メインメニューを開く

ルートヴィヒ5世 (バイエルン公)

生涯編集

1323年、8歳で父からブランデンブルク辺境伯領を譲られ、1342年にはケルンテン公ハインリヒ6世の一人娘でヨハン・ハインリヒと離婚したマルガレーテと結婚した。この領土拡大政策は諸侯の反発を招き、マルガレーテとルートヴィヒ夫妻は破門1346年カール4世対立王に擁立される原因になった。

1347年に父が没した時、義兄のマイセン辺境伯フリードリヒ2世ローマ王に推戴しようとしたが、拒否された。1349年にはギュンター・フォン・シュヴァルツブルクを対立王に擁立したが、ギュンターはすぐに退位した。同年、5人の弟と父の遺領を分割、ルートヴィヒ5世は上バイエルンを異母弟のルートヴィヒ6世、オットー5世と共同統治することになった(下バイエルンは同母弟のシュテファン2世、異母弟のヴィルヘルム1世、アルブレヒト1世が治めた)。

1351年、ブランデンブルク辺境伯領をルートヴィヒ6世に譲渡、引き換えに上バイエルンはルートヴィヒ5世の単独統治となった(オットー5世も所領を譲った)。オーストリア公アルブレヒト2世の尽力で1359年に破門を解除される[1]が、1361年に46歳で死去した。

マルガレーテとの間の子マインハルトに遺領が相続されたが、マインハルトも1363年夭折すると、オーストリア公ルドルフ4世(アルブレヒト2世の子)とシュテファン2世が領土を巡って争うことになる。

家族編集

1324年デンマーク王クリストファ2世の娘マルガレーテ(1305年 - 1340年)と結婚した。

  1. エリーザベト(1326年 - 1345年)

1342年にチロル伯領相続人マルガレーテ(1318年 - 1369年)と再婚した。

  1. ヘルマン(1343年 - 1360年)
  2. マインハルト(1344年 - 1363年) - 上バイエルン公、チロル伯マインハルト3世

他に2人の娘がいたが、夭折したようである。

脚注編集

  1. ^ ツェルナー、p. 175

参考文献編集

  • エーリヒ・ツェルナー 『オーストリア史』 彩流社、2000年
先代:
ルートヴィヒ1世
ブランデンブルク辺境伯
1323年 - 1351年
次代:
ルートヴィヒ3世
先代:
ルートヴィヒ4世
バイエルン公
1347年 - 1349年
シュテファン2世ルートヴィヒ6世ヴィルヘルム1世アルブレヒト1世オットー5世と共同統治
次代:
上バイエルンと下バイエルンに分割
先代:
バイエルンから分割
上バイエルン公
1349年 - 1361年
ルートヴィヒ6世オットー5世と共同統治(1351年まで)
次代:
マインハルト
先代:
ヨハン・ハインリヒ
チロル伯
1342年 - 1361年
マルガレーテと共同統治
次代:
マインハルト3世