リキサ・ア・ダンマーク (スウェーデン王妃)
リキサ・ア・ダンマーク(デンマーク語:Rikissa af Danmark, スウェーデン語:Rikissa Valdemarsdotter, 1180年ごろ - 1220年5月8日)は、エリク家のスウェーデン王エリク10世の王妃で、エリク11世の母。
リキサ・ア・ダンマーク Rikissa af Danmark | |
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スウェーデン王妃 | |
リキサの墓石 | |
在位 | 1210年 - 1216年 |
出生 |
1180年ごろ |
死去 |
1220年5月8日 デンマーク |
埋葬 | デンマーク、リングステズ |
結婚 | 1210年 |
配偶者 | エリク10世 |
子女 |
ソフィア マルタ マリアンネ インゲボリ エリク11世 |
家名 | エストリズセン家 |
父親 | デンマーク王ヴァルデマー1世 |
母親 | ソフィヤ・ウラジミロヴナ |
生涯
編集リキサはデンマーク王ヴァルデマー1世とミンスク公女ソフィヤ・ウラジミロヴナの間の娘である。リキサの名は、もともとロタリンギア=ブルグントの女性の名であったが、母方の祖母リクサ・ボレスワヴヴナから名付けられた[1]。1210年ごろ、スヴェルケル2世を廃位して新しく王位についたエリク10世は、従来スヴェルケル家を支持し、ノルウェーを支持していたエリク家とは敵対関係にあったデンマークと和平を結ぼうと考えた。このため、デンマーク王ヴァルデマー2世の妹リキサがエリク10世と結婚することとなった。
後世に伝わる民謡によると、リキサがスウェーデンに着いたとき、馬車ではなく馬に乗るよう求められたことに驚いた。生国デンマークでは馬車に乗るのが普通であったためであるが、スウェーデンの貴族の女性や女官は、リキサが自身の慣習を通そうとするより、スウェーデンの慣習に従うよう促した[2]。
リキサは夫エリク10世の存命中は娘しか産まれなかった。エリク10世は1216年に死去したが、そのときリキサは身ごもっており、夫の死後に唯一の息子であるエリク11世を産んだ。しかしエリク10世の遺族はスウェーデンから追放され、エリク10世の後にはスヴェルケル家のヨハン1世が王位についた。リキサが死去したのはデンマークで、息子の即位(1222年)も、娘たちの結婚も見届けることはできなかった。リキサはリングステズに埋葬された。リキサ個人について具体的にわかっていることはないが、彼女の子孫にリキサの名がよく付けられていることから、人気があったとみられる[1]。
子女
編集脚注
編集- ^ a b Hans Gillingstam. "Rikissa", Svenskt biografiskt lexikon, https://sok.riksarkivet.se/SBL/Presentation.aspx?id=6755
- ^ A.M. Strinnholm, Svenska folkets historia, Vol. IV. Stockholm: Hörbergska, 1852, pp. 241-2.
参考文献
編集- Åke Ohlmarks: Alla Sveriges drottningar. Stockholm: Gebers, 1973.