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レアル・マドリード・カスティージャ

レアル・マドリードの下部サッカーチーム

レアル・マドリード・カスティージャReal Madrid Castilla Club de Fútbol)は、レアル・マドリードのBチームである。現在、リーガ・エスパニョーラセグンダ・ディビシオンB(3部相当)に所属している。

レアル・マドリード・カスティージャ
原語表記 Real Madrid Castilla Club de Fútbol
愛称 RM Castilla
クラブカラー
創設年 1930年
所属リーグ リーガ・エスパニョーラ
所属ディビジョン セグンダ・ディビシオンB
ホームタウン マドリード
ホームスタジアム アルフレッド・ディ・ステファノ
収容人数 6,000
代表者 スペインの旗 ニコラス・マルティン=サンス
監督 スペインの旗 ラウル・ゴンサレス
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

レアル・マドリードの下部組織(カンテラ)の選手達が所属している。

クラブの歴史編集

 
エスタディオ・アルフレッド・ディ・ステファノ

ADプルス・ウルトラ編集

レアル・マドリード・カスティージャの歴史は、1948年にアグルパシオン・デポルティーバ・プルス・ウルトラ, AD プルス・ウルトラ(Agrupación Deportiva Plus Ultra, AD Plus Ultra)というテルセーラ・ディビシオン所属の地元アマチュアチームが、レアル・マドリードの選手育成について合意したことから始まった。チームは元々1930年に創設され、チーム名をスペインの国家標語からとった。レアル・マドリードはADプルス・ウルトラに対し経済援助を行い、見返りにチームに在籍している最高の選手たちの第一先買権を得た。チームは1949年にセグンダ・ディビシオンに昇格し、1952年に正式にレアル・マドリードのBチームとなった。1954年、ADプルス・ウルトラはスペインU-19カップ決勝でエスパニョールを破り優勝。1959年にはコパ・デル・レイ準々決勝でグラナダCFに敗戦した。

1950年代、1960年代には、サラガマテオスマルサルカサードビジャビダルセレーナグロッソなどの未来のレアル・マドリードの選手たち、スペイン代表選手たちがADプルス・ウルトラでプレーしていた。またルイス・アラゴネスも短期間ながら在籍し、ミゲル・ムニョスはこのチームで監督のキャリアをスタートさせた。1972年、ADプルス・ウルトラと同名の保険会社が破産したため、チームはカスティージャCF(Castilla CF)と名称を変え、新しくレアル・マドリードのBチームとなった。

カスティージャCF編集

名称がカスティージャCFとなってから、チームは黄金時代を迎えることとなった。この時代、チームにはアグスティンガジェゴピネダが在籍し、1979-1980シーズンのコパ・デル・レイの決勝に進出した。カスティージャCFはトーナメントで、エルクレスCFアスレティック・ビルバオレアル・ソシエダスポルティング・デ・ヒホンという四つのプリメーラ・ディビシオン所属チームを破る快進撃を見せた。ちなみにソシエダとスポルティングはこのシーズンにプリメーラでそれぞれ2位と3位になっている。決勝ではカスティージャCFのトップチームであるレアル・マドリードと対戦し、6-1と大敗、準優勝に終わった。しかしレアル・マドリードがリーガで優勝したため、カスティージャCFはUEFAカップウィナーズカップの出場権を得る。翌シーズンのカップウィナーズカップ1回戦ではウェストハムと対戦。サンティアゴ・ベルナベウで行われた1st legは3-1で勝ったものの、2nd legでは5-1で敗戦し、トーナメントから姿を消した。カスティージャCFは1984年、1986年、1988年のコパ・デル・レイで準々決勝に進出した。

1984年、アマンシオ・アマロ監督の下、カスティージャCFはセグンダ・ディビシオン優勝を果たした。チームでは「キンタ・デル・ブイトレ(La Quinta del Buitre)」のメンバーたち、エミリオ・ブトラゲーニョマヌエル・サンチスマルティン・バスケスミチェルミゲル・パルデサがプレーしていた。しかしながらレアル・マドリードが既にプリメーラに所属しているため、カスティージャCFの1部昇格は不可能であった。1987-1988シーズンには3位に入ったが、同じ理由で昇格は出来なかった。

