リベラル・アーツ

現代では、学士課程において、人文科学・社会科学・自然科学の基礎分野を横断的に教育する科目群・教育プログラムに与えられた名称

リベラル・アーツ: liberal arts)とは、

自由七科と哲学

本項では両方について述べる。

概説編集

リベラル・アーツの起源は、人間が自由人兵役義務などを負う市民)と非自由人(奴隷)に分けられていた古代ギリシア・ローマでの、「自由人にふさわしい学芸[1]」である。これを理念的な源流として、中世ヨーロッパの大学では基礎学問の七科を指した。

欧米、とくにアメリカ合衆国では、おもに専門職大学院に進学するための基礎教育としての性格も帯びているともされている。

なお日本語の「藝術」という言葉はもともと、明治時代に啓蒙家の西周によってリベラル・アートの訳語として造語されたものである。

由来編集

「リベラル・アーツ」の由来は複雑であり、簡潔に説明するのは専門家でも困難とされる[2]

英語の「リベラル・アーツ」(liberal arts)の語源は、ラテン語の「アルテス・リベラレス」(artes liberales)である[3]。この「アルテス・リベラレス」は、古代ギリシア語の「エンキュクリオス・パイデイア」(ἐγκύκλιος παιδεία)に対応する[4][5][注釈 4]。また「アルテス」(単数形: アルス, ars)は、ギリシア語の「テクネー」(τέχνη)にも対応する[7]

古代ギリシアにおいて「パイデイア英語版」は「教育」や「教養[8]、「テクネー」は「技術」や「学芸」を意味し、どちらも多義的かつ重要な語だった。傾向としては、「パイデイア」は自由人のもの、「テクネー」は職人奴隷のもの、という意味合いがあった[9]。ただし、「テクネー」の中でも修辞学(弁論術)などは自由人のものだった[7]

そのような背景のもと、「エンキュクリオス・パイデイア」という語は、プラトンが『国家』第7巻で説いたような、基礎諸学科を指す語として使われた[10][注釈 5]。すなわちプラトンは、体育古代ギリシアにおける体育)やムーシケー(文芸詩歌古代ギリシアにおける音楽)に加えて、哲学的問答を学ぶための準備として、17、18歳までの少年時代に、算術幾何学天文学を学ぶ必要があると説いた[12][注釈 6]。プラトンによれば、これは職人のための学問とは区別される、彼の哲人国家論における統治者のための学問だった[13]。プラトンの学園アカデメイアでも、同様の基礎諸学科すなわち「エンキュクリオス・パイデイア」が学ばれた[11]。ただし、「エンキュクリオス・パイデイア」の語はヘレニズム哲学の諸派においても使われ、含まれる学科もまちまちだった[11]

古代ローマにおいては、キケロ発想論英語版』や『弁論家について英語版[3]セネカ倫理書簡集英語版』第88書簡[3][注釈 7]ウァッロ佚書[14][注釈 8]アウグスティヌス秩序論ドイツ語版[16]など、様々な文献で[17]、「アルテス・リベラレス」や類似表現が使われた。しかしながら、古代ローマにおいても含まれる学科はまちまちだった[17]。例えばキケロ『弁論家について』第3巻127節では、エリスのヒッピアスの言葉を引く形で、「自由人にふさわしい高尚な学問」(liberales doctrinae atque ingenuae)として、幾何学・音楽・文学・詩人の薀蓄・自然学倫理学政治学を挙げている[18]。またキケロはプラトンと異なり、哲学よりも修辞学を上位のものとしていた[18]

5世紀から6世紀(古代ローマ末期・中世初期)になると、マルティアヌス・カペッラカッシオドルスボエティウスら複数の人物が、後の「自由七科」(セプテム・アルテス・リベラレス、septem artes liberales、七自由学芸)に含まれる七科を決定付けた[19]。カペッラは『フィロロギアとメルクリウスの結婚』で、文法学・修辞学・論理学・算術・幾何学・天文学・音楽の七学科を擬人化した。カペッラは上記のウァッロの影響を受けていた[15](ただしウァッロは七科ではなく九科としていた)[14]。カッシオドルスは『綱要』第2巻で、「アルテス・リベラレス」の語源を説明した上で、カペッラを意識しつつ同じ七科をあてた[20][21]。ボエティウスは『三位一体論』などで、カッシオドルスと同様の学問分類を行った[21]

