送時間は18:00 - 21:00。試合展開によってはオプションとして5分刻みで22:00までの延長があった。全国ラジオネットワーク(NRN)系列の大阪府兵庫県における土・日曜のナイター中継担当局であることや、1976年から1980年まで阪神タイガースが朝日放送と優先契約を結んでいたことに対する棲み分けを考慮して、読売ジャイアンツ(巨人)戦を中心とした全国中継カードをメインに放送。そのため、基本的に文化放送(土・日のNRNナイターキー局。『ホームランナイター』)からのネット受けになるが、巨人戦のうち阪神タイガース主催ゲームはラジオ大阪が制作を担当した(文化放送など一部NRN各局では試合終了まで中継のため、22:00以降は裏送り。聴取率調査期間は文化放送が自社ローカル向けに乗り込み別制作する場合あり)。

また、2004年までは近鉄、2005年からはオリックス・バファローズの主催ナイトゲームが週末にある場合はそれを優先していた(ただし、2006年後半からオリックス戦ナイターは開催有無に関係なく中継しないことが増えた)。そのため、関東での近鉄ビジターゲームと阪神対巨人戦が重なった日には、ラジオ大阪では文化放送制作(西武/ロッテ/日本ハム対近鉄)、文化放送ではラジオ大阪制作(阪神対巨人)の中継が流れるというねじれ現象も何度か生じた。

阪神タイガースが絡む試合については基本的にNRN全国中継の対象試合のみ放送していたが、阪神が優勝争いをしていた場合は阪神戦を独自に放送する場合もあった。

2007年(平成19年)シーズンをもって、ラジオ大阪はプロ野球中継から全面撤退することになり、当番組も終了した。これは、日本の民放ラジオ全局を通じても、日経ラジオ社(NSB→ラジオたんぱ→ラジオNIKKEI、『プロ野球ナイトゲーム中継』)と旧極東放送(KHR:現・FM沖縄、『チャレンジナイター』)に次いで史上3社目となる決断だった。以後ラジオ大阪はスポーツ中継を日曜昼間の中央競馬中継ドラマティック競馬に事実上選択集中し、原則としてプロ野球中継を行わなくなったが、2008年北京オリンピック野球競技で特別に中継を編成した[注 2]

出演者 編集

解説者 編集

終了時

終了時以前

※OBCビッグナイター時代の解説者も含んでいる。

南海ナイター(土曜・日曜)、南海日曜ナイター

開局 - 南海ナイター開始前

アナウンサー 編集

実況 編集

※特記ない限り、ラジオ大阪アナウンサー。

終了時

終了時以前

南海ナイター、OBCビッグナイター時代

  • 永田勉(南海ナイター開始当時の担当[5]
  • 渡辺剛夫(南海ナイター開始当時の担当[5]
  • 内田修
  • 水野清文

開局 - 南海ナイター開始前

  • 西澤暲(1958年7月8日阪神対広島戦初担当[9]。当時は、実況・解説の両方を一人で担当していた[9]

リポーター 編集

南海ナイター時代

  • 南海太郎(開始当時、「インサイトレポーター」という肩書で南海ベンチリポートなどを担当[5]

ラジオ大阪スタジオ担当 編集

  • 友松純(J SPORTS オリックス戦リポーター兼)(2006年まで日曜日担当)

終了時以前

  • 川辺結花(2006年まで土曜日担当)
  • 安本雅代
  • 豊永真琴
  • 寺立知可
  • 松葉恭子

担当不詳 編集

備考 編集

番組テーマ曲 編集

野球放送のないときの番組編成 編集

原則として18:00 - 21:00までは文化放送よりレインコート番組(録音番組)をネットするが、当初から野球中継が組まれていない場合は、ラジオ大阪スタジオより特番を放送する場合がある。

  • 18:00 - 19:00 ビッグサウンズスペシャル第1部(生放送でプロ野球関連の番組を行う場合がある)
  • 19:00 - 21:00 ビッグサウンズスペシャル第2部(録音番組)
  • 21:00 - 21:30 ミュージックスタジアム(OBCスタジオより放送)
  • 21:30 - 22:00 歌謡曲夢一番

野球放送が早く終了したときの番組編成 編集

放送時間が21:26までに終了した場合

  • 21:26まで、「ミュージックスタジアム」を放送。

放送時間が21:01 - 21:26までに終了した場合

  • 21:30までOBCスタジオより「ミュージックスタジアム」を放送する。
  • 21:30 - 22:00 歌謡曲夢一番

放送時間が21:26を過ぎた場合

  • 21:30からの番組は放送休止とし、最大延長21:56までナイター中継を放送する。
  • 21:56までに終了した場合は、OBCスタジオより「ミュージックスタジアム」を放送する。