レアル・マドリードB編集

1991年、スペインサッカー連盟がトップチームと下部組織のチームの名称の統一化を図ったため、カスティージャCFはレアル・マドリード・デポルティーバ(Real Madrid Deportiva)と名称を変更した後、最終的にレアル・マドリードB(Real Madrid B)に落ち着くこととなった。1990年代、二人の元レアル・マドリードの選手達、ビセンテ・デル・ボスケラファエル・ベニテスがこのチームで監督のキャリアをスタートさせている。1997年、レアル・マドリードBはセグンダ・ディビシオンBに降格するが、チームは素晴らしい選手達を輩出し続けた。レアル・マドリードのトップチームで地位を確立した、ラウールラウール・ブラボグティイケル・カシージャスなどのメンバーである。また、イスマエル・ウルサイスサンティアゴ・カニサレスミスタルイス・ガルシア・フェルナンデスなどの元レアル・マドリードBの選手達も、移籍先のリーガのクラブで成功を収めている。

レアル・マドリード・カスティージャ編集

2005年、ファン・ラモン・ロペス・カロ監督が指揮し、チームがセグンダ・ディビシオンへ復帰すると、レアル・マドリードBは「カスティージャ」の名称を復活させ、レアル・マドリード・カスティージャとなった。2006年にはクラブ施設のシウダード・レアル・マドリード(Ciudad Real Madrid)内の新スタジアムが「エスタディオ・アルフレッド・ディ・ステファノ」と命名され、フランシスコ・モレーノ・カリニェーナがここ16年間で初のトップチームから独立した会長に就任した。

2006-07シーズン、22チーム中19位(下位4チームが降格)という成績で、セグンダ・ディビシオンBへの降格が決定した。

2008年12月には監督を務めていたミチェルがカンテラ軽視政策を批判して辞任。フレン・ロペテギが監督に就任した。

2011年1月にはアルベルト・トリルが監督に就任。2010-11シーズンはリーグ3位となるも、プレーオフの結果昇格することはできなかった。翌2011-12シーズンにはリーグ優勝を果たし、プレーオフでもカディスCFを2試合合計8-1で下してセグンダ・ディビシオン昇格を決めた。

2013-14シーズンには22チーム中20位となり、セグンダ・ディビシオンBに降格した。2014年7月にジネディーヌ・ジダンが監督に就任。

2015-16シーズン中の2016年1月4日、トップチームの監督であったラファエル・ベニテスの解任に伴い、ジダンがトップチームの監督に昇格。カスティージャの新監督にはフベニールAの監督を務めていたルイス・ミゲル・ラミススペイン語版が就任したが[1]、2015-2016シーズンのプレーオフでセグンダ・ディビシオン昇格を逃した結果、退任した。

2016年6月、後任にクラブOBでフベニールAの監督であった元アルゼンチン代表サンティアゴ・ソラーリが昇格。2018年10月、トップチームの監督であったフレン・ロペテギが成績不振により解任、ソラーリがトップチームの暫定監督に就任した(同年11月に正式に監督に就任)。後任にはSDポンフェラディーナの元監督であったホセ・マヌエル・ディアススペイン語版が復帰したが、2018-2019シーズンはプレーオフでセグンダ・ディビシオン昇格を逃した

