ルートヴィヒ1世 (バイエルン王)

バイエルン王国第2代国王

ルートヴィヒ1世(Ludwig I., 1786年8月25日 - 1868年2月29日)は、バイエルン王国の第2代国王(在位:1825年 - 1848年)。全名はルートヴィヒ・カール・アウグスト (Ludwig Karl August)。先王マクシミリアン1世の長子である。

ルートヴィヒ1世
Ludwig I.
バイエルン国王
1860年に撮影された写真
在位 1825年10月13日 - 1848年3月20日

全名 ルートヴィヒ・カール・アウグスト・フォン・ヴィッテルスバッハ
出生 1786年8月25日
フランス王国
アルザス州ストラスブール
死去 (1868-02-29) 1868年2月29日(81歳没)
フランスの旗 フランス帝国ニース
埋葬 1868年3月9日 
バイエルン王国の旗 バイエルン王国ミュンヘン聖ボニファッツ修道院
配偶者 テレーゼ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン
子女 マクシミリアン2世
マティルデ
オットー
テオドリンデ
ルイトポルト
アーデルグンデ
ヒルデガルト
アレクサンドラ
アーダルベルト
家名 ヴィッテルスバッハ家
父親 マクシミリアン1世
母親 アウグステ・ヴィルヘルミーネ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
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生涯 編集

父のマクシミリアン1世はバイエルン選帝侯に即位する以前、フランス陸軍の将官としてストラスブールに赴任しており、ルートヴィヒも同地で生まれた。フランスルイ16世が名付け親を務めており、王の名を取ってルイ(Louis: ドイツ語でルートヴィヒ Ludwig)と命名された。母親はヘッセン=ダルムシュタット家のアウグステ・ヴィルヘルミーネである。1810年、バイエルン王太子となっていたルートヴィヒは、ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公女テレーゼと結婚し、1825年に父の死去によって王位を継承した。

ルートヴィヒは芸術を奨励する一方、ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ランツフートからミュンヘンに移転し、工業化も奨励した。また、マイン川ドナウ川の間にルートヴィヒ水路を作る事業を始めた。1835年ドイツ初の蒸気動力鉄道であるバヴァリアン・ルートヴィヒ鉄道をバイエルン王国内のフュルトニュルンベルクの間に敷設した。

ルートヴィヒはギリシャ独立戦争も支援し、次男オットーを1832年に初代ギリシャ国王オソン1世として送り込んだ。1830年フランス7月革命以前、ルートヴィヒは自由主義的な政策をとっていたが、革命後は反動に転じた。

1848年革命の最中、女たらしだったルートヴィヒは愛人の一人ローラ・モンテスとのスキャンダルにより退位し、長子マクシミリアン2世に譲位した。ルートヴィヒが死去したのはその20年後の1868年であった。

結婚と子女 編集

妃であるザクセン=ヒルトブルクハウゼン公女テレーゼとは1810年10月12日ミュンヘンで結婚した。彼女との間には以下の四男五女をもうけた。

関連項目 編集

ルートヴィヒ1世 (バイエルン王)

1786年8月25日 - 1868年2月29日

ドイツの君主
先代
マクシミリアン1世
バイエルン王
1825年10月13日 – 1848年3月20日
次代
マクシミリアン2世