NRN野球ネットについて 編集

1965年(昭和40年)のNRNネットワーク発足当時、関西地区における加盟局はOBCの他に朝日放送(ABC、現・朝日放送ラジオ)、毎日放送(MBS、現・MBSラジオ)そしてラジオ関西(CR→AM KOBE→CRK)、近畿放送(KHK→KBS→KBS京都、現・京都放送)、和歌山放送(WBS)の6局であった。ABCはTBSラジオ(JRN、『TBSナイター』)と、MBSはニッポン放送(LF:NRN、『ショウアップナイター』)とそれぞれ主にネットワークを結んでいたため、NRN結成後は火 - 木・土曜はMBS、日曜は薄暮試合を含めてABCが関西地区の制作を担当することとなり、CRは野球中継から撤退して音楽番組中心の編成に移行し、KBSはラジオ関東(RF:現・RFラジオ日本、『バッチリナイター』)との独自ネットを中心に、WBSはMBS・ABC制作分を含む全国ネット本番カードを中心に編成した。

OBCも1958年7月の開局からしばらくはプロ野球中継を行っていた[注 6]。レギュラー編成としては一時撤退した年もあったが、年度によりNRNナイターとは無関係のローカル番組として、週末などの放送を行った年もあった[注 7]

その後1972年から南海ホークスをメインとした『南海ナイター』(なんかいナイター)を土曜・日曜に編成する(4月15日開始。当時の放送時間は土・日曜18:30から試合終了まで[5])こととなっても、引き続きNRNナイターとは無関係であった。『南海ナイター』は、1972年の開始時に、土曜日に限り和歌山放送(WBS。当時はNRN単独ネット局)で同時ネット[注 8]。当時のリスナー向けプレゼントにも、OBCと同局の名前が併記されていた。この背景には、和歌山放送のサービスエリアの一部が南海ホークスの親会社・南海電鉄の沿線地域であることや、投手として第42回選抜高等学校野球大会(1970年)で和歌山県立箕島高等学校を全国大会初優勝に導いた同県出身の島本講平が1971年にホークスへ入団したことなどが挙げられる。「南海ナイター」終了後も、WBSは独自の自社制作で不定期に(主に日曜・祝日のデーゲームを中心として)南海グループ協賛による大阪球場での南海主催試合の中継を実施した。この期間は自社制作のみならず、南海がビジターゲームのうち関東遠征分をラジオ関東からネット受けしたこともあり、1973年には日拓ホームフライヤーズとの開幕戦を近畿放送を加えた3局ネットで放送した。

NRNの担当曜日は1969年に月・金曜がABC、それ以外はMBSと再編成されたが、1976年にMBSが日曜のNRNナイターをローカルの「ブレーブス・ダイナミック・アワー」(阪急電鉄阪急百貨店提供)に差し替えたため、ナイター中継とネットスポンサーのCMが関西地区では放送されない事態が生じた[13]。また、同年にABCが阪神タイガースとラジオ放送権の優先契約を結んだため、1980年までMBSの阪神主催ゲーム制作に制限がかかることになった[注 9]。事態を重く見た土・日曜担当キー局の文化放送(QR)はMBSとのナイターネットを見直すこととし、土・日曜の関西地区NRNナイター制作局をOBCとする事に変更[13]。翌1977年よりOBCはNRNナイターの制作に参加し、『OBCビッグナイター』がスタートした。同時にNRNナイターの制作を担当しない平日にも、関西ローカル(ビジターゲームでは文化放送・九州朝日放送の制作協力)の「近鉄バファローズナイター」を開始した[注 10]

土・日のNRN担当になったことから、土・日の阪神・阪急→オリックス・南海・近鉄の主催試合のNRN向け制作を担当。しかし、当時関東・関西にプロ野球チームが集中していたことと、巨人が絡む試合がほぼナイターであったこと、クロスネット局は土・日はJRNナイターを放送していたこと、前述の阪神とABCの優先契約で1980年まで阪神主催試合の制作がMBS同様制限されていたことから、「阪神対巨人」をNRN全国ネットとして配信する以外のネット先は「阪神対中日」の際の東海ラジオ (SF)、南海がダイエーになって福岡移転後の「オリックス対ダイエー」「近鉄対ダイエー」の際の九州朝日放送(KBC)に限られ(OBCは近鉄戦がない場合はNRN全国ネットカードを優先したため、「近鉄対ダイエー」でOBC-KBCの相互ネットになる以外はほぼ裏送り)、それ以外は雨天中止時の予備音源としての制作のみだった。

