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ルイーズ・ミシェル(Louise Michel, 1830年5月29日 オート=マルヌ県ヴロンクール=ラ=コートフランス語版生まれ - 1905年1月9日 マルセイユ没)は、フランスの教員無政府主義者フリーメイソン会員[1]であり、パリ・コミューンで活躍した人物の一人。初めて黒旗を掲げ、これを無政府主義運動のシンボルとした人物であり、「アンジョルラス (Enjolras)」と呼ばれた。

ルイーズ・ミシェル
Louise Michel
Louise Michel.jpg
ネロダン(Néraudan)による銅版画
生誕 (1830-05-29) 1830年5月29日
フランスの旗 フランスオート=マルヌ県ヴロンクール=ラ=コートフランス語版
死没 (1905-01-09) 1905年1月9日(74歳没)
フランスの旗 フランスマルセイユ
職業 教師作家

早くから教育に関心を持ち、数年間教壇に立った後の1856年に26歳でパリへ移った。パリでは文学、教育学、政治の活動に関わり、1860年代の革命家ブランキ主義フランス語版者ら(「オーギュスト・ブランキ」参照)らとの交友を持った。1871年にはパリ・コミューンに積極的に加わり、後方のみならず最前線でも活動した。同年5月に逮捕されてニューカレドニアへと追放され、無政府主義に傾倒した。1880年にフランスへ帰国した際には非常な人望を獲得しており、プロレタリアを支援するデモや集会を数多く先導した。依然として警察の監視対象となっており幾度も投獄を経験するが、これに倦むことなく、74歳で没するまでフランス全土において政治活動を続けた。

ルイーズ・ミシェルはパリ・コミューンの立役者の一人であり、また1860年代における革命主義的な教育運動を代表する人物の一人である。革命思想や無政府主義思想における影響力は現在もなお衰えていない。

経歴編集

生い立ちと青年時代編集

ルイーズ・ミシェルは1830年5月29日オート=マルヌ県ヴロンクール=ラ=コートで、ヴロンクール城の使用人マリアンヌ・ミシェルの娘として生まれた。父親は不明だが、城主ローラン・ドゥマイとされている[2]。ルイーズは(彼女が「祖父母」と呼んだ)ローラン・ドゥマイの両親の家で育てられた。幼少期から思いやりに溢れる性格で、幸福な少女時代を過ごしたとされる。ヴォルテールルソーを読み、リベラルな教育を受けた[3]

1851年からオート=マルヌ県ショーモンで学業を続け[4]、生徒の復習を手伝い、授業の監督をする「女性副教師」[5](現在の小学校教員に相当) の免状を取得した。1852年9月に、22歳でオードロンクールフランス語版(オート=マルヌ県)において自由学校を設立し、一年間教鞭を執った後、パリに移り住んだ[4]。1854年末にクレモン (オート=マルヌ県)フランス語版に小学校を設立したが、教壇に立ったのはやはり一年間のみであった[4]。1855年にはミリエール (オート=マルヌ県)フランス語版小学校を設立した[6]

パリ編集

1856年、ミシェルはパリに移り、10区のシャトー・ドー通りで女性副教師として教職に就いた。ヴォワリエ夫人の元に寄宿し、夫人と母娘のような関係を長く続けることとなった[2]。積極的な活動を開始したのはこの頃であり、以後15年間にわたって教育活動を続けた。1865年、ウードン通り24番地に通学制の学校を開き、1868年にはウード通りにさらに一校を設立した[4]。文学にも関心を持ち、アンジョルラスという筆名で書いた詩を初め様々な文章を発表している[7]。文筆で身を立てることを期待していたとも言われる。当時の著名人筆頭であり敬意の的であったヴィクトル・ユゴーとも間も無く知己を得、1850年から1879年までにはユゴーと文通を続け[3]、詩も数篇送っている。ユゴーは「暗きユダヤ女ユデト」(Judith la sombre Juive)あるいは「ローマ女アリア」(Aria la romaine)などでミシェルを数奇で悲劇的な命運をたどった女性として描いている。

