ラス・ロサス・デ・マドリード

スペインの都市

ラス・ロサス・デ・マドリードスペイン語: Las Rozas de Madrid)は、スペインマドリード州ムニシピオ(基礎自治体)。単にラス・ロサススペイン語: Las Rozas)と表記されることもある。2017年の人口は95,071人。

Las Rozas de Madrid

  


 マドリード州
 マドリード県
面積 59.14 km²
標高 718m
人口 95,071 人 (2017年)
人口密度 1,607.56 人/km²
Las Rozas de Madridの位置(スペイン内)
Las Rozas de Madrid
Las Rozas de Madrid
スペイン内ラス・ロサス・デ・マドリードの位置
Las Rozas de Madridの位置(マドリード州内)
Las Rozas de Madrid
Las Rozas de Madrid
マドリード県内ラス・ロサス・デ・マドリードの位置

北緯40度29分30秒 西経03度52分24秒 / 北緯40.49167度 西経3.87333度 / 40.49167; -3.87333座標: 北緯40度29分30秒 西経03度52分24秒 / 北緯40.49167度 西経3.87333度 / 40.49167; -3.87333

地理 編集

 
スペイン広場

スペインの首都マドリードの中心部から約20キロメートル北西にあり、マドリード大都市圏に含まれる。マドリードとガリシア州ア・コルーニャを結ぶA-6号線が通っている。レンフェの駅はラス・ロサス駅、ラス・マタス駅、エル・ピナール駅、エル・テハール駅の4駅がある。

北はトレロドネス英語版と、西はビジャヌエバ・デル・パルディーリョ英語版ガラパガール英語版と、東はマドリードのモンテ・デル・パルド公園と、南はマハダオンダと境界を接している。

スペイン語のRozasは「開拓地」を意味する。住民の平均所得の高さはマドリード州でも有数である。

人口 編集

ラス・ロサス・デ・マドリードの人口推移 1857-2017
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[1]、1996年 - [2]

歴史 編集

 
サン・ミゲル・アルカンヘル教会

1930年代後半のスペイン内戦の際、ラス・ロサス周辺は主要な戦いの舞台となった。フランシスコ・フランコが主導者であるナショナリスト派の軍隊は1936年冬、ブルネテ、ビリャビシオーサ・デ・オドン、カンパメントの基地からマドリードの西方に向かって進軍した。共和国派と空軍の支援を受けたナショナリスト派がマドリード近郊で戦い、ラス・ロサスの住民はオヨ・デ・マンサナーレス英語版の洞窟など安全な山地に避難した。

1939年にスペイン内戦が終結した際、サン・ミゲル教会と270戸の集落のうち92戸がひどい被害を受けており、無傷だったのは13戸のみだった。行政大臣は内戦で破壊された町のための機関を発足させ、ラス・ロサスもこの機関の計画に従って復興が行われた。20世紀後半にはマドリードのベッドタウンとして発展した。1991年の人口は35,137人だったが、2005年には2倍以上の76,246人となった。

文化 編集

 
ホアキン・ロドリーゴ公会堂

ラス・ロサスには作曲家のホアキン・ロドリーゴの名前を冠したホアキン・ロドリーゴ公会堂があり、音楽学校や舞踊学校などが入っている。その他には4つの文化センター、3つの図書館(ラス・ロサス図書館、ラス・マタス図書館、レオン・トルストイ図書館)、5つの展示場がある。

1960年代のラス・ロサスは映画撮影所として知られ、アメリカ合衆国の映画プロデューサーであるサミュエル・ブロンストンが建てたスタジオがあった。1963年のアメリカ映画『北京の55日』には多くの地元住民がエキストラとして出演したが、商業的には失敗している。ブロンストンはラス・ロサスへの埋葬を望み、当地の墓地に埋葬されている。

スポーツ 編集

 
ラス・ロサスにあるサッカースペイン代表の公式練習施設

サッカークラブとしてはラス・ロサスCF英語版があり、3,000人収容のエスタディオ・ナバルカルボンをホームスタジアムとしている。ラス・ロサスCFは主にテルセーラ・ディビシオン(4部)やマドリード州1部リーグ(5部相当)に所属している。1966年にCDラス・ロサスとして設立され、2009年にはウニオン・ラス・ロサスと合併して現在の名称となった。アルバロ・メヒアはユース時代をこのクラブで過ごし、1998年にレアル・マドリードの下部組織に移った。

フットサルクラブとしては2004年に設立されたUDラス・ロサス・ボアディーリャ英語版があり、このクラブはラス・ロサスとボアディーリャ・デル・モンテ英語版の双方を本拠地としている。UDラス・ロサス・ボアディーリャは1,000人収容のパベリョン・ムニシパル・デ・ボアディーリャをホームアリーナとしている。2004-05シーズンはプリメーラ・ディビシオン(1部)に所属していたが、2005年にはセグンダ・ディビシオン(2部)に降格し、2008年にはプリメーラ・ナシオナルA(3部)に降格し、2012年にはテルセーラ・ディビシオン(4部)に降格した。

バスケットボールクラブとしては1987年に設立されたCBラス・ロサス英語版があり、2,000人収容のポリデポルティーボ・ラス・マタスをホームアリーナとしている。1989年には初めてセグンダ・ディビシオン(2部)に昇格し、1980年代末から1990年代には6シーズンを2部リーグで過ごしたが、リーガACB(1部)昇格は果たせなかった。現在は主にプリメーラ・ディビシオン(5部)に所属している。

ラグビークラブとしては1971年に設立されたインヘニエロス・インドゥストリアレス・ラス・ロサス・ラグビースペイン語版がある。主にディビシオン・デ・オノールB(2部)に所属している。アメリカンフットボールクラブとしてはラス・ロサス・ブラック・デーモンズ英語版がある。主にLNFAセリエA(1部)やセリエB(2部)に所属している。

2003年にはスペインサッカー連盟によって、サッカースペイン代表の公式練習拠点としてラ・シウダ・デ・フットボル英語版がラス・ロサスに建設された。土地はラス・ロサス市議会がスペインサッカー連盟に寄付している。

政治 編集

首長一覧(1979-)
任期 首長名 政党
1979–1983 Benito Garrido Turrillo(79)
Luis Schake de Miguel(79-80)
Doroteo Lázaro Mingo (80-81)
Luis Schake de Miguel(81-83)
スペイン社会労働党(PSOE)
スペイン社会労働党(PSOE)
スペイン社会労働党(PSOE)
スペイン社会労働党(PSOE)
1983–1987 Jesús Zúñiga Pérez-Lemaur スペイン社会労働党(PSOE)
1987–1991 Jesús Zúñiga Pérez-Lemaur スペイン社会労働党(PSOE)
1991–1995 Jesús Zúñiga Pérez-Lemaur スペイン社会労働党(PSOE)
1995–1999 Bonifacio de Santiago Prieto 国民党(PP)
1999–2003 Bonifacio de Santiago Prieto 国民党(PP)
2003–2007 Bonifacio de Santiago Prieto 国民党(PP)
2007–2011 Bonifacio de Santiago Prieto 国民党(PP)
2011–2015 José Ignacio Fernández Rubio 国民党(PP)
2015–2019 José Ignacio Fernández Rubio 国民党(PP)
2019– n/d n/d

姉妹都市 編集

脚注 編集

外部リンク 編集