ルイーズ・シャルラン・ペラン・ラベ(Louise Charlin Perrin Labé, 1525年 - 1566年4月25日)は、16世紀フランスの女性詩人。モーリス・セーヴなどと並び、ルネサンスリヨンで活動した代表的な詩人であり、「ラ・ベル・コルディエール」(La Belle Cordière, 綱屋小町)と呼ばれた。

ルイーズ・ラベ(1555年)

生涯と作品編集

ルイーズ・ラベはリヨンに生まれ、この町にいくつかの邸宅を保有していた富裕な綱商人ペランと結婚した。夫の財産は十分にあったので、文学に魅せられた彼女は、書物が貴重で高価な時代にあって、ギリシャ語ラテン語イタリア語フランス語スペイン語の名著を取り揃えた。また、彼女はベルクール広場の近くに広々とした庭園を所有していた。

モーリス・セーヴやペルネット・デュ・ギエとともに、ラベは「リヨン派」に属していた。とはいえ、この派はリヨンで活動した詩人たちをまとめて呼ぶときの呼称であって、「プレイヤード派」が意味するような一つの詩派とは呼べないものではある(そもそもプレイヤード派自体に議論がある)。彼女の作品を読めば、彼女が同時代のリヨンで活動していた詩人たち、とりわけ出版業者ジャン・ド・トゥルヌの工房にゆかりがあったオリヴィエ・ド・マニジャック・ペルチエ・デュ・マンと合作していたことが確認できる。

彼女が作詩に励んだ時期は、ルネサンス期フランスの詩人たちが旺盛に活動していた時期に当たっていた。この頃は、フランス詩がジョアシャン・デュ・ベレーの『フランス語の擁護と顕揚』(1549年)によって理論的基礎を与えられた時期である。また、カトゥルスホラティウスのような古代の詩人やペトラルカのスタイルに従ったり抗ったりする形で、ロンサール、マニ、ポンチュス・ド・チヤールらが詩を作り、その文学的地位を高めた時期でもある。ラベの場合、彼女が知悉していたオウィディウスの『変身物語』やその他の作品、特に『名婦の書簡』などの影響を受けた。

彼女の文化はイタリア・ルネサンスの文化であるともいえる。彼女の作品「狂気と愛をめぐる討論」は、部分的にはエラスムスの『痴愚神礼賛』に顕れた狂気をめぐる認識に影響されているようである。彼女は多くの同時代人たちの前でペトラルカの最も有名なソネットのひとつを自己流で朗誦したりもした。

彼女はギヨーム・ド・ロリスを引き継いで『薔薇物語』を完成させたジャン・ド・マンの様式には断固として反対した。彼の様式は、ロリスの神話的で象徴的な物語を非常に凡庸な記述で引き継ぐものであり、著しく女性蔑視的でさえあったためである。

ラベの作品集は1巻本であり、その中には、のちにジャン・ド・ラ・フォンテーヌがその作品の中に寓話の主題の一つを見出すことになる「狂気と愛をめぐる討論」や、3つの哀歌、サッポーに続いて女性の情熱を謳い上げたことで有名な24編のソネットなどが含まれている。 以下に彼女のソネの一部を紹介する。

『第八歌』【前半】 【後半】

われは生き、われは死す。われは燃え、われは溺る。
われは熱火に耐へつつ、しかも氷のごとく冷ゆ。
人生は我にはあまりにも軟く、あまりにも硬し。
わが倦怠はつねに歓喜と雑 (ま)じりあへり。


われは笑ふかと見れば、忽ちわれは泣く。
快楽のうちにも、われは苦悩の潜むを見出づ。
わが持てるものはすべて亡び易く、しかも失はれず。
われは忽ちにして枯れ、忽ちにして萌ゆ。

かくのごとく、アムウルは絶ゆる間なくわれを捉ふ。
われ、屢、堪へがたく苦しきことよと歎ずれば、
忽ちその苦しみ去って、心なごむを知る。

されどまた、わが幸福の完 (また)くして、
いみじきかなと悦べば、それも束の間、
われは再び前( さき)の日の不幸に突き落とさるるよ。

『第九歌』【前半】 【後半】

夜となりて、われ、柔かき臥床に入り、
いましきも快き睡りに入らんとすれば、
わが悲しめる魂はわが身より
君が方にとあくがれ出づ。


しかるときは、われはわが胸に
君を掻きいだきゐるごとき心ちす。
日もねす嗚咽に身を裂かれつつ、
心もせちに恋ひゐたりし君を。

ああ、甘き睡りよ、たへなる夜よ、
静けさにみつる快き憩ひよ、
夜もすがら、われに夢をば見せしめよ。


さらば、わが哀にも恋ふる心に
真実 (まこと)なんのよきことはあらずとも、
せめて詐たばかられてなりと、君に慰められん。

彼女は1566年にパルシュー=アン=ドンブで歿した。

ルイーズ・ラベに敬意を表したエピグラム編集

Estreines, à dame Louïze Labé
Louïze est tant gracieuse et tant belle,
Louïze à tout est tant bien avenante,
Louïze ha l'oeil de si vive etincelle,
Louïze ha face au corps tant convenante,
De si beau port, si belle et si luisante,
Louïze ha voix que la musique avoue,
Louïze ha main qui tant bien au lut joue,
Louïze ha tant ce qu'en toutes on prise,
Que je ne puis que Louïze ne loue,
Et si ne puis assez louer Louïze.

このエピグラムは1556年に再版されたラベの『作品集』に収められたもので、クレマン・マロの作と推測されている。

ルイーズ・ラベ非実在説編集

彼女の生涯についてはほとんど知られていない。我々が目にしうるものは、時には彼女の書き物から批評家たちが想像した結果だったりもするのである。曰く、ルイーズ・ラベは騎士だった、ルイーズ・ラベはレズビアンだった、ルイーズ・ラベは売春婦だった、等々。16世紀文学の専門家の中には、ルイーズ・ラベはモーリス・セーヴの周りにいた詩人たちが入念に作り上げた虚像であったと見なすことで一致している者たちもいる。2006年に研究書を上梓したミレイユ・ユションも、この仮説を推し進めている。

作品編集

参考文献編集

  • Enzo Giudici, Louise Labé, Paris, Nizet, 1981. Ouvrage de référence sur l'auteur et l'ensemble de son œuvre.
  • Poètes du XVIe siècle, Bibliothèque de la Pléïade, Éditions NRF, Gallimard, 1969
  • François Pédron, Louise Labé : La femme d'amour, Fayard, 1984
  • Mireille Huchon, Louise Labé. Une créature de papier, Droz, 2006
  • Madeleine Lazard, Louise Labé Lyonnaise, Paris, Fayard, 2004.
    • マドレーヌ・ラザール『リヨンのルイーズ・ラベ 謎と情熱の生涯』菅波和子訳、水声社、2008年