革命家のジュール・ヴァレスフランス語版ウジェーヌ・ヴァルランフランス語版ラウル・リゴーフランス語版エミール・ウードフランス語版らと交流し、『人民の叫び』(Le cri du peuple)などの反体制の新聞に寄稿した[8]。1862年、「詩人組合」(Union des poètes)の会員になり[4]。1869年には労働者支援を目的とする「民主教化協会」(Société démocratique de moralisation)の事務局を務めた[3]。この時代のミシェルはブランキ主義者、すなわちオーギュスト・ブランキの思想を基礎とする革命的・社会主義的共和主義運動の信奉者であった[2]

普仏戦争の只中であった1870年8月、ミシェルはブランキ主義者であるエミール・ウードとガブリエル・マリー・ブリドーフランス語版の逮捕に対する抗議活動を行なった[4]第二帝政崩壊後の9月にはパリ18区の市民監視委員会(Comité de vigilance des citoyennes)の委員長に選出され、ここで恋愛関係となる[2]テオフィル・フェレフランス語版と出会った[4]。物資に乏しいパリにおいて生徒用の食堂を開設。またモンマルトル区長であったジョルジュ・クレマンソーとも知遇を得て、女性、子供、連盟兵(gardes fédérés)が兵士を取り囲んで平和的・友好的なデモを行うことになった。一方で当時ミシェルは革命運動のうちでも無政府主義に近い極めてラディカルな一派に共鳴しており、アドルフ・ティエール政権を打倒するために当時政府機能が置かれていたにもかかわらず警備が手薄であったヴェルサイユを攻撃するべきであると考え、単身でヴェルサイユに乗り込みティエールを暗殺することを志願するほどであったが[9]、賛同を得られず実現には至らなかった。

パリ・コミューン編集

ミシェル40歳のときパリ・コミューンが勃発、彼女はこれに非常に積極的に参画した。1871年1月22日には国民兵の軍装に身を包み市庁舎広場で発砲したという逸話が伝わっている[4]。宣伝員・モンマルトル第62大隊親衛隊員・救護員・戦闘員など活動は多岐に渡り、サン=ベルナール・ド・ラ・シャペル教会fr:Église Saint-Bernard de la Chapelle)の革命クラブにも参加した[2]。3月17日から18日にかけてはモンマルトルの丘での砲撃戦に参加した[4]

ヴェルサイユ政府がコミューンに攻勢をかけた4月から5月にかけてはクラマールイシー=レ=ムリノー、ヌイイでの戦闘に参加している[4]。5月のクリニャンクールのバリケード戦では市街戦に参加し、これが彼女にとって最後の前線における戦闘となった。これはその場で拘束された彼女の母親を解放するために投降したためである[8]。このときミシェルは同士の処刑に立ち合っているが、この中に恋人テオフィル・フェレがおり、彼女は『赤いカーネーション』(Les Œillets rouges)と題した別れの詩を彼に届けている。フェレはコミューン戦の指導者であったルイ・ロセルfr:Louis Rossel)とともに処刑された。裁判において彼女は自らの死を要求し、この報せを受けたユゴーは彼女に捧げた詩『ヴィロ・マジョール』(Viro Major)を書いたといわれる。1871年から1873年にかけてミシェルは牢獄に転用されていたオブリヴ修道院(Abbaye d'Auberive)に20ヶ月に渡って拘禁され、国外追放処分が決定された[2]。ヴェルサイユ政権が広報において彼女を「血に飢えた雌オオカミ」あるいは「あきれたルイーズ」(la bonne Louise)などと呼ぶようになるのはこのころである[10]

