レッドブル・ザルツブルク

オーストリアのサッカークラブ

レッドブル・ザルツブルク(FC Red Bull Salzburg)は、オーストリアザルツブルクを本拠地とするサッカークラブである。オーストリア・ブンデスリーガに加盟し、SKラピード・ウィーンFKアウストリア・ウィーンと共にリーグを代表する強豪である。 スポンサーの制限により、クラブはFCザルツブルク(FC Salzburg)としても知られており、UEFAの大会でプレーする際には修正されたエンブレムと共に使用している。

レッドブル・ザルツブルク
原語表記 FC Red Bull Salzburg
愛称 Die Roten Bullen
クラブカラー 紫・白
創設年 1933年
所属リーグ オーストリア・ブンデスリーガ
所属ディビジョン 1部
ホームタウン ザルツブルク
ホームスタジアム レッドブル・アレーナ
収容人数 30,188[1]
代表者 オーストリアの旗 ルドルフ・タイアル
監督 オーストリアの旗 ゲルハルト・ストルバー
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
Europeanカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

2017年に国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)が発表したクラブ世界ランキングで10位にランクされた[2]

歴史 編集

1930年代  編集

1930年代まで存在していたFCラピード・ザルツブルクとFCヘルタ・ザルツブルクの合併により1933年9月13日にSVアウストリア・ザルツブルク(SV Austria Salzburg)として創設された。同じくザルツブルクを本拠地とするSAK 1914ザルツブルクの陰に長年隠れていたが、第二次世界大戦後に徐々に頭角を現すようになり[要出典]、1953年に1部リーグにあたるオーストリア・ブンデスリーガ(当時のリーグ名は「Staatsliga」)に昇格した。

1960年代-1980年代 編集

1971年にはオーストリア・ブンデスリーガ(以下「リーグ戦」と表記)とミトローパ・カップで準優勝した。一方で、1950年代には1度、1960年代には3度、1970年代と1980年代に1度ずつ2部リーグへの降格も経験し、特に1960年代はオーストリアを代表するエレベーターチームの1つであった。[要出典]財政的な理由から1985年には同じくザルツブルクを本拠地とし、当時はSVアウストリア・ザルツブルクよりも好成績を収めていたライバルのSAK 1914ザルツブルクとの合併を自ら希望するものの、先方に断られるなどクラブの将来性が見えず、クラブの存続自体が長年に渡り危ぶまれていた。[要出典]

FKアウストリア・ウィーンラピード・ウィーン、そしてFCヴァッカー・インスブルックの強豪クラブがリーグ優勝やカップ優勝を重ねる中、SVアウストリア・ザルツブルクはオーストリア・ブンデスリーガの弱小クラブの一つであった。[要出典]

ちなみに1973年よりスポンサー名がクラブ名に付くようになり、クラブ名は"SV Gerngroß A. Salzburg"(1973-1976)、"SV Sparkasse Austria Salzburg"(1976-1978)、"SV Casino Austria Salzburg"(1978-1997)、"SV Wüstenrot Salzburg"(1997-2005)と変更された。

1990年代 編集

長年スポンサーであったオーストリア・カジノ社が積極的に投資するようになり、ヴォルフガング・ファイアージンガートーマス・ヴィンクルホーファーハイモ・プファイフェンベルガーヘリベルト・ヴェーバーオットー・コンラードなど数多くのオーストリア代表選手が所属するようになる。また、オリバー・ビアホフ(後にドイツ代表に選出)が1991年に入団してリーグ得点王になった。1992年および1993年にはオーストリア・ブンデスリーガで準優勝、1994年にオットー・バリッチ監督の下、リーグ優勝を果たした。

UEFAカップ1993-94では決勝に進出し、イタリアのインテルナツィオナーレ・ミラノに敗れたが、準優勝の成績を残した。

1994-1995のシーズンで2年連続のリーグ優勝。UEFAチャンピオンズリーグ 1994-95にも出場し、グループリーグでオランダのアヤックスにホームとアウェーで引き分け、ギリシャのAEKアテネには勝利するが、イタリアのACミランに敗れて、同勝ち点ながら得失点差でグループリーグで敗退した。

1995-1996シーズンはクラブ内の権力争いもありチームがなかなかまとまらずリーグ戦で8位に終わった。

1996年の夏には数多くの主力選手を放出、中心選手であったヴォルフガング・ファイアージンガーがボルシア・ドルトムントへ、ハイモ・プファイフェンベルガーがヴェルダー・ブレーメンへ、そしてオットー・コンラートがレアル・サラゴサへ移籍したが、レネー・アウフハウザーロベルト・イベルツベルガーゲルノット・プラスネッガーなど若手も育ち、リーグ戦で3度目の優勝を果たした。

1998年以降はリーグ戦、オーストリア・カップ、そしてヨーロッパカップでも結果を残す事が出来ず、オーストリア・ブンデスリーガでは優勝争いに絡むどころか、2部降格の危機もあった。