ただし、NRNでは一時期巨人主催試合の放送権が無かった時代があったため、ナイターが巨人主催試合と当該試合の2試合だけの場合は必然的にこの試合がNRN全国中継となった。また、東海ラジオは2001年頃まで「阪神対中日」をOBCが放送しない場合は裏送りを受けていた[注 11]が、2002年頃からはOBC-SFの相互ネットの場合、もしくはQRがネットしてNRNネットのメインカードとなった場合のみの放送となり、SFはOBC・QRとも同カードを放送しない場合、MBSからのネット受けによる放送を行っていた。

なお、対広島戦については、中国放送(RCC)が土・日曜はJRNネットとなるため、予備カードからの昇格または日程の都合上、稀にNRNネットの本番カードとなった時にNRN単独加盟局向けとなる際に放送される程度で、この場合、阪神主催はOBCが自社制作、広島主催(阪神が関与しないカードを含む)はRCCが裏送りという形態だったが、広島と阪神の対戦時は、ビジター側のリポーター派遣が行われないことが多かった[注 12]

「ビッグナイター」が「ドラマティックナイター」に改称された1993年からは週6日中継を達成する[注 13]が、近鉄球団最後の年となった2004年から、OBCは野球中継を段階的に縮小していった。2004年は金・土・日曜(うち金曜は「近鉄バファローズナイター」)のみとし、2005年は金曜の中継を不定期化(「オリックス・バファローズ ナイトスタジアム」)。2006年度は本番組だけが残され土・日のみの放送となった。さらに2007年度はOBCは土曜のみの放送となり、日曜開催の試合の中継でOBCが担当する阪神・オリックス主催ゲーム(甲子園京セラドーム大阪など)が全国放送される場合は裏送りとなった。

2007年シーズンをもって、OBCはプロ野球ナイターの放送から全面撤退。これは、日本の民放ラジオ史上でもラジオNIKKEIとエフエム沖縄に次ぐ、3社目のことだった(前述)。これに伴い大阪地区のNRNナイターネットワーク局変更が検討されたが、2008年以降もMBSは土・日曜のMBSでの放送をMBS-LFラインで継続することとしたため、大阪府のラジオ局では2009年までNRNナイターを聴くことは事実上出来なくなっていた(MBSは他のNRNナイターのネット局<当時はシングルネットの6局=STV、QR、IBS、SF、KBS、KBC。うちKBSは2008年をもって週末ナイターから撤退>向けにQR制作の技術協力を含めた裏送りと並列制作だった。2010年度からはSF・KBC向け(2017年度からSTV向けも追加)のデーゲームをMBSが、TBC・RCC向けおよび関西ローカルのデーゲーム(一部JRN扱いあり)とナイター全般をABC[注 14]がNRN中継の担当として中継している。

なお、2005年までは、日本シリーズ中継についてはNRN全国中継担当を行わない放送局の音源(西暦偶数年は1,3,5,7戦は文化放送、2,4,6戦はニッポン放送 奇数年は1,3,5,7戦がニッポン放送、2,4,6戦は文化放送がそれぞれ制作)を放送している。ただし、2006年以降日本シリーズ中継は放送されていない。

放送最終年度(2007年)の基本的なネットワーク 編集

地域(球団) 放送局名
基本系列 NRN
北海道 STV
宮城 TBC裏送り参加)
関東西[* 1] QR[* 2]
東海 SF
広島 RCC(裏送り参加)
福岡 KBC
  1. ^ NRNが巨人主催試合から一時期締め出されていた頃はヤクルト・大洋→横浜主催試合を中心に、稀に西武・ロッテ・東京本拠地時代の日本ハム主催試合に差し替えたことがある。また巨人主催試合が再解放されてから、巨人(ホーム・ビジターとも)以外の試合はセ・パ交流戦を除いて裏送り供給となる試合が多かった。
  2. ^ 日本シリーズ中継はNRNキー局で全国ネットを担当しない側の局の中継を放送したため、曜日によりニッポン放送(LF)からのネット受けとなる場合があった。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 次の資料より、2008年シーズン以降プロ野球ナイター中継から撤退の旨記載あり[1]
  2. ^ 次の資料より、2008年8月13日 - 22日の出来事として「北京オリンピック放送で野球中継を独自編成」という記載あり[2]
  3. ^ 参考:1997年[6]
  4. ^ 参考:
    • 主な仕事として「ドラマチックナイター」と記載[7]
    • 「今までの主な出演番組」として「OBCドラマティックナイター」と記載[8]
  5. ^ 所属事務所ウェブサイト内プロフィールより、OBCの出演番組として「ドラマティックナイター」「北京五輪野球中継(スタジオキープ)」の記載あり[10]
  6. ^ 参考:[9]。なお、ラジオ大阪開局60周年記念特設サイトでは、1960年5月3日にプロ野球ナイター中継を開始したことが明記されている[2]
  7. ^ 実例:
  8. ^ 当時の番宣広告より「土曜日のみ、和歌山へも同時中継します。」との記述あり[5]
  9. ^ 同年MBSは日曜NRNナイターへはパ・リーグのカード(阪急が関与する試合が本番カードの場合は『ダイナミック・アワー』と別制作で裏送り)と一部の阪神戦中継の裏送り参加とした。MBSに制作制限がかかった一部の阪神戦についてはビジター地元局(主に対巨人・ヤクルト・大洋戦のTBS/LF/QRと対中日戦のCBC/SF)が乗り込んだ。また平日についてはABCが水・木曜のRCC-LF予備-NRN向け対広島戦を中心に自社が参加しない側のネットワーク向け裏送りの二重制作するなどの対応をとった。
  10. ^ 次の資料より、1977年4月5日の出来事として「プロ野球実況中継週5日でスタート」という記載あり[2]。なお、1977年の開始時点では、近鉄戦非開催時の平日に他の関西本拠地球団主催カードを放送することもあったが(参考:5月26日の「南海対クラウン」[14])、近鉄グループ提供のまま『近鉄バファローズナイター』として放送したか、別スポンサー提供で週末同様『OBCビッグナイター』として放送したかは不明。
  11. ^ 1980年代には、ABC・MBSの要員の都合で、稀に平日でもOBCがSFに裏送りすることがあった。
  12. ^ 対巨人戦・中日戦ではQRやSFがリポーターを派遣していた。
  13. ^ 次の資料より、1993年4月5日の出来事として「近鉄バファローズのナイターを全試合中継。」と記載[2]
  14. ^ KBC向けデーゲームの一部もABCが担当する場合あり。

