ランボルギーニ・イオタ
イオタ(Jota )は、ランボルギーニが1969年末から「ミウラ」をベースに製造した実験車両(通称「J」)、および「J」のレプリカ車両の通称である[1]。
ランボルギーニ・イオタ | |
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イオタのレプリカ(No.3033)2006年撮影 | |
製造国 |
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販売期間 |
オリジナル: 1971年 レプリカ: 1972年-1975年 |
設計統括 | ボブ・ウォレス |
乗車定員 | 2人 |
ボディタイプ | 2ドアクーペ |
エンジン | 水冷 V12 DOHC 3,929cc |
駆動方式 | MR |
最高出力 | J: 440ps/8,500rpm[1] |
変速機 | 5MT |
全長 | 4,390mm |
全幅 | 1,780mm |
全高 | 1,000mm |
ホイールベース | 2,505mm |
-自動車のスペック表- |
名称について編集
この車両は製造当初、FIAの競技規定 付則J項にちなんでJと呼ばれていた。その後、この個体の存在が広く知られるようになると、外見がよく似た「ミウラ」を改造して「J」に似せた個体がランボルギーニ社内外で生み出されるようになった。これらの個体は「Jota」(ラテン文字の字母「J」のスペイン語における名称)と呼ばれるようになり、そこから派生してオリジナルの「J」も「Jota」と呼称されるようになった(ただしJotaのスペイン語での発音は「ホータ」に近い)。なお、イタリア語では通常は「J」の文字を使わないため(日本=Giapponeが有名な例)、「iota」とも表記される。
オリジナル「J」編集
概要編集
ランボルギーニの走行実験を担当していた責任者ボブ・ウォレスの指揮の下、1969年11月から「ミウラ改良のための先行開発」を名目とし、競技規定 付則J項(車両規定項目)の「プロトタイプ・スポーツカー」の車両規則を満たしながら製造された実験車両がオリジナルの「J」であった[1]。名目がレーサー開発でないのはレース出場禁止が当時の社是であったことによる[1]。
オリジナルの「J」は外見とパワートレインをミウラから流用していたが、車両の基本となるシャシーについては、リアセクションの一部を除いてサスペンションの形式やジオメトリ、ステアリングラックのマウント位置もまったく異なる設計がなされていた[1]。トレッド幅は広げられており、ブレーキもベンチレーテッド・タイプのディスクとされた。ホイールはフロント9in、リア12in幅のカンパニョーロ(現テクノマグネシオ)製である。
シャシーの材質は鋼鉄であるが、部分的には軽合金も使用して軽量化が図られていて、シャシーとボディーパネルはブラインドリベットで接合されている。パネル表面の多数のリベットは薄いアルミのエッジからの破断防止のために打たれており、このリベットが「J」や「イオタ」とミウラの外観上の大きな差異にもなっている。
ボディーについて、ルーフはミウラの鋼鉄製のものを流用していたが、前後のカウルはアルミニウム板から造られた[1]。ヘッドランプがミウラのポップアップ式からアクリルで覆われた固定式に変更されている[1]。フロントのグリル面積も拡大され、グリルの両側にはチンスポイラーが追加された。給油口もフロントフェンダーに露出する形に変更された。スペアタイヤや実用性のないトランクも装備されているが、これらは当時の競技車両規定を満たすためのものであった。
エンジン・トランスミッションはベースとなるミウラと同じく横置のイシゴニス式で排気量も3,929ccのままである。ただしオイル供給方式はドライサンプに変更されている[1]。圧縮比を11.5に向上しキャブレター変更により公称の最高出力は440ps/8,500rpmとなった[1]。
その他消火器やキルスイッチを装備する等厳密にJ項を満たしている[1]。
1971年ゲルハルト・ミッターがドライブしてニュルブルクリンクでのマイナーレースで走ったとされている[1]が、これは1980年代に発行された社史を執筆したジャーナリストの勘違いが元になっている。実際は1968年のホッケンハイムのレースで、旧西ドイツディーラーのステインウインターからほぼノーマルのミウラでミッターは出場している。
「J」の売却と廃車編集
オリジナル「J」はボブ・ウォレスのチームによって3万kmほどの走行実験を行なった後[1]、シャシーNo.4683を与えられ[2]、1972年8月2日ジャリーノ・ジュリーニという人物に売却された。それからヴァルテル・ロンキという人物を経て、レーシング・チーム『スクーデリア・ブレシア・コルサ』(Scuderia Brescia Corse )のオーナーで車のコレクター、アルフレッド・ ベルポナー(Dr Alfredo Belponer )が購入した。しかしこの取引を担当した自動車販売業者エンリコ・パゾリーニ(Enrico Pasolini )がミラノ東部にある開通前のブレシア高速道路にて高速テスト中、230km/h前後で5速にシフトアップしようとした瞬間、急にノーズが浮き上がり横転して車両火災が発生、「J」は廃車となってしまった。
エンリコ・パゾリーニは1ヶ月程の入院となった。オリジナル「J」は修理不能な程のダメージを負い、その残骸はランボルギーニが回収した後、エンジン等の再生可能パーツを取り外して別の個体に載せ変えたという。
この個体に搭載されていたエンジンNo.20744はウェットサンプに改造され、現在アメリカの個人オーナーが愛車のミウラNo.4878に搭載している[3]。
レプリカ編集
工場を訪れてオリジナル「J」を見た顧客からの要望により、「J」売却から遡ること約1年間に、ランボルギーニはミウラを元にした「J」のレプリカを数台製造しSVJの名で生産証明が発行された[1]。ネコ・パブリッシング刊「Rosso」の取材によるとシャシーNo.4088、4860、4934、4990、5084、5090、5113の7台がSVJという見解になっている。またシャシーNo.4808、4892、5100もSVJに非常に近く調査中である[4]。
このように、現存する「イオタ」は全てレプリカということになる。先述のランボルギーニ純正のレプリカ以外にも個人オーナーによりイオタ化されたミウラが多数存在する。
- No.4860
- No.4892
- 1971年7月ミウラP400SVとして販売された後1972年頃工場に戻されてSVJに改装された。1977年に京都トミタ・オートにより日本へ輸入され、岡崎宏司によりテストレポートが執筆され1977年9月号のモーターファン誌上に掲載。各地スーパーカーショーで「本物のイオタ」として展示された[1]。エンジンはミウラSVを基本にライトチューンが行なわれたというがウェットサンプのままである[1]。日本に輸入されていた時のタイヤはピレリ・レーシングのオールウェザーであった[1]。輸入後、オーナーの手により各部にモディファイを施され、これに試乗した福野礼一郎はその仕上がりを絶賛している[1]。奈良県、東京都のオーナーを経て、2010年にアメリカに売却された。