追放編集

 
ヌメアのルイーズ・ミシェル

1873年、ヴィルジニー号で出港(このときコミューンの同士と『さくらんぼの実る頃』を歌ったとも言われる)、4ヶ月の船旅の末ニューカレドニアに到着した[4]。旅の途上、論客として知られていたアンリ・ロシュフォールfr:Henri Rochefort)や、ミシェルと同様にパリ・コミューンで活躍したナタリー・ルメルfr:Nathalie Lemel)と交流しており、特にルメルとの交流はミシェルが無政府主義へ傾倒する契機となったと推測されている。ミシェルは男性と別待遇されることを頑なに拒否しつつ、7年間に渡ってニューカレドニアに滞在した[2]。この期間に『ニューカレドニア小報』(Petites Affiches de la Noubelle-Calédonie)を発刊し、『カナック人の伝説と武勲詩』(Légendes et chansons de gestes canaques)を編纂している[11]。彼女は土着のカナック人に教育を与えようとし、また1878年に彼らが蜂起した際にはこれを擁護する立場を執った[2]。これは彼らに抑圧的だった一部のパリ・コミューン経験者とは対照的であった。この翌年にヌメア(Nouméa)に居住する許可を得て教職に復帰し、追放者の子女の家庭教師を行い、次いで複数の女子学校の教壇に立つようになった。

フランスへの帰国編集

1880年11月9日に帰国するとミシェルは民衆に熱烈に歓迎され、数多くの講演や討論に参加して疲れを知らぬ闘士としての活動を再開する。帰国の二ヶ月後には連載小説の形式で『悲惨』(La Misère)の発表を開始し、これは非常な人気を獲得した[11]

ドレフュス事件が惹起した騒動からは距離をおいていたものの(攻撃の矢面に立っていた〈盟友〉アンリ・ロシュフォールを擁護するためである)、彼女は終生に渡って無政府主義運動を拠り所にすることを期していた。そしてルイズは1882年3月18日パリのファヴィエの集会において、社会主義独裁および民主的社会主義からの訣別を明かにし、無政府主義者として黒旗へ帰属することを高らかに述べることとなった。

友軍兵士の血に染まった赤旗はもうよい。私はわれらの死者と幻想の弔いとして黒旗を掲げよう。[12]

この新しい政治姿勢は、1883年3月9日にエミール・プジェフランス語版とともに組織したアンヴァリッドにおける失職者(sans-travail)のデモとして直ちに行動へと具体化された。このデモは時を措かずして暴徒と化して三軒のパン屋を襲撃し治安部隊と衝突するに至った。数週間後に当局へ出頭したミシェルは6月、「掠奪を扇動した」との咎で禁固6ヶ月および10年間高等警察の監視下とする、との判決を受けた[13]。1886年1月、共和国大統領ジュール・グレヴィfr:Jules Grévy)により恩赦が与えられた[14]。しかしながら8月には再度投獄され、4ヶ月拘置される。今回はジュール・ゲードfr:Jules Guesde)、ポール・ラファルグfr:Paul Lafargue)、スジーニ(Susini)と連帯してドゥカズヴィル(Decazeville、アヴェロン県)の鉱山労働者を支援するべく行なった弁論がその原因であった。控訴を拒否したが最終的には11月に減刑、釈放された[4]

 
1888年のルイーズ・ミシェル襲撃

1887年1月、友人ドュヴァルに対する死罪の宣告に対抗し、死刑反対の立場を表明する[8]。1888年1月22日には、この日の午後にル・アーヴルのでゲテ劇場フランス語版演説を終えたその夕方、「ふくろう党」(フランス革命当時の反革命王党派を指す呼称)を称するピエール・ルカス(Pierre Lucas)に襲撃され、短銃で2発撃たれ頭部を負傷した。しかしミシェルはこの襲撃者を告訴することを拒否している[8]