8世紀から9世紀カロリング朝ルネサンス期)になると、カール大帝の学問振興政策により、自由七科が教育の根幹に位置づけられ[22]アルクインアルス・グラマティカ(文法学)英語版』などで自由七科が論じられた[23]10世紀には、教皇シルウェステル2世がボエティウスの影響のもと自由七科を扱った。12世紀ルネサンス期には、シャルトル学派のテオドリクス(シャルトルのティエリ英語版)が『ヘプタテウコン(七自由学芸の書)』を著した。

13世紀大学ストゥディウム・ゲネラーレ)が学問の中心地になると、神学部法学部医学部に進む前の学芸学部哲学部教養学部とも)で自由七科が教えられた[24]1215年には、教皇特使ロベール・ド・クールソン英語版によって、自由七科の最初の体系的カリキュラムが示された[25]

また中世初期から、「アルテス・リベラレス」と対になる「アルテス・メカニカエ英語版」(artes mechanicae)も理論化された[26]。12世紀サン・ヴィクトルのフーゴーは『ディダスカリコン(学習論)フランス語版』で、織物制作・武具製造・商業・農業・食料生産・医術・演劇の七技芸を「アルテス・メカニカエ」とした[26]

19世紀以降は、英国のジェントルマン教育や米国のリベラル・アーツ・カレッジに、自由七科の理念が引き継がれた[27]。英米の大学ではしばしば、自由学芸を象徴する七女神の立像が、講堂(オーディトリアム)の高みにぐるりと飾られている。

内容編集

三学(トリウィウム編集

5世紀のマルティアヌス・カペッラ『フィロロギアとメルクリウスの結婚』には、三学(トリウィウム, trivium)が暗示されているが、この言葉が使われるようになったのは、カロリング朝ルネサンス期(8世紀 - 9世紀)のアルクインからであり[20]、次節の「クワドリウィウム」に倣って造語された[28]

四科(クワドリウィウム)編集

以下の数学的四学科を括ること自体は、プラトン『プロタゴラス』に伝えられるエリスのヒッピアスや、6-7世紀のイシドールスによって行われているが、四学科を「クワドリウィウム英語版」(quadrivium, 四つの道)と呼ぶことは、6世紀のボエティウスに始まる[6]

日本におけるリベラル・アーツ編集

日本におけるリベラル・アーツ教育編集

日本でのリベラル・アーツ教育における米国との大きな違いは、米国における「リベラル・アーツ・カレッジ」は学部で幅広く基礎分野を学んだのちに大学院に進学することを前提としているのに対し、日本ではリベラル・アーツを修了した学生の大学院進学率が低いという点である。 その他の点においても、日本独自の発展を見せている。日本におけるリベラル・アーツ教育は、「様々な知に触れることで、汎用的な思考力を養う[29]」を軸に、主に3タイプに分けられる[30]

  • ①遅い専門化
    遅い専門化(: late specialization)とは大学入学時には細かく専攻を決めず、基礎分野である人文科学・自然科学・社会科学を網羅的に幅広く学べる課程を据え、学びながら専攻を自分で決めていくという過程のことである。米国の「リベラル・アーツ・カレッジ(教養)→大学院(専門)」というプロセスと同じ構造である。学生にとっては、「実際に学びながら、自分の専攻を垣根なくじっくりと選ぶことができる」というメリットがある。後述の「学際系」の分野も専攻の対象に含まれる。東京大学教養学部国際基督教大学が、人文科学・自然科学・社会科学を網羅しており、この形式を採っている。
  • ②学際系
    日本で生まれている独自のリベラル・アーツ教育。専門分野を持ちながらも、複数の学問分野を横断した教育が行われる。主に以下の2パターンに大別される。
  • ③4年間を通じて国際教養教育のみを行うケース
    2000年以降に設置された国際教養学部がこの形式である(早稲田大学国際教養大学法政大学など)。自然科学や数学といった理系分野の専攻は設置されず、これら分野の講義があったとしても、概論レベル止まりであることが多い。国際性が正面切って出されており、学生からも「広く浅くは学べたが、あまりに浅すぎた」「教授達が力を出しきれていない」「(経済学など一つの分野において)段階的、体系的に学べるようになっていないので、初級・中級・上級もレベルの差がない」「広く浅すぎて結局何を勉強したのか分からない」「本来、米国で大学院進学を前提に作られているのに、日本では大学院に進学せずに行き止まり。無理がある」など、専門性の弱さを指摘する声もある[34]

