ラファエル・ファン・デル・ファールト

オランダのサッカー選手 (1983-)

ラファエル・フェルディナント・ファン・デル・ファールトRafael Ferdinand Van Der Vaart, 1983年2月11日 - )は、オランダ・ヘームスケルク出身の元サッカー選手。元オランダ代表。現役時代のポジションはMF(トップ下、左右サイドハーフセンターハーフ)、FW(セカンドトップ)。レフティ

ラファエル・ファン・デル・ファールト
2014年のファン・デル・ファールト
名前
本名 ラファエル・フェルディナント・ファン・デル・ファールト
Rafael Ferdinand Van Der Vaart
愛称 ラフィー、小さな天使、VDV
ラテン文字 Rafael VAN DER VAART
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1983-02-11) 1983年2月11日(41歳)
出身地 ヘームスケルク
身長 176cm
体重 74kg
選手情報
ポジション MF / FW
利き足
ユース
1993-2000 オランダの旗 アヤックス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2005 オランダの旗 アヤックス 117 (52)
2005-2008 ドイツの旗 ハンブルガーSV 74 (30)
2008-2010 スペインの旗 レアル・マドリード 58 (11)
2010-2012 イングランドの旗 トッテナム 63 (24)
2012-2015 ドイツの旗 ハンブルガーSV 79 (16)
2015-2016 スペインの旗 レアル・ベティス 7 (0)
2016-2018 デンマークの旗 FCミッティラン 17 (2)
2018 デンマークの旗 エスビャウfB 3 (0)
通算 417 (135)
代表歴
1998-1999  オランダ U-17 13 (5)
1999-2000  オランダ U-19 8 (2)
2000-2001  オランダ U-21 4 (2)
2001-2013 オランダの旗 オランダ 109 (25)
監督歴
2022 デンマークの旗 エスビャウfB (暫定)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クラブ経歴 編集

アヤックス・アムステルダム時代 編集

 
アヤックス時代

10歳でアヤックスユースに入団し、17歳の時にトップチームでデビュー。高いキックの精度と戦術眼で頭角を現し、2000-01シーズンには27試合7得点の活躍を見せる。

翌2001-02シーズンも7試合連続ゴールを含む14得点を挙げてリーグ制覇に貢献した。

2003-2004シーズンはキャプテンとして臨み再びリーグ優勝に貢献。

ハンブルガーSV時代 編集

2005年6月29日ドイツハンブルガーSVに移籍[1]。移籍金は推定550万ユーロ(約7億4300万円)で、5年契約を結んだ。当時のチームメートには元日本代表FW高原直泰が同僚であった。

痛めていた左足も完治し、地元ファンから「小さな天使」と呼ばれ、ある少女に「ユニフォームちょうだい」という横断幕をかかげられるほどの人気だった(試合終了後にその日試合で使ったユニフォームを渡した)。ユヴェントスがファン・デル・ファールトに興味を持っていると報じられ、そのことに関し「とても名誉なことだ」とコメントしながらも、移籍先が母親の祖国であるスペインレアル・マドリードでなければハンブルクを出ることはないと明言したらしい。[要出典]

レアル・マドリードCF時代 編集

 
レアル・マドリード時代

2008年8月4日レアル・マドリード加入を発表。移籍金は1300万ユーロ(約22億円)にのぼった[2]。しかし、ファンデ・ラモス監督が就任してから試合出場時間が激減していたため、2009年3月29日、会見で「僕はレアル・マドリーから出たい」と意思を表明した[3]

2008-09シーズンオフにクラブの人事もチームの戦力も大きく入れ替わり、ファン・デル・ファールト自身も移籍の噂も取りざたされていたが、シルビー夫人がマドリードで乳ガンの治療を続けているという事情から、届いた全てのオファーに断りを入れてチームに残留した[4]。2009-10シーズン開幕当初はカカの存在があり出場機会が限られていたが、リーグ第4節のビジャレアルCF戦からベンチ入りし、その後カカの負傷離脱などもあって出場機会を増やした。