2000年代 編集

2000年以降もオーストリア・ブンデスリーガで6位、6位、3位、7位、9位と目立った結果を残す事が出来ず、オーストリア・カップでも当時オーストリア2部に属していたFCケルンテンザンクト・ペルテンに敗北するなど1990年代の黄金時代を知るザルツブルク・サポーターの期待を裏切り続けた。また財政上も非常に厳しい時期が続き、クラブは破産寸前の状態となり、プロサッカーの維持のみならず、クラブの存続自体が危ぶまれていた。

2005年、レッドブルなどを取り扱うオーストリアの飲料メーカーのレッドブル (企業)(以下「レッドブル社」)がクラブを買収。名称が「レッドブル・ザルツブルク」に変更された。

2005-06シーズンはFCヴァッカー・インスブルックハンブルガーSV1.FCカイザースラウテルンなどの監督を務めたクルト・ヤーラが監督に就任。

バイエルン・ミュンヘンから元ドイツ代表のトーマス・リンケアレクサンダー・ツィックラーボーフムからスロベニア代表のアレクサンデル・クナウス英語版、チェコ代表のヴラティスラフ・ロクヴェンツなどが加入、リーグ戦で準優勝を果たす。しかしシーズン終了後、選手の移籍金問題でフロントと対立したためクルト・ヤーラは監督を解雇される。

2006年の夏に元イタリア代表監督のジョバンニ・トラパットーニと元ドイツ代表主将のローター・マテウスがそれぞれ監督とヘッドコーチに就任。また、ニコ・コヴァチ(元バイヤー・レバークーゼンハンブルガーSV、バイエルン・ミュンヘン、ヘルタ・ベルリン)、ヨハン・フォンランテン(元PSVアイントホーフェンNACブレダブレシア)、ティモ・オクス(元1860ミュンヘン)、レモ・マイヤー(元FCルツェルン、1860ミュンヘン)、ホルヘ・ヴァルガス(元レッジーナエンポリリヴォルノ)、クリスティアン・ティファート(元VfBシュトゥットガルト)、マークス・シュタインヘーファー(元バイエルン・ミュンヘン・サテライト)などを獲得。2006年12月にガンバ大阪宮本恒靖浦和レッズ三都主アレサンドロを獲得。オーストリア・カップでは準決勝に進出し、リーグ戦は10年ぶりとなる4度目のリーグ優勝を果たした。

UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07は予選3回戦でスペインバレンシアCFに敗れた。

2007-08シーズンはリーグ戦で準優勝の成績を残した。UEFAチャンピオンズリーグ 2007-08は予選3回戦でウクライナシャフタール・ドネツクに敗れた。

 

2007年6月12日、様々な見解の違いから(公式ホームページ日本語版)[要出典]、ヘッドコーチのローター・マテウスを解任した。

2008-09シーズンよりアヤックス・アムステルダムFCポルトAZアルクマールなどで指揮を執ったオランダ出身のコー・アドリアーンセが監督に就任した。

バイエルン・ミュンヘンとの提携関係 編集

2005年より2012年までドイツ・ブンデスリーガFCバイエルン・ミュンヘンと提携関係を結んでいた関係から多くの元FCバイエルン・ミュンヘンの選手・スタッフがレッドブル・ザルツブルクに所属し深い関係を築いていた。当時のクラブスポンサーもFCバイエルン・ミュンヘンと同じアディダスアウディであった。また、「皇帝」として知られるフランツ・ベッケンバウアーのネットワークもあり、数多くの元2006 FIFAワールドカップの実行委員会のメンバーがクラブマネジメントに携わっていた。

元FCバイエルン・ミュンヘンのクラブ関係者

2006 FIFAワールドカップ実行委員会のクラブ関係者

さらにトーマス・リンケアレクサンダー・ツィックラーニコ・コバチマークス・シュタインヘーファーと往年のバイエルン・ミュンヘンの選手がレッドブル・ザルツブルクに所属していた。

2006-2007年シーズンには元バイエルン・ミュンヘンの名選手ローター・マテウスがヘッドコーチを務めていたが、2007年6月12日に解任された。後任のトルステン・フィンクも元バイエルン・ミュンヘンの選手であった。

また、日本人選手獲得の原動力となったスポーツディレクターオリヴァー・クロイツァーも元バイエルン・ミュンヘンのDFとしてドイツ・ブンデスリーガ優勝やUEFAカップ優勝などの実績を残している。

レッドブル社のサッカークラブへの投資 編集

レッドブル社は以前から、モータースポーツやエクストリームスポーツに対して資本提供する事が多かったが、FCレッドブル・ザルツブルクの前身となったSVアウストリア・ザルツブルクの経営権を取得した以外にも、2006年にメジャーリーグサッカーのメトロスターズを買収、ニューヨーク・レッドブルズとして現在でも運営している。

その他にもレッドブル・グループではドイツ・ブンデスリーガRBライプツィヒオーストリア2部FCリーフェリング、そしてレッドブル・ブラジルを経営している。

また、2007年10月からガーナレッドブル・ガーナを経営していたが、2013年に経営権を別の運営会社に譲った。しかし新たに命名された「West African Football Academy」とは提携関係を結んでいる。