歴史編集

数学者であり複数の大学で学長を務めた大口邦雄は著書『リベラル・アーツとは何か——その歴史的系譜』[35]で、東京大学教養学部国際基督教大学 (ICU) 教養学部を日本におけるリベラル・アーツ教育機関の代表としてあげている。

前者の東京大学は、第二次世界大戦前の旧制高等学校の伝統を受け継ぐものである。旧制高等学校は戦後になって4年制大学に改組されると、多くの大学において教養部一般教育課程・教養課程)がリベラル・アーツ教育の役目を担ってきた。しかし東京大学においては、教養部ではなく教養学部を独立した学部として設置した点で特徴的である。

後者のICUは米国のリベラル・アーツ・カレッジを範として戦後作られたものであり、人文科学・自然科学・社会科学の3領域を網羅し、専攻を自分で選ぶ教育を少人数で行う点、そして米国リベラル教育学会の認定を受けるなど世界基準の教育を行う点で、旧来の日本の大学とは一線を画すものとなった。リベラル・アーツ教育と国際性の2つを特徴とするICUの教育システムは、その後多くの大学にも引き継がれるようになる。

また旧制高等学校からの歴史を持つ大学群に関して事例を挙げると、浦和高等学校を継ぐ埼玉大学は当初設置の文理学部を1965年に教養学部へと改組した[36]。このほかの旧制高等学校からの歴史を持つ大学はその教養部を学際系学部に改組してきている。京都大学総合人間学部第三高等学校)、名古屋大学情報学部第八高等学校)、広島大学総合科学部広島高等学校)などをはじめ、学際系学部として独立している。

加えて、師範学校を前身とする国立の教育大学GHQの指示で米国のリベラル・アーツ・カレッジを範として戦後に設立された大学である。これらの大学は、自然科学、社会科学、人文科学および芸術の専攻からなる少人数教育を行なっており、1970年前後に国の方針で教育大学教育学部に改組する以前はリベラル・アーツの訳語である自由学芸から引いた学芸大学学芸学部という名称であった。なお東京学芸大学は教養系を、大阪教育大学は教養学科を設置し、現代的なリベラル・アーツ教育を行なっている。同様に、リベラル・アーツ・カレッジに範をとった津田塾大学は現在も学芸学部という名称を使用している。

21世紀に入ってからは社会科学・人文科学専攻とその周辺の学際領域専攻やビジネス専攻に限定した国際教養学部等の設置が目立ち、その事例として早稲田大学での学部設置や、公立大学法人の国際教養大学の設立が挙げられる。本来は人文科学・自然科学・社会科学の3領域の基礎分野すべてを網羅するのが現代のリベラル・アーツの基本であるが、日本においては戦前の旧制高等学校の「文科と理科」及び戦後の高等学校の「文系と理系」の分類が先行し、「リベラル・アーツ」を掲げつつもいわゆる文系分野が主たる領域となって3領域すべてをカバーしない(例えば、ビジネス専攻と社会科学系・国際系の学際領域専攻のみに限定され、数学や物理学や宗教学や芸術学の専攻ができず、また教育職員免許状は英語しか取得できない)など、専攻可能な分野に偏りがある場合もある。特に自然科学については専攻として一切設けられていないことが多い。

上記のように、旧来の一般教育・教養課程を改組することでリベラル・アーツ教育(もしくはリベラルアーツと直接の関わりを必ずしも明示しない学際教育)を担う学部・プログラムを設置する大学が少なくない。その豊かな教員構成を活用して、これらから敷衍されうる分野も扱われるようになった。この他、全学での単位互換を行うといった制度への取り組みも挙げられる。

なお一部で「教養学」という言葉を、学問の体系化された分野として用いることがある[1][2][3]が、「教養学」という名称を「学問の一分野」として用いた学術団体は2012年時点で存在していない。例として2011年に設立された学術団体であるJAILA(日本国際教養学会)を挙げると、同会は会則で「学際的立場」を基礎としており、「学際的な学会」として研究活動を「哲学、歴史、社会科学、自然科学、芸術、教育、外国語、環境など」[4]の多方面に広げている点を示しているのみである。

