リチャード・ウジェット

リチャード・ウジェット(Richard Woodget、1845年11月21日 - 1928年3月5日[1]ないし3月6日[2]は、イングランド人船長で、特に有名なクリッパー(快速帆船)であったカティーサーク号が、オーストラリアイギリス の間の羊毛貿易に従事して最も成功していた時期に、その船長 (マスター・マリナー) (master mariner) を務めたことで知られた[3]

リチャード・ウジェット
船長
生誕 (1845-11-21) 1845年11月21日
イングランドの旗 イングランド
ノーフォークドッキング
死没 1928年3月6日(1928-03-06)(82歳)
イングランドの旗 イングランド
ノーフォーク州ドッキング
国籍 イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランド
職業 船長
雇用者 ジョック・ウィリス船会社
著名な実績 カティーサーク号の船長
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しばしばウジェットが撮影したとされる、カティーサーク号の写真。
バーナム・ノートンの聖マーガレット教会にある墓。

リチャード・ウジェットは、ノーフォークバーナム・ノートン英語版の農家に生まれ、最初に海に出たのはイギリスの東海岸を航行する沿岸貿易船の船員としてであった。1868年船長 (マスター・マリナー)英語版の資格をサウス・シールズで取得した[2]1881年ジョック・ウィリス (Jock Willis) から、コールドストリーム (Coldstream) という古い船の船長に任じられ[2]、次いで1885年カティサークの船長に任じられた。船員としても、統率者としても尊敬されていたウジェット船長は、イギリスとオーストラリアの間を結ぶ航路において、いくつもの記録破りの航海をおこなった[4]

1895年にカティサークがポルトガルに売却されると、ウジェット船長はコールディンガム (Coldinghame) 号の指揮を執ることとなった。しかし、彼はこの船では1回しか航海に出ず、そのまま海員生活から引退してしまった。彼は、生まれ故郷のノーフォークで、バーナム・オーバリー・ステイスに農場を購入し、1926年までそこに住み続けた。1921年に二人目の妻ウィニフレッド・ベイシャム・パーカー (Winifred Basham Parker) と結婚した。彼は、1928年3月5日ないし6日に死去し[1][4][5]、亡骸はバーナム・ノートンの聖マーガレット教会英語版に埋葬された。

脚注 編集

  1. ^ a b 遺言検認英語版告知による日付は3月5日
  2. ^ a b c “The Captain of the Cutty Sark”. The Times (London, England): p. 21. (1928年3月7日) 
  3. ^ Cutty Sark – History – 1883 – 1895”. Cutty Sark Trust. 2006年6月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年5月22日閲覧。
  4. ^ a b The Cutty Sark”. Cutty Sark Preservation Society. 2006年5月22日閲覧。
  5. ^ Commemorative plaque on house in East Harbour Way, Burnham Overy Staithe. Noted on 20 May 2006.