1890年4月、サン=テティエンヌでの演説とヴィエンヌでの暴力デモの発端となった集会への参加後逮捕される。ひと月後ミシェルの仮釈放が決定するが、同時に告訴された者が拘置されていたためこれを拒否。独房を滅茶滅茶に破壊するようになったため医師によって精神異常として措置入院が要請されたが、トラブルを恐れた政府はこれを却下した。このときミシェル60歳である。最終的には釈放され、6月4日にヴィエンヌからパリへと移った[4]。7月にはロンドンへ亡命し、数年間現地で自由主義の学校を運営した。1895年11月13日に再び帰国した際には彼女を歓迎する群集がサン=ラザール駅に集まった[4]

生涯最後の10年間には友人らと共に行なったロンドン滞在を挟みつつ、革命思想・無政府主義の重鎮としてパリや地方で数多くの講演を行なうと同時に、疲れを見せることなく街頭で闘い続けた。1895年、無政府主義者セバスティアン・フォールfr:Sébastien Faure)と共に新聞『絶対自由主義』(Le Libertaire)を発刊[8]。1896年7月27日にはロンドンで開催された国際社会主義労働者・労働組合会議(congrès international socialiste des travailleurs et des chambres syndicales ouvrières)に参加[4]。デモの際には数度に渡って逮捕され、6年間の投獄処分が決定されたがジョルジュ・クレマンソーの仲介によって3年で釈放された。これは死の床にあった母親を見舞うためであった[2]。ミシェルに対する警察の監視は非常に厳しく、この他にも何回か投獄を経験している。

1905年1月、講演行脚の中途で肺炎に倒れ、マルセイユで没した。1月21日朝にパリで行なわれた彼女の葬儀には何千という群集が集まった[3]。数多くの者が弔辞を述べ、この中にはフリーメーソン「普遍的友愛支部」(la Loge de la Fraternité Universelle)の長の姿もあった[2]。彼女の墓碑にはフリーメーソンの記章と紋が刻まれ、セバスティアン・フォールはこれを指し、彼女はいかなる団体にも、無政府主義団体にさえ帰属していない、なぜならば無政府主義運動は未だに確立されていないからであると述べたが[2]、一方でミシェルが実際に国際フリーメーソン組織「人権」(fr:le Droit humain、1893年に世界初の女性フリーメイソン会員マリア・ドレームと急進左派の県会議員ジョルジュ・マルタンによって設立された男女混成のロッジ)に入会していたとの証言もある(アンドレ・ロリュロフランス語版による)[15]。ミシェルはその死の前年、マドレーヌ・ペルティエMadeleine Pelletier)の勧めで入会の言葉を述べたといわれる。入会儀式は行なっておらず紹介会員のような形であり、この支部(ロッジ)の会員は彼女が招待に応じて加盟したことを名誉とし入会儀式を免除したとのことである。実際、フランス女性グランドロッジ (GLFF) の公式ウェブサイトには、「1904年9月13日、「社会哲学」ロッジ内の男女混合スコットランド象徴グランドロッジで入会儀式を受けた」と書かれている[1]

後世における影響編集

顕彰編集

1916年まで毎年ルヴァロワ=ペレfr:Levallois-Perretオー=ド=セーヌ県)の墓所で記念集会が行なわれていた[8]。1946年には遺骨が同じ墓地の「義務に没した者」(Victimes du devoir)と名付けられた一画に移された[4]。彼女の墓には今日でも絶えることなく花が手向けられている。

フランスの公立幼稚園・小中高等学校・大学のペディメントには彼女の名を刻むものが多い。また1937年9月24日にはルヴァロワ=ペレに彼女を記念して地下鉄駅「ルイーズ・ミシェル」が開設された。2004年2月28日、モンマルトルとの縁によってサクレ=クールの足元のウィレット広場(le grand square Willette)に彼女の名が冠されることとなった。なおこの改称は、元々の広場の名称となっていた漫画家アドルフ・レオン・ウィレットfr:Adolphe Léon Willette)の反ユダヤ主義的傾向がパリ市議会で問題とされたという事情もあった。

