リカルド・ギオーネRiccardo Ghione, 1922年2月22日2003年)は、イタリア脚本家映画監督映画プロデューサーである[1]。日本ではリッカルド・ジオーネとも表記されるが、イタリア語の「ghi」は「ジ」ではなく「ギ」に近い。

Riccardo Ghione
リカルド・ギオーネ
生年月日 (1922-02-22) 1922年2月22日
没年月日 2003年
出生地 イタリアの旗 イタリア ピエモンテ州アレッサンドリア県アックイ・テルメ
職業 脚本家映画監督映画プロデューサー
ジャンル 映画ネオレアリズモイタリア式コメディ
活動期間 1951年 - 2000年
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来歴・人物 編集

1922年(大正11年)2月22日、イタリア・ピエモンテ州アレッサンドリア県アックイ・テルメに生まれる[1]

第二次世界大戦終結後、満29歳になった1951年(昭和26年)、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『ある三面記事についてのメモ』をプロデュースしたのが、もっとも古い映画界での記録である[1]。1953年(昭和28年)には、フェデリコ・フェリーニミケランジェロ・アントニオーニカルロ・リッツァーニディーノ・リージフランチェスコ・マゼッリチェーザレ・ザヴァッティーニアルベルト・ラットゥアーダが監督したオムニバス映画をプロデュース、このころから、脚本の集団執筆作業に加わり始めている[1]

1967年(昭和42年)、監督業に進出、1971年(昭和46年)までに4作を監督するが、以降、脚本業に専念する[1]

2000年(平成12年)、サルヴァトーレ・サンペリの脚本に参加したのが、作品に関する、もっとも新しい記録である[1]

フィルモグラフィ 編集

特筆以外は脚本執筆作である[1]

関連事項 編集

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  1. ^ a b c d e f g Riccardo Ghione, Internet Movie Database (英語), 2010年8月26日閲覧。

外部リンク 編集