- No.4934
- イラン皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィーがオーダー。イラン革命後、長らく宮殿内に保管されていたが、1990年代に放出、ニコラス・ケイジがオークションで落札した。ケイジは2003年まで所有、イギリスのガレージに売却された。
- No.5090
- No.5100
- No.4990
- No.3781「SVR」
- 1968年11月30日に工場を出たミウラP400をベースとし、ヘルベルト・ハーネの注文でSVJに改装され1975年11月工場を出た。当時の最新ロープロファイルタイヤ「ピレリP7[1]」装備のため、後輪用にノーマルと同じパターンの3ピース[1]ディープリムホイールがカンパニョーロ[1]によって作られ、それに合わせてリアフェンダーがかなり拡げられている[1]。ハーネは自分のディーラー工場でレカロのシート、AUTOFLUGのシートベルト、ブラウプンクトのオーディオ、BBSのホイール、ウォルター・ウルフがオーダーした極初期のカウンタックLP400に装着されていたものと同形のリアウイング[1]を取り付け、よりレーシーな外観に仕上がっている。この車はSVRと呼ばれ、一人のオーナーを経て当時30万米ドルで日本人に売却され、1976年6月2日に日本に上陸した。長らく愛知県小牧市のショップで保管されており、かつてはNo.4892と同様に各地のスーパーカーショーで展示されて回った。現在オーナーは代わったものの未だ日本にある。
- No.3033「クローン・イオタ」
- ランボルギーニの創立40周年記念、ランボルギーニの本社で開催されたイベントにて現れたもの。オリジナル・イオタが、現代にタイムスリップしてきたのではないかと思わせるその姿に誰もが驚いた車こそがNo.3033のイオタ、通称クローン・イオタ。オリジナルにそっくりなイオタであるが、ランボルギーニが製作した正規のイオタではなく、イギリスの田舎町にある「ザ・カー・ワークス」で製作され、クローン・イオタの製作には、11年の歳月と25万ポンド以上の資金がつぎ込まれたとのこと。残されたオリジナル・イオタの写真と一部の設計図を元にオリジナルを忠実に再現したのがクローン・イオタである。よって、ミウラから流用した部品はオリジナル・イオタと同様、ルーフだけだ。エンジンなどメカニカルな部分は、アメリカのアリゾナ州フェニックスにある「ボブ・ウォレス・カーズ」、あのボブ・ウォレスが担当。オリジナル・イオタを作成した本人によって、再び組まれたエンジンは正にクローンと言える。
脚注編集
参考文献編集
- 『イオタ白書 2002-2009』ネコ・パブリッシング〈NEKO MOOK〉、2009年9月。のち復刻版、2010年3月。
- 『ザ・スーパーカー・シリーズ:ランボルギーニ・ミウラ&イオタ』ネコ・パブリッシング〈NEKO MOOK〉、2014年9月。
- 福野礼一郎「イオタの真実」『福野礼一郎の晴れた日にはクルマに乗ろう総集編 vol.1』マガジンボックス〈M.B.MOOK〉、2015年2月。
関連項目編集
ランボルギーニ S.p.A. ロードカータイムライン 1962- | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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タイプ | 1960年代 | 1970年代 | 1980年代 | 1990年代 | 2000年代 | 2010年代 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | ||
MR(含ミッドシップ4駆) | V12 | ミウラ | カウンタック | ディアブロ | ムルシエラゴ | アヴェンタドール | アヴェンタドールS | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イオタ | レヴェントン | ヴェネーノ | チェンテナリオ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
V8/V10 | シルエット | ジャルパ | ガヤルド | ウラカン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2+2 | ウラッコ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
FR | GT | 350GT | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2+2 | 400GT | イスレロ | ハラマ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エスパーダ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
クロスカントリー4WD SUV |
LM002 | ウルス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オーナー 親会社 |
フェルッチオ・ランボルギーニ | ロセッティ、 レイマー |
イタリア政府管理下 | ミムラン | クライスラー | メガテック | Vパワー | アウディ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
試作レーシングカー: ランボルギーニ・イオタ(1969)、ランボルギーニ・ハラマRS(1973)、ランボルギーニ・ウラッコ・ラリー(1973) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コンセプトカー: ランボルギーニ・エストーケ(2008)、ランボルギーニ・エゴイスタ(2013)、ランボルギーニ・アステリオン(2014)、ランボルギーニ・テルツォ ミッレニオ(2017) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
人物: フェルッチオ・ランボルギーニ、ジャンパオロ・ダラーラ、マルチェロ・ガンディーニ、パオロ・スタンツァーニ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公式WEBサイト: Automobili Lamborghini Holding Spa |