ルッザーラの戦い(ルッザーラのたたかい、英語: Battle of Luzzara)は、スペイン継承戦争における戦闘の一つで、1702年8月15日に現在のイタリアエミリア=ロマーニャ州レッジョ・エミリア県の都市ルッザーラオーストリアフランス軍が衝突した。

ルッザーラの戦い
戦争スペイン継承戦争
年月日1702年8月15日
場所モデナ公国ルッザーラ
結果:引き分け
交戦勢力
ハプスブルク君主国の旗 ハプスブルク帝国 フランス王国の旗 フランス王国
指導者・指揮官
ハプスブルク君主国の旗 プリンツ・オイゲン フランス王国の旗 ヴァンドーム公爵
戦力
25,000人 30,000人 - 36,000人
損害
2,000人 4,000人

経過 編集

1702年にフランス軍司令官に就任したヴァンドーム公ルイ・ジョゼフ・ド・ブルボングアスタッラから北上、オーストリア軍が駐屯しているマントヴァ公国の包囲を企てた。一方、オーストリア軍は政府から一向に支援が来ないため兵士が略奪に走り、住民が報復にゲリラを起こす悪循環に悩まされた。

司令官のプリンツ・オイゲンは状況打開を図りルッザーラのフランス軍キャンプ場を襲撃、ヴァンドームも応戦した。戦いは夜まで継続し、両軍共に引き上げていった。オーストリア軍の損害は2000人、フランス軍は倍の4000人に達したが、オイゲンはフランス軍をルッザーラから追い出せず、ヴァンドームも大損害を受けたため戦闘継続が出来ず、両軍痛み分けの形でイタリア戦線は停滞した。

戦後、本国からの支援が来ないことに痺れを切らしたオイゲンは、12月末にイタリア方面軍をグイード・フォン・シュターレンベルクに任せ、援助要請のためオーストリアへ帰国した。しかし、ドイツバイエルン選帝侯マクシミリアン2世が反乱を起こしたため、オイゲンは1703年神聖ローマ皇帝レオポルト1世からオーストリア軍の全権を委ねられ、1704年にドイツへ出陣していった。

参考文献 編集