レスター・ガーマー

アメリカの物理学者

レスター・ハルバート・ガーマー(Lester Halbert Germer、1896年10月10日 - 1971年10月3日)はアメリカの物理学者[1]クリントン・デイヴィソンとともに実験を行い、物質波動と粒子の二重性を証明した。これは電子顕微鏡の開発にとって重要である。これらの研究はド・ブロイの理論的研究を支持した。熱イオン学、金属の浸食、接触物理学の研究も行った。1931年にElliott Cresson Medalを受賞している。

Lester Germer
クリントン・デイヴィソン(左)とともに写るレスター・ガーマー(右)(1927年)
生誕 (1896-10-10) 1896年10月10日
アメリカ合衆国、イリノイ州シカゴ
死没 1971年10月3日(1971-10-03)(74歳)
アメリカ合衆国、ニューヨーク州Shawangunk Ridge
国籍 アメリカ合衆国
研究分野 物理学
出身校 コロンビア大学
博士課程
指導教員
クリントン・デイヴィソン
主な業績 デイヴィソン=ガーマーの実験
主な受賞歴 エリオット・クレッソン・メダル (1931)
プロジェクト:人物伝
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第一次世界大戦中は戦闘機パイロットであり、その後ニュージャージー州にあるベル研究所に勤務した。

1945年(49歳の時)、ロッククライマーとしてのサイドキャリアを始めた。アメリカ合衆国北東部の周り、特にニューヨークのShawangunk Ridgeで登山を行った。当時はAppalachian Mountain Clubが支配的でありロッククライミングは厳しく規制されていたが、レスターはここと関わることはなくAMCの安全委員会の長でありこの地域の一流な登山家であるHans Krausと衝突していた。かつて登山の認可を"Likes people too much and is too enthusiastic."という言葉とともに断られている。寛大で優しい人として知られていた。かつて"A one man climbing school"と呼ばれていた。

1971年、75歳の誕生日の1週間前にShawangunk Ridge (Eyebrow, 5.6)でロッククライミングのリードを行っている最中に心筋梗塞で亡くなった。そのときまで、ロッククライミングの26年間の安全記録を持っており、リーダーフォールすら経験したことがなかった。

脚注 編集

  • Schwartz, Susan (2005) Into The Unknown: The Remarkable Life of Hans Kraus
  • Waterman, Laura and Guy (1993) Yankee Rock and Ice