ルイ・ド・ブルボン=コンデ (クレルモン伯)

ルイ・ド・ブルボン=コンデ: Louis de Bourbon-Conde, 1709年6月15日 - 1771年6月16日)は、ブルボン朝期のフランス貴族。クレルモン(クレルモンタン=アルゴンヌ)伯(comte de Clermont-en-Argonne)。

ルイ・ド・ブルボン=コンデ
Louis de Bourbon-Conde
クレルモン伯

出生 (1709-06-15) 1709年6月15日
フランス王国ヴェルサイユ
死去 (1771-06-16) 1771年6月16日(62歳没)
フランス王国パリ
家名 ブルボン=コンデ家
父親 コンデ公ルイ3世
母親 ルイーズ・フランソワーズ・ド・ブルボン
サイン
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クレルモン伯ルイ

生涯 編集

コンデ公ルイ3世ルイーズ・フランソワーズ・ド・ブルボンの第9子として生まれる。ルイ15世の青年期の摂政として絶大な権力を振るったブルボン公ルイ・アンリ(コンデ公ルイ4世アンリ)の弟、フランス革命戦争でコンデ軍を率いることになるコンデ公ルイ5世ジョゼフの叔父にあたる。

軍人で、スービーズ元帥からは「優秀な将校」と評価されているが、本人はぐうたらな生活の方が性に合っていたようで、1760年代にサン・ジェルマン・デ・プレ教会座主となるが、放蕩の限りを尽くした。


前任
クロード・グロー・ド・ボーズ
アカデミー・フランセーズ
席次34

第5代:1753年 - 1771年
後任
ピエール=ローラン・ビュワレット・ド・ベロワ