またパリ政治社会研究所(Centre d'études politiques et de sociétés de Paris)は「対話・民主主義・平和の発展」に貢献した人物を賛えるものとして「ルイーズ・ミシェル賞」を主宰している[16]。近年、このミシェルの名を冠した賞がベン=アリーホスニー・ムバーラクなどへ授与されたが、これは議論を呼んだ[16]

2005年は没後100年にあたり、様々な記念行事が行なわれた。パリ市とActazé(CNRSおよびパリ第1大学と提携している私立文化団体[17])主催による3月のコロック『ルイーズ・ミシェル:その領域横断的な肖像』(Louise MIcheal, Figure de la transversalité、ヴァレリー・モリニャ監修)など、かつて揶揄された「あきれたルイーズ」にオマージュを捧げるコロックが2つ開催されている[18]。前記コロックにはルイーズ・ミシェルの研究者22名が集い、ミシェルの現代も輝きを失わない稀有な人間性に光を当てた。またこの機会にピエール・アンベール演出の芝居が制作されている[19]

社会的遺産編集

 
肖像写真

ルイーズ・ミシェルは今日でもなお無政府主義運動および労働運動全般にとって象徴的な人物である。聖人や異端者の名を冠して言及されることもしばしばであり、「あきれたルイーズ」(Bonne Louise)と呼ばぬ者は逆に「赤い聖母」(Vierge rouge)と呼ぶ。学識と教養に富む彼女の周囲には常に多くの歴史に名を残した男性たちがおり、彼女が絶命するその時まで(とはいえ彼らは先に没することが多かったが)こうした交友は絶えることがなかった。

アメリカにおけるフェミニズム研究には彼女の影響が残されており、この文脈では郊外の社会危機を描いた彼女の小説『悲惨』(La misère)もまた重要である。またルイーズ・ミシェルはジョルジュ・サンドとともに、19世紀の女性として生前に男装を行なった極めて稀な人物であり、女権拡張運動の火付け役としても評価されている。

ルイーズ・ミシェルが執筆したものには終生の関心事であった子供たちに向けられたものを含む詩・伝承・物語などが多く、理論的著作はほとんど見られないものの、彼女は自身でそう呼ぶところの「社会革命」(révolution Sociale)活動によって後世に名を残すこととなったといえよう[20]

2008年11月29日には、左翼党の設立準備に当たってジャン=リュック・メランションはミシェルの名を挙げ「われわれは左翼党を設立するに当たり、2つの肖像をその守護とし、ともに歩むこととしよう。すなわちジャン・ジョレスとルイーズ・ミシェルである」と宣言した[21]

大衆文化編集

  • フランスのロックグループ、ルイーズ・アタックfr:Louise Attaque)はその名称をルイーズ・ミシェルから借りている。
  • フランスの実験的パンク・ロックグループに同じく名を借りたレ・ルイーズ・ミシェル(Les Louise Mitchels)というものがある。
  • 2005年、クレマン・リオ(Clément Riot)は音楽作品(叙事詩・音楽・朗読等からなる複合作品)Daouimi - in memoriam Louise Michelでミシェルにオマージュを捧げた[22]
  • ブノワ・ドゥレピーヌ(fr:Benoît Delépine)とギュスタヴ・ケルヴェル(fr:Gustave Kervern)は『ルイーズ・ミシェル』(fr:Louise-Michel)と題した映画を制作している。これは本人の物語ではなく、ミシェルの生き様を暗示する脚本に基づくもの(一人の労働者が雇い主を打倒するために殺し屋を雇うという筋)。