トッテナム・ホットスパーFC時代 編集

 
トッテナム時代

2010年夏には同ポジションのメスト・エジルセルヒオ・カナレスが加入し、ファン・デル・ファールト自身はレアル・マドリードでのポジション争いに意欲を見せていたが[5]、移籍市場最終日の8月31日トッテナム・ホットスパーFCへ移籍金800万ポンドで移籍。背番号11を背負い、加入早々チームを牽引する活躍を見せ、イングランドでは「今年最高の補強」とまで称された。MFにも関わらずリーグ戦で13得点を記録。UEFAチャンピオンズリーグでも、親友のウェズレイ・スナイデルが所属するインテルナツィオナーレ・ミラノACミランなどを破ってベスト8入りに貢献した。2011年5月15日には、リヴァプールとのヨーロッパリーグ出場権をかけた試合では利き足では無い右足でボレーシュートで決勝ゴールを決めた。本人もこのシーズンの活躍に満足したようで、インタビューで「トッテナムでのプレーは楽しい」と語るなど、キャリアのピークをトッテナムで過ごした。しかし2012年7月に新監督に就任したアンドレ・ビラス・ボアスとの確執により、退団を直訴する。その後、背番号11は後にエースとなるガレス・ベイルが受け継いだ。後年、ファン・デル・ファールトはキャリア最大の後悔としてこのトッテナム退団を挙げているが、未だにビラス・ボアスへの蟠りが解けていないことも明かしている。

ハンブルガーSV復帰 編集

2012年8月31日、2008年まで在籍していた古巣ハンブルガーSVに復帰。移籍金は推定1300万ユーロ(約13億円)で、3年契約を結んだ[6]。 2015年6月4日、契約満了により退団が発表された[7]

レアル・ベティス時代 編集

2015年6月16日レアル・ベティスへフリーで移籍[8]。5年ぶりにスペインリーグへ復帰となった。

ミッティラン 編集

2016年7月31日、ミッティランに移籍した。

エスビャウfB 編集

2018年8月4日エスビャウfBに移籍した。

2018年11月4日、現役から引退した。

代表経歴 編集

2001年10月6日アンドラ戦ではオランダ代表デビューを果たした。

EURO2004にも出場を果たしたが、2004-2005シーズンは不本意な成績に終わった。EURO2008ではチームの中盤の核として活躍し、オランダのグループリーグ突破に貢献した。

2010 FIFAワールドカップに臨むオランダ代表23人に選ばれ、準優勝に貢献した。

 
2010FIFAワールドカップでのファン・デル・ファールト(右)とスナイデル(左)

2014 FIFAワールドカップに臨むオランダ代表には、負傷の影響で招集されなかった。

その他 編集

  • 父親はオランダ人、母親はカディス近郊出身のスペイン人である。
  • 妻はオランダ人モデル・タレントのシルビー・メイス。2005年に結婚、2009年にはメイス夫人の闘病生活に付き添うなど仲睦まじい夫婦であったが、2013年に口論となった際にファン・デル・ファールトの暴力が原因で同年中に離婚した。また二人には息子・ダミアンがおり、2018年現在、ドイツのアマチュアクラブでプレーしている。
  • ヴェスレイ・スナイデルとはアヤックス・ユース時代からの親友である。一方でアヤックス時代のチームメイト、ズラタン・イブラヒモビッチとは非常に仲が悪く、犬猿の仲であった。2008年、イブラヒモビッチが在籍するインテル・ミラノ移籍の噂が流れた際、トラブル再燃が噂された。その他、元アヤックスのマクスウェルクリスティアン・キヴとは良好であった。
  • アヤックスからハンブルクへの移籍の決定的理由とは相手サポーターからの侮辱行為である。女優である妻に対するバッシングコールや野次に怒り心頭で移籍を決意した。しかしその妻とは2013年に離婚した。
  • 南アW杯抽選会でオランダ日本カメルーンデンマークと同じE組に入った中、レアル・マドリードの記者会見において記者に感想を尋ねられた際に、他の選手が慎重なコメントを見せる中で、最後に「日本には勝つよ」と余裕の勝利宣言。質問したのが日本人記者だったため「君のために日本は2位だと言っておくよ」とあくまでリップサービスで余裕を見せ日本は眼中にないという自信満々の様子であった。
  • ハンブルガーSV在籍当時、1点ビハインドで迎えた後半ロスタイム、味方ゴールキーパーがパワープレーで敵陣に上がっているのに気が付かずに自陣にバックパス、相手選手と競走になるもそのままゴールを許してしまったことがある(ちなみに相手選手とはブンデスでも俊足で知られるマリオ・ゴメス)。
  • ヨハン・クライフに「走りすぎ」と言われるほどの運動量を持ち合わせ、オランダ代表やクラブの試合では最も長い走行距離となることが多い。[9]
  • 2013年、ブンデスリーガでバイエルン・ミュンヘンに2-9の記録的大敗を喫した直後、UEFAチャンピオンズリーグの準決勝の予想として「バイエルンはバルセロナに対してノーチャンス」とコメントし話題になった。しかし、2戦合計7-0という大差でバイエルンがバルセロナを退けるという、そのコメントとは全く正反対の結果となった。
  • 2019年10月13日に行われた引退試合で、ルイ・ファン・ハールは「彼はピッチ上で常にクリエイティヴであろうとする数少ないフットボーラーの一人。彼は常にクリエイティヴだったが、常にだらしない奴でもあった。最高にプロフェッショナルでは無かったが、信じられないほどのタレントだった」と語っている。それに対してファン・デル・ファールトは「ロッカールームにチキンナゲットがあると分かっていたら、僕はサラダやパスタを食べなければいけない時よりも速く走った」とコメントしている[10]