2019年6月20日、現役時代はクラブの象徴的存在であり、前フベニールB監督のラウル・ゴンサレスが監督に昇格。

タイトル編集

成績編集

シーズン ディビジョン 順位 国王杯
1946-47 テルセーラ 5位
1947-48 テルセーラ 5位 1回戦敗退
1948-49 テルセーラ 1位 2回戦敗退
1949-50 セグンダ 3位 3回戦敗退
1950-51 セグンダ 7位 予選敗退
1951-52 セグンダ 12位 予選敗退
1952-53 セグンダ 15位 1回戦敗退
1953-54 テルセーラ 3位
1954-55 テルセーラ 1位
1955-56 セグンダ 15位
1956-57 テルセーラ 1位
1957-58 セグンダ 7位
1958-59 セグンダ 10位 ベスト8
1959-60 セグンダ 4位 2回戦敗退
1960-61 セグンダ 7位 1回戦敗退
1961-62 セグンダ 7位 1回戦敗退
1962-63 セグンダ 16位 1回戦敗退
1963-64 テルセーラ 1位
1964-65 テルセーラ 3位
1965-66 テルセーラ 1位
シーズン ディビジョン 順位 国王杯
1966-67 テルセーラ 2位
1967-68 テルセーラ 1位
1968-69 テルセーラ 3位
1969-70 テルセーラ 3位 2回戦敗退
1970-71 テルセーラ 11位 1回戦敗退
1971-72 テルセーラ 10位 2回戦敗退
1972-73 テルセーラ 4位 1回戦敗退
1973-74 テルセーラ 4位 3回戦敗退
1974-75 テルセーラ 4位 3回戦敗退
1975-76 テルセーラ 3位 1回戦敗退
1976-77 テルセーラ 4位 2回戦敗退
1977-78 セグンダB 2位 2回戦敗退
1978-79 セグンダ 7位 3回戦敗退
1979-80 セグンダ 7位 準優勝
1980-81 セグンダ 11位 4回戦敗退
1981-82 セグンダ 8位 3回戦敗退
1982-83 セグンダ 6位 2回戦敗退
1983-84 セグンダ 1位 ベスト8
1984-85 セグンダ 5位 2回戦敗退
1985-86 セグンダ 12位 ベスト8
シーズン ディビジョン 順位 国王杯
1986-87 セグンダ 5位 1回戦敗退
1987-88 セグンダ 3位 ベスト8
1988-89 セグンダ 15位 2回戦敗退
1989-90 セグンダ 18位 1回戦敗退
1990-91 セグンダB 1位
1991-92 セグンダ 16位
1992-93 セグンダ 6位
1993-94 セグンダ 6位
1994-95 セグンダ 8位
1995-96 セグンダ 4位
1996-97 セグンダ 18位
1997-98 セグンダB 2位
1998-99 セグンダB 3位
1999-00 セグンダB 5位
2000-01 セグンダB 7位
2001-02 セグンダB 1位
2002-03 セグンダB 6位
2003-04 セグンダB 2位
2004-05 セグンダB 1位
2005-06 セグンダ 11位
シーズン ディビジョン 順位 国王杯
2006-07 セグンダ 19位
2007-08 セグンダB 5位
2008-09 セグンダB 6位
2009-10 セグンダB 8位
2010-11 セグンダB 3位
2011-12 セグンダB 1位
2012-13 セグンダ 8位
2013-14 セグンダ 20位
2014-15 セグンダB 6位
2015-16 セグンダB 1位
2016-17 セグンダB 11位
2017-18 セグンダB

現所属選手編集

2019年10月23日時点
No. Pos. 選手名
1   GK ハビエル・ベルマン
13   GK ディエゴ・アルトゥーベ
2   DF セルヒオ・ロペス
3   DF フラン・ガルシア
4   DF ホセ・マヌエル・エルナンデス
5   DF アドリアン・デ・ラ・フエンテ
12   DF ギジェ
15   DF ハビ・エルナンデス
18   DF マリオ・ヒラ
19   DF ビクトル・チュスト
6   MF マルティン・カルデロン
No. Pos. 選手名
7   MF フランシスコ・フェウイジャシエル
8   MF アヨブ・アブ
9   MF セサル・ヘラベルト
10   MF アルバロ・フィタルゴ
14   MF アルバロ・ブラボ
16   MF アントニオ・ブランコ
20   MF マルビン
22   MF ミゲル・バエサ
11   FW ロドリゴ・ロドリゲス
17   FW ロドリゴ・ゴエス
21   FW ペドロ・ルイス

レンタル移籍編集

in
No. Pos. 選手名
out
No. Pos. 選手名
--   GK ルカ・ジダン (ラシン・サンタンデール)
--   GK モハ (バーミンガム・シティFC)
--   DF ハビ・サンチェス (レアル・バリャドリード)
--   MF ホルヘ・デ・フルートス (レアル・バリャドリード)
--   MF アルベルト・フェルナンデス (CDフエンラブラーダ)
No. Pos. 選手名
--   MF アウグスト (クルトゥラル・レオネサ)
--   MF 久保建英 (RCDマヨルカ)
--   FW ダニ・ゴメス (CDテネリフェ)
--   FW セルヒオ・ディアス (セロ・ポルテーニョ)

歴代監督編集

歴代所属選手編集

GK編集


DF編集


MF編集


FW編集


脚注・出典編集

関連項目編集

外部リンク編集