著作一覧編集

  • Fleurs et ronces, poésies, Paris.
  • Le claque-dents, Paris.
  • Lueurs dans l’ombre. Plus d’idiots, plus de fous. L’âme intelligente. L’idée libre. L’esprit lucide de la terre à Dieu... Paris, 1861.
  • Le livre du jour de l’an : historiettes, contes et légendes pour les enfants, Paris, 1872.
  • Légendes et chansons de gestes canaques, 1875, Nouméa
  • Le Gars Yvon, légende bretonne, Paris, 1882.
  • Les Méprises, grand roman de mœurs parisiennes, par Louise Michel et Jean Guêtré, Paris, 1882.
  • La Misère par Louise Michel, 2e partie, et fr:Jean Guêtré 1re partie, Paris, 1882.
  • Ligue internationale des femmes révolutionnaires, Appel à une réunion. Signé : Louise Michel, Paris, 1882.
  • Manifeste et proclamation de Louise Michel aux citoyennes de Paris, Signé Louise Maboul, Paris, 1883.
  • Le Bâtard impérial, par L. Michel et J. Winter, Paris, 1883.
  • Défense de Louise Michel, Bordeaux, 1883.
  • La Fille du peuple par L. Michel et A. Grippa, Paris, 1883.
  • Contes et légendes, Paris, 1884.
  • Légendes et chants de gestes canaques, par Louise Michel, 1885.[23]
  • Les Microbes humains, Paris, 1886.
  • Mémoires, Paris, 1886, t. 1., rééd. fr:Sulliver
  • L’Ère nouvelle, pensée dernière, souvenirs de Calédonie (chant des captifs), Paris, 1887
  • Les Crimes de l’époque, nouvelles inédites, Paris, 1888.
  • Lectures encyclopédiques par cycles attractifs, Paris, 1888.
  • Le Monde nouveau, Paris, 1888.
  • Prise de possession, Saint-Denis, 1890.
  • À travers la vie, poésies, Paris, 1894.
  • La Commune, Histoire et souvenirs, Paris, 1898.
    • 『パリ・コミューン ― 一女性革命家の手記』上下2巻 (天羽均, 西川長夫訳, 人文書院, 1971)
  • Le Rêve, (dans un ouvrage de Constant Martin) Paris, 1898.

没後に刊行されたもの :

  • Vol. I. Avant la Commune, préface de Laurent Tailhade, Alfortville, 1905.
  • Les Paysans, par Louise Michel et Émile Gautier, Paris, Incomplet.
  • Je vous écris de ma nuit, correspondance générale, 1850-1904, édition établie par Xavière Gauthier, Édition de Paris-Max Chaleil, 1999.
  • Histoire de ma vie, texte établi et présenté par Xavière Gauthier, 180 pages, Presses Universitaires de Lyon, 2000, ISBN 2-7297-0648-8
  • Lettres à Victor Hugo lues par Anouk Grinberg, cédérom, Frémeaux, 2008
  • Le livre du bagne, précédé de Lueurs dans l’ombre, plus d’idiots, plus de fous et du livre d’Hermann, texte établi et présenté par Véronique Fau-Vincenti, 200 pages, Presses Universitaires de Lyon, 2001, ISBN 2-7297-0662-3.
  • Légendes et chansons de gestes canaques (1875), suivi de Légendes et chants de gestes canaques (1885) et de Civilisation, texte établi et présenté par François Bogliolo, 238 pages, Presses Universitaires de Lyon, 2006, ISBN 2-7297-0746-8.
  • La Misère roman de Louise Michel et Marguerite Tinayre, texte présenté par Xavière Gauthier et Daniel Armogathe, 1203 pages, Presses Universitaires de Lyon, 2006, ISBN 2-7297-0777-8.