個人成績 編集

クラブ シーズン リーグ 背番号 リーグ戦 カップ戦 リーグカップ 欧州カップ戦 その他 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
アヤックス 1999–00 エールディヴィジ - 1 0 - - - - - - - - 1 0
2000–01 27 7 1 0 - - 4 2 - - 32 9
2001–02 20 14 2 2 - - 5 1 - - 27 17
2002–03 23 21 18 2 2 - - 6 2 1 2 30 22
2003–04 10 26 7 1 0 - - 7 1 - - 34 8
2004–05 22 6 2 0 - - 7 1 1 0 32 7
合計 117 52 8 2 0 0 29 7 2 2 156 63
HSV 2005–06 ブンデスリーガ 23 19 9 2 0 - - 8 6 6 2 35 16
2006–07 26 8 0 0 2 0 5 3 - - 33 11
2007–08 29 12 4 4 - - 9 3 2 2 44 21
合計 74 29 6 4 2 0 22 11 8 4 112 48
Rマドリード 2008–09 プリメーラ 23 32 5 1 0 - - 7 0 2 0 42 5
2009–10 26 6 2 1 - - 3 0 - - 31 7
合計 58 11 3 1 0 0 10 0 2 0 73 12
トッテナム 2010–11 プレミアリーグ 11 28 13 1 0 0 0 7 2 - - 36 15
2011–12 33 11 5 1 1 0 1 1 - - 40 13
2012–13 2 0 0 0 0 0 0 0 - - 2 0
合計 63 24 6 1 1 0 8 3 0 0 78 28
HSV 2012–13 ブンデスリーガ 23 27 5 0 0 - - - - - - 27 5
2013–14 27 7 3 1 - - - - 2 0 32 8
2014–15 24 4 2 1 - - - - 1 0 27 5
合計 78 16 5 2 0 0 0 0 3 0 86 18
ベティス 2015–16 プリメーラ 23 7 0 2 0 - - - - - - 9 2
合計 7 0 2 0 0 0 0 0 0 0 9 0
ミッティラン 2016–17 スーペルリーガ 8 15 2 2 0 - - 1 0 - - 18 2
2017–18 2 0 0 0 - - 0 0 - - 2 0
合計 17 2 2 0 1 0 20 2
エスビャウfB 2018–19 スーペルリーガ 10 3 0 0 0 - - - - - - 3 0
合計 3 0 0 0 3 0
総合計 417 134 31 10 3 0 70 21 16 6 537 171

その他の公式戦

  • 2009年
  • 2014年
    • ブンデスリーガ 残留・昇格プレーオフ 2試合0得点
  • 2015年
    • ブンデスリーガ 残留・昇格プレーオフ 1試合0得点

代表での成績 編集

 
オランダ代表でプレーするファン・デル・ファールト(2009年)

出場試合数 編集


オランダ代表国際Aマッチ
出場得点
2001 1 0
2002 2 0
2003 10 3
2004 13 1
2005 9 2
2006 5 1
2007 10 5
2008 14 1
2009 10 2
2010 14 1
2011 5 1
2012 10 4
2013 6 4
通算 109 25