リベラルアーツ教育を行う大学編集

教養学部にてリベラル・アーツ教育を行う大学編集

国際系学部等でリベラル・アーツ教育を行う大学編集

教育学部にてリベラル・アーツ教育を行う大学編集

理工系学部にてリベラル・アーツ教育を行う大学編集

リベラル・アーツ教育を主体とする女子大学編集

学際教育を行う学部を持つ大学編集

全学部横断型のリベラルアーツ教育プログラムを持つ大学編集

東京経済・岡山・高知・九州の4大学のプログラムは独立した学部ではなく、全学部が協力して教育を行う特別なコースとなっている。学生には個別の学部ではなく、プログラム独自の学生証が発行される。

リベラルアーツ教育を行う各種学校編集

その他編集

東京都八王子市にある大学セミナー・ハウスのシンボルマークは白地に緑の切り株であるが、それについている7枚の葉は自由七科を表している。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 国によりこの位置づけの変化が起きた時代は微妙に異なる。イギリスドイツフランスの間でも異なった。またひとつひとつの大学ごとにも異なった。
  2. ^ 円運動についての学問。現在の地理学にも近い。
  3. ^ ここでいう音楽の教育は、現代の音楽教育とは範疇が異なる。
  4. ^ 「エンキュクリオス」は形容詞で、「輪の中で」「円形の」そこから転じて「通常の」「日常的な」「一般におこなわれている」を意味する[6]
  5. ^ クセノクラテスに関する断片などからの推測による[11]
  6. ^ プラトン自身は、立方体(3次元)に関する研究もなされるべきとするが、学問としては未開拓のまま残されているとして具体的な科目を挙げていない。
  7. ^ 「アルテス・リベラレス」が「エンキュクリオス・パイデイア」と対応づけられるのも、このセネカの書簡に由来する[4]
  8. ^ 12世紀シャルトル学派のテオドリクス(シャルトルのティエリ英語版)の『ヘプタテウコン』(七自由学芸の書)で報告される[15]

出典編集

  1. ^ 半田 2010, p. 38.
  2. ^ 菱刈 2010, p. 37.
  3. ^ a b c 鈴木 2019, p. 35.
  4. ^ a b 納富 2014, p. 72.
  5. ^ 小林 2007, p. 7.
  6. ^ a b 小林 2007, p. 4.
  7. ^ a b 菱刈 2010, p. 31.
  8. ^ 山田 2008, p. 218.
  9. ^ 山田 2014, p. 217.
  10. ^ 山田 2008, p. 218f.
  11. ^ a b c 納富 2014, p. 70f.
  12. ^ 国家』7巻
  13. ^ 『国家(下)』(岩波書店)藤沢令夫の訳
  14. ^ a b 小林 2007, p. 6.
  15. ^ a b 半田 2010, p. 158.
  16. ^ 山川 2005, p. 136.
  17. ^ a b 小林 2007, p. 10.
  18. ^ a b 鈴木 2019, p. 36.
  19. ^ 半田 2010, p. 155.
  20. ^ a b 菱刈 2010, p. 38.
  21. ^ a b 半田 2010, p. 156.
  22. ^ 半田 2010, p. 157.
  23. ^ アルクイヌス著、山崎裕子訳 1992.
  24. ^ 菱刈 2010, p. 42.
  25. ^ 菱刈 2010, p. 44.
  26. ^ a b 斎藤 1995, p. 11.
  27. ^ 山田 2008, p. 217.
  28. ^ Marrou, Henri-Irénée (1969). "Les arts libéraux dans l'Antiquité classique". pp. 6–27 in Arts libéraux et philosophie au Moyen Âge. Paris: Vrin; Montréal: Institut d'études médiévales). pp. 18–19.
  29. ^ 国際基督教大学 特設サイト「what's liberal arts」より
  30. ^ 『大学Times』Vol.2、2011年7月
  31. ^ 外国語学部経済学部法学部
  32. ^ 文学部横断プログラム、および外国語学部
  33. ^ 国際教養学部
  34. ^ 早稲田大学 土屋礼子ゼミジャーナル「リベラルアーツの魅力は何か」より
  35. ^ 大口 2014.
  36. ^ 埼玉大学の沿革”. 2015年2月9日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年6月25日閲覧。
  37. ^ グローバル・リベラルアーツ学部 | 神田外語大学” (日本語). 神田外語大学 - 外国語を学ぶなら. 2021年2月4日閲覧。

参考文献編集

関連項目編集