リチャード・ロイ・オルセン(Richard Roy "Rich" Olsen、1957年6月1日 - )はアメリカ合衆国ハワイ州[1]出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。NPB阪神タイガースに所属していた。

リチャード・オルセン
Richard Olsen
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ハワイ州
生年月日 (1957-06-01) 1957年6月1日(66歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
177 lb =約80.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1978年 MLBドラフト4巡目
初出場 1983年8月11日
最終出場 1984年9月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴 編集

プロ入りとブルワーズ傘下時代 編集

1978年MLBドラフト4巡目 (全体86位) でミルウォーキー・ブルワーズから指名されプロ入り。 翌1979年には早くもAAA級バンクーバー・カナディアンズに昇格するも、メジャーでプレーすることはできなかった。

阪神時代 編集

1983年に飛び入りで阪神タイガースの入団テストを受験。テストは合格したものの、この時すでに阪神ではランディ・バースキム・アレンスティーブ・ストローターが在籍していたため、外人枠(※「外人」は以下も含め、当時の呼称)の関係で保留となっていた(当時、外人枠として支配下登録できるのは3名まで)[2]

ただ、同年の阪神はシーズン当初から投手陣が軒並み不調で投手の緊急補強に迫られていたこと、外人3人のうちストローターが当面復帰できないほどの怪我を負ったこともあり、ストローターの解雇と入れ代わり選手登録される。同年8月14日ヤクルト戦で初勝利し、来日7試合目の中日戦では初完投勝利を挙げた。140kmを越す荒れ球のストレートが武器で、「バッキー2世」と期待された。

しかし、2年目は制球力をつけるフォーム改造が裏目に出て一気に不振に陥り、期待に応えられず同年限りで解雇された。

阪神退団後 編集

1985年からはイタリアリーグ・セリエAグロッセート・オリオールズに入団し、1990年にはリーグ初の完全試合を達成。1991年に引退し、背番号の48はチームの永久欠番である。

引退後 編集

その後、大学生主体のチーム「ハワイ・アイランド・ムーバーズ」の監督として何度も来日しており、2012年には元プロ野球選手高橋一三が監督を務める山梨学院大学と対戦[3]。結果は延長10回引き分けだった。

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
1983 阪神 13 11 1 0 0 4 2 1 -- .667 281 66.2 67 9 25 0 1 40 3 1 29 26 3.51 1.38
1984 29 16 0 0 0 2 9 0 -- .182 431 98.2 92 20 53 2 4 57 6 0 58 51 4.65 1.47
NPB:2年 42 27 1 0 0 6 11 1 -- .353 712 165.1 159 29 78 2 5 97 9 1 87 77 4.19 1.43
  • 「-」は記録なし

記録 編集

背番号 編集

  • 43(1983年 - 1984年)

脚注 編集

  1. ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、136ページ
  2. ^ リベラ、呉昇桓、ドリス…2010年以降は3人のセーブ王!好投手が多かった阪神助っ人守護神の歴史”. 週刊ベースボールONLINE (2021年2月15日). 2021年6月17日閲覧。
  3. ^ 山学大野球部がハワイ選抜・ムーバーズと国際交流試合

関連項目 編集

外部リンク 編集