得点 編集

# 開催日 開催地 対戦国 スコア 結果 大会
1 2003年9月6日   ロッテルダムデ・カイプ   オーストリア 1–0 3–1 UEFA EURO 2004予選
2 2003年9月10日   プラハトヨタ・アレーナ   チェコ 2–1 3–1
3 2003年10月11日   アイントホーフェンフィリップス・スタディオン   モルドバ 4–0 5–0
4 2004年6月1日   ローザンヌスタッド・オランピック・ドゥ・ラ・ポンテーズ   フェロー諸島 1–0 3–0 親善試合
5 2005年9月7日   アイントホーフェン、フィリップス・スタディオン   アンドラ 1–0 4–0 2006 FIFAワールドカップ予選
6 2005年10月8日   プラハ、トヨタ・アレーナ   ウルグアイ 0–1 0–2
7 2006年11月15日   アムステルダムアムステルダム・アレナ   イングランド 1–1 1–1 親善試合
8 2007年2月7日   ロシア 4–1 4–1
9 2007年6月2日   ソウルソウルワールドカップ競技場   韓国 0–1 0–2
10 0–2
11 2007年6月6日   バンコクラジャマンガラ・スタジアム   タイ 0–1 1–3
12 2007年11月21日   ミンスクディナモ・スタジアム   ベラルーシ 2–1 2–1 UEFA EURO 2008予選
13 2008年9月10日   スコピエスコピエ市立競技場   北マケドニア 0–2 1–2 2010 FIFAワールドカップ予選
14 2009年4月1日   アムステルダム、アムステルダム・アレナ 4–0 4–0
15 2009年8月12日   イングランド 2–0 2–2 親善試合
16 2010年6月1日   ロッテルダム、デ・カイプ   ガーナ 2–0 4–1
17 2011年3月25日   ブダペストプシュカーシュ・フェレンツ・シュタディオン   ハンガリー 0–1 0–4 UEFA EURO 2012予選
18 2012年5月30日   ロッテルダム、デ・カイプ   スロバキア 2–0 2–0 親善試合
19 2012年6月17日   ハルキウメタリスト・スタジアム   ポルトガル 1–0 1–2 UEFA EURO 2012
20 2012年10月12日   ロッテルダム、デ・カイプ   アンドラ 1–0 3–0 2014 FIFAワールドカップ予選
21 2012年10月16日   ブカレストスタディオヌル・ナツィオナル   ルーマニア 1–3 1–4
22 2013年3月22日   アムステルダム、アムステルダム・アレナ   エストニア 1–0 3–0
23 2013年3月26日   ルーマニア 1–0 4–0
24 2013年10月11日   ハンガリー 7–1 8–1
25 2013年11月16日   ヘンククリスタル・アレナ   日本 1–0 2–2 親善試合

脚注 編集

  1. ^ uefa.com (2005年5月28日). “ファン・デル・ファールトが移籍”. 2009年7月11日閲覧。
  2. ^ AFP BB News (2008年8月5日). “レアル・マドリード ファン・デル・ファールト獲得を発表”. 2009年7月11日閲覧。
  3. ^ スポーツナビ (2009年3月29日). “ファン・デル・ファールト「僕はレアル・マドリーから出たい」”. 2009年7月11日閲覧。
  4. ^ スポーツナビ (2010年3月9日). “ファン・デル・ファールト、戦力外から勝利の立役者へ”. 2010年3月11日閲覧。
  5. ^ goal.com (2010年8月18日). “V・D・ファールト:「マドリーに残りたい」”. 2010年9月3日閲覧。
  6. ^ hsv.de (2012年8月31日). “HSV holt Rafael van der Vaart zurück”. 2012年8月31日閲覧。
  7. ^ HSV公式 (2015年6月4日). “Tschüs und danke, Jungs!”. 2015年6月5日閲覧。
  8. ^ レアル・ベティス公式 (2015年6月16日). “Van der Vaart: "Sé lo que significa este Club y vengo con mucha ambición"”. 2015年6月17日閲覧。
  9. ^ Whatever happened to Rafael van der Vaart? http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/europe/4673085.stm
  10. ^ https://twitter.com/FOXSportsnl/status/1183431445974540290

外部リンク 編集

公式