出典 編集

  1. ^ OBC、ナイター撤退で編成・営業面に成果/アンチ野球需要開拓 - 『文化通信.com』放送業界最新ニュース2009年6月8日付記事(『日刊文化通信速報・放送版』より抜粋。インターネットアーカイブ同12月30日付保存キャッシュ)
  2. ^ a b c d ラジオ大阪開局60周年|ラジオ大阪の歩み
  3. ^ 中国新聞、1977年5月24日(火曜日)、テレビ・ラジオ欄。「中日 vs 広島」(草薙・中国放送にネット)で解説を担当。TBSラジオ発JRN全国ネットでは「ヤクルト vs 巨人」(神宮。当時はTBS/JRNでも中継可能だった)を、朝日放送では「大洋 vs 阪神」(川崎)を放送したため、予備からの昇格時には辻の解説が朝日放送経由で放送される可能性があった。
  4. ^ サンケイ新聞(岡山版)、1977年8月16日(火曜日)、テレビ・ラジオ欄。同日の静岡放送制作・JRN全国ネットの「大洋 vs 阪神」(草薙)で辻が解説を担当(実況:神村敏行)したため、関東地区では土曜・日曜は文化放送経由となる辻の解説がTBSラジオ経由で流れることになった。一方朝日放送では、ラジオ大阪に配慮して自社乗り込み(解説:小山正明、実況:黒田昭夫)で対応した。
  5. ^ a b c d e f サンケイ新聞(大阪本社版)、1972年4月14日(金曜日)、10ページ掲載ラジオ大阪『南海ナイター』全面広告
  6. ^ 『'97プロ野球12球団全選手百科名鑑』(『ホームラン』1997年3月号増刊。同31日、日本スポーツ出版社発行)P208に掲載されたラジオ大阪プロ野球担当アナウンサー名簿を参照。
  7. ^ ベストスピーカーのウェブサイト内に掲載された山口富士夫のプロフィール(インターネットアーカイブ2004年3月27日付保存キャッシュ)
  8. ^ オフィスキイワードのウェブサイト内に掲載された山口富士夫のプロフィール…インターネットアーカイブ2002年12月21日付保存キャッシュ)Archive.is 2013年5月2日付保存キャッシュ(先述キャッシュのコピー)
  9. ^ a b c CATCH THE DREAM OFFICE freetalk » 第2回 - 西澤 暲さん - OFFICE freetalk(アナウンサー育成・派遣会社)サイトより、インタビュー記事(リンク先は、インターネットアーカイブ2008年1月16日付保存キャッシュ)。
  10. ^ パートナーズ・プロ公式サイト内星野礼佳プロフィール
  11. ^ 読売新聞(大阪本社版)1969年8月24日、8ページ、ラジオ欄。担当=永田アナ。
  12. ^ 毎日新聞(岡山版)1970年5月31日、11ページ、テレビ・ラジオ欄。
  13. ^ a b 毎日放送40年史編纂室(編集)『毎日放送の40年』毎日放送、1991年、474頁。 
  14. ^ サンケイ新聞大阪本社発行版、1977年5月26日、テレビ・ラジオ欄

外部リンク 編集

※いずれも、インターネットアーカイブにおける番組公式サイトの保存キャッシュ一覧。