脚注編集

本記事全般について:この記事はJean Maitron, Dictionnaire biographique du Mouvement ouvrier françaisの項目「Louise Michel」に多くを拠っています。
  1. ^ a b La Grande Loge Féminine de France”. www.glff.org. 2019年3月31日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k Dictionnaire biographique du Mouvement ouvrier français, article Louise Michel, Jean Maitron, Les Editions de l'Atelier, 1997 (disponible sur biosoc.univ-paris1.fr)
  3. ^ a b c d Sur toupie.org
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Chronologie de la vie de Louise Michel sur ac-creteil.fr
  5. ^ 松田祐子「女性の職業のパイオニア ― フランス第三共和政前半 の女性小学校教師」『パブリック・ヒストリー』第15号、2018年2月、 4頁。
  6. ^ Michel Winock (2001). Les Voix de la Liberté. Seuil. 
  7. ^ http://www.terresdecrivains.com/Louise-MICHEL
  8. ^ a b c d e f Sur le site ac-grenoble.fr
  9. ^ Fernand Planche, La vie ardente et intrépide de Louise Michel, Édition Tops-H. Trinquier, 2005
  10. ^ Louise Michel, Xavière Gauthier, Histoire de ma vie, 2e et 3e parties, Presses Universitaires de Lyon, coll. « Hors Collection », 2000 ISBN 2729706488
  11. ^ a b http://lire.ish-lyon.cnrs.fr/spip.php?article131
  12. ^ Louise Michel, Meeting salle Favié, 18 mars 1882
  13. ^ Dominique Leborgne, Saint-Germain des Prés et son faubourg, Paris, Parigramme, 2005, p. 200.
  14. ^  , Correspondance du 4 mai 1885 à fr:Lissagaray, in Rene Bidouze, Lissagaray, la plume et l'épée
  15. ^ L'Idée libre, avril 1959
  16. ^ a b Bouteflika, prix Louise-Michel, sur humanite.fr
  17. ^ 公式サイト参照。
  18. ^ Les informations complètes sur ce colloque intitulé « Louise Michel, Figure de la transversalité » sont sur les pages d’Actazé qui publiera début 2007 l’intégralité des conférences Louise Michel, Figure de la Tranversalité
  19. ^ Présentation
  20. ^ Louis Andrieux, Souvenirs d'un préfet de police, Paris, J. Rouff, 1885
  21. ^ http://www.jean-luc-melenchon.fr/?p=649 Verbatim du discours fondateur du Parti de Gauche
  22. ^ Sur atelierdecreationlibertaire.com
  23. ^ Disponible sur le serveur Gallica

関連項目編集

参考文献編集

  • Irma Boyer, La Vierge rouge. Louise Michel, d’après des documents inédits, avec quatre portraits, André Delpeuch éd., 1927.
  • Clotilde Chauvin, Louise Michel en Algérie, La tournée de conférences de Louise Michel et Ernest Girault en Algérie (octobre-décembre 1904), Éditions Libertaires, 2007
  • Pierre Durand, Louise Michel ou la révolution romantique, Éditeurs Français Réunis, 1971.
  • Pierre Durand, Louise Michel, la passion. Pantin : le Temps des cerises, 2005. 180 p., 20 cm. ISBN 2-84109-552-5. Contient un choix de poèmes de Louise Michel.
  • Françoise d’Eaubonne, Louise Michel la Canaque : 1873-1880, Éditions Encre, 1985.
  • Xavière Gauthier, La Vierge rouge, Édition de Paris-Max Chaleil, 1999. Première édition sous le titre : L’insoumise, biographie romancée de Louise Michel.
  • Ernest Girault, La Bonne Louise, Bibliothèque des auteurs modernes, 1906.
  • Xavier de La Fournière, Louise Michel, matricule 2182, Perrin, 1986.
  • Paule Lejeune, Louise Michel l’indomptable, éditions Des Femmes, 1978.
  • Jean Maitron, Histoire du Mouvement anarchiste.
  • Yves Murie, Victorine, le grand secret de Louise Michel, chez l’auteur, 2000.
  • Fernand Planche, La vie ardente et intrépide de Louise Michel, Édition Tops-H. Trinquier, 2005
  • Michel Ragon, Georges et Louise, Albin Michel, 2000.
  • Anne Sizaire, Louise Michel : l’absolu de la générosité, Desclée de Brouwer, 1995.
  • Édith Thomas, Louise Michel ou la Velléda de l’anarchie, Gallimard, 1971.
  • Gerald Dittmar "Louise Michel : DITTMAR 2004;

外部リンク編集

全てフランス語