メインメニューを開く

概要編集

スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル (SOM) の一員、ゴードン・バンシャフトが設計した、インターナショナルスタイルの精髄とも呼べる簡素なガラス箱のような摩天楼で、ニューヨーク市に建てられた最初のガラスカーテンウォール工法の建物である。全高は94mである。

1951年から1952年にかけて建設されたリーバ・ハウスは、その形状のみならず中庭や建物周囲のパブリックスペースの存在でも革新的であった。後に、パーク・アヴェニューに面した企業本社のビルの多くがこうした四角いガラス箱のような形状に追随したが、その滑らかで革新的なデザインにかなうビルは存在しない。ミース・ファン・デル・ローエがパークアヴェニューの向かいに建てた超高層ビル、シーグラム・ビルディングはほぼ間違いなく質において同等といえるが、近くのほとんどの超高層ビル(ほとんどがエミリー・ロス・アンド・サンズ事務所によるもの)はリーバ・ハウスほど独特の存在感を持っていないといえる。

リーバ・ハウスは石鹸などを製造するイギリスの化学会社、リーバ・ブラザーズ社(Lever Brothersユニリーバの米国子会社)の米国本社ビルであった。ユニリーバは長年、米国において、1930年のマーガリン・ユニー社との合併前に定着していたリーバ・ブラザーズという名称を使い続けていたが、1990年代半ばに名称をユニリーバに統一し、米国本部機能もニュージャージー州のイングルウッド・クリフにほとんどが移転した。1990年代後半には一部の部門がリーバ・ハウスに残っていたが、2004年に完全に退去した。

補修編集

1992年ニューヨーク市歴史建造物保存委員会はリーバ・ハウスを市の公式なランドマークの一つであると指定した。しかしその時点までにリーバ・ハウスの当初の輝きは経年劣化で大部分失われていた。ビル前面の青緑色のガラスファサードは、長年厳しい風雪にさらされてきたことと建設当時の工法や材質の限界のために劣化していた。グレージング・ポケット(ガラスをはめる部分)の中と周りの炭素鋼が錆びたり膨張したりしたために、水が窓の縦仕切りとなるステンレス鋼の後ろにまでしみ出していた。この腐食のため、窓の横仕切りが曲がり、スパンドレルのガラスパネルの大半が割れていた。1990年代半ば、リーバ・ハウスはドイツの不動産王アビー・ローゼンが率いるRFRホールディングスに売却された。彼のもとで、買収後すぐさま大規模な改修工事が行われ、建設時のガラスはわずか1%を残して全部取り替えられた。劣化していた鋼材のサブフレームは最新式のカーテンウォール工法を応用し、オリジナルとまったく見た目の変わらないアルミ製のガラス枠材に置き換えられた。腐食していた縦仕切りやキャップも新しく見た目が同じのステンレス製品に代えられた。ガラスのほとんども、オリジナルとほとんど同じ見た目で、現在のエネルギー基準に合ったパネルに代えられている。

パブリック・アート編集

改修計画はビルの中庭部分に大理石のベンチ群を追加することやイサム・ノグチの彫刻庭園を建設することも含んでいた。これらはリーバ・ハウス設計時にあった計画だったが、経費の関係で実現していなかった。

改修計画の竣工以来、中庭と1階ロビーはリーバ・ハウス・アート・コレクションのギャラリーとして使われることとなった。2005年6月、中庭にキース・ヘリング彫刻群、ジェフ・クーンズE.V.デイの彫刻と並んでダミアン・ハーストの彫刻『ヴァージン・マザー』が展示されたが、解剖図のようなグロテスクさに賛否両論が起こった。1階ロビーには他にもさまざまな美術作品が入れ替えられながら公共に展示されている。

脚注編集

  1. ^ リーバ・ハウス - Emporis (英語)
  2. ^ National Park Service (2010-07-09). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service.

外部リンク編集