ルドルフ・マリア・ハプスブルク=ロートリンゲン

ルドルフ・ハプスブルク=ロートリンゲンドイツ語: Rudolf Habsburg-Lothringen, 1950年11月17日 - )は、ハプスブルク=ロートリンゲン家の一員。最後のオーストリア皇帝福者カール1世と皇后ツィタの孫にあたる。

ルドルフ
Rudolf
ハプスブルク=ロートリンゲン家

全名
称号 オーストリア大公
出生 (1950-11-17) 1950年11月17日(73歳)
ベルギーの旗 ベルギーエノー州ブロイユ城英語版
配偶者 エレーヌ・ド・ヴィランファーニュ・ド・ヴォジェルサンク
子女
父親 カール・ルートヴィヒ・ハプスブルク=ロートリンゲン
母親 ヨランド・ド・リーニュ英語版
役職 フィラントロポスフランス語版財団会長
Triple A Gestion SA代表
宗教 キリスト教カトリック教会
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経歴 編集

 
ルドルフの住居、シャトー・ド・トルニーフランス語版。スイスの文化財に登録されている

1950年11月17日、オーストリア旧皇族カール・ルートヴィヒと、その妻ヨランド・ド・リーニュ英語版リーニュ公爵ウジェーヌ2世英語版の娘)の第一子として生まれた。

ベルギーで育ち、銀行家になった[1]

スイスフリブール州に位置する、スイスの登録文化財であるシャトー・ド・トルニーフランス語版に、25年以上居住している[1][2]。ハプスブルク家の代表者として、皇后ツィタ列福プロセスに関与している[3]

2014年4月、チェコ・ブルノ洗礼者ヨハネと福音記者ヨハネ教会チェコ語版が、福者カール1世の遺髪を聖遺物として取得した[4]。ルドルフはその式典に孫として参列し、フランス語で2時間にわたり祖父母について講義した[4]

家族 編集

妻エレーヌ(ヴィランファーニュ・ド・ヴォジェルサンク男爵家オランダ語版出身)との間に、8人の子女を儲けた。8人のうちのヨハネス、トーマス、マリー、ヨーゼフの4人がEucharisteinフランス語版のメンバーになっている[3]

  • カール・クリスティアン(1977年 - )- 2007年、エステル・ド・サン=ロマンと結婚
  • プリシラ(1979年 - )
  • ヨハネスフランス語版(1981年 - )- 2018年6月16日より、カトリックの司祭(独:Priester、仏:Prêtre[5]
  • トーマス(1983年 - )
  • マリー=ド=ネージュ(1986年 - )
  • フランツ=ルートヴィヒ(1988年 - )- 2018年、マティルド・ヴィニョンと結婚
  • ミヒャエル(1990年 - )
  • ヨーゼフ(1991年 - )

出典 編集

外部リンク 編集

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