RBライプツィヒとの関係 編集

2016-17シーズンにレッドブル・ザルツブルクはオーストリア・ブンデスリーガを優勝、RBライプツィヒはドイツ・ブンデスリーガを2位になり、共に2017-18シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。しかし、チャンピオンズリーグを主催するUEFAの規約で「同一の出資者または個人が運営する2つのクラブは同時に出場することができない。」とされているため、RBライプツィヒがCLに出場できない可能性があると報じられた[3]。しかし、UEFAは両クラブのCL出場は規約に抵触しないとして出場を認めた[4]

ラルフ・ラングニックは両クラブのスポーツディレクターを務めていたが、2015年にRBライプツィヒのSD職に専念することになったほか、レッドブルグループのサッカークラブを統括する役職にRBライプツィヒのCEOが就いていたが、2017年からRBライプツィヒに専念することになるなど、両クラブの独立性を高めるための分離が図られた[5]

レッドブル・ザルツブルクに所属する選手がライプツィヒにグループ内移籍するケースが多くみられる[6]。2016年夏にはナビ・ケイタベルナルドらがRBライプツィヒに移籍した。2019年から過去7年間で18名の選手がレッドブル・ザルツブルクからRBライプツィヒに移籍している[7]

2018-19シーズンのUEFAヨーロッパリーグでは、両クラブがグループリーグ同組となり直接対決が実現した。2018年9月20日、RBライプツィヒのホームで行われた試合は3-2でアウェーのレッドブル・ザルツブルクが勝利し[8]、11月29日のレッドブル・ザルツブルクのホームでの試合も1-0でレッドブル・ザルツブルクが勝利した[9]

レッドブル社と一部のサポーターの対立 編集

タイトル 編集

国内タイトル 編集

オーストリア・ブンデスリーガ1部

  • 優勝17回 1993-94, 1994-95, 1996-97, 2006-07, 2008-09, 2009-10, 2011-12, 2013-14, 2014-15, 2015-16, 2016-17, 2017-18, 2018-19, 2019-20, 2020-21, 2021-22, 2022-23
  • 準優勝 7回 1970-71, 1991-92, 1992-93, 2005-06, 2007-08, 2010-11, 2012-13

オーストリア・カップ

  • 優勝 8回 2011-12, 2013-14, 2014-15, 2015-16, 2016-17, 2018-19, 2019-20, 2020-21, 2021-22
  • 準優勝 5回 1973-74, 1979-80, 1980-81, 1999-00, 2017-18

オーストリア・スーパーカップ

  • 優勝 3回 1994, 1995, 1997

エアステリーガ(オーストリア2部リーグ)

  • 優勝 2回 1978, 1989

オーストリア・室内サッカーカップ

  • 優勝 1回 1999

国際タイトル 編集

過去の成績 編集

シーズン リーグ戦 オーストリア・カップ
ディビジョン 順位
1993-94 オーストリア・ブンデスリーガ 1位 36 21 9 6 56 18 51 ベスト16
1994-95 1位 36 15 17 4 48 24 47 準決勝敗退
1995-96 8位 36 10 14 12 53 51 44 ベスト16
1996-97 1位 36 19 12 5 54 25 69 準決勝敗退
1997-98 4位 36 16 8 12 48 33 56 準々決勝敗退
1998-99 4位 36 15 12 9 55 40 57 準々決勝敗退
1999-00 6位 36 12 10 14 39 45 46 準優勝
2000-01 6位 36 13 10 13 49 45 49 ベスト16
2001-02 6位 36 13 10 13 42 40 49 準決勝敗退
2002-03 3位 36 15 11 10 51 46 56 準決勝敗退
2003-04 7位 36 11 5 20 44 48 38 ベスト16
2004-05 9位 36 9 9 18 37 51 36 ベスト16
2005-06 2位 36 20 3 13 62 42 63 2回戦敗退
2006-07 1位 36 22 9 5 70 23 75 準決勝敗退
2007-08 2位 36 18 9 9 63 42 63
2008-09 1位 36 23 5 8 86 50 74 ベスト16
2009-10 1位 36 22 10 4 68 27 76 ベスト16
2010-11 2位 36 17 12 7 53 31 63 2回戦敗退
2011-12 1位 36 19 11 6 60 30 68 優勝
2012-13 2位 36 22 11 3 91 39 77 準決勝敗退
2013-14 1位 36 25 5 6 110 35 80 優勝
2014-15 1位 36 22 7 7 99 42 73 優勝
2015-16 1位 36 21 11 4 71 33 74 優勝
2016-17 1位 36 25 6 5 74 24 81 優勝
2017-18 1位 36 25 8 3 81 29 83 準優勝
2018-19 1位 32 25 5 2 79 27 52 優勝
2019-20 1位 32 22 8 2 110 34 50 優勝
2020-21 1位 32 25 2 5 94 33 51 優勝
2021-22 1位 32 25 5 2 77 19 52 優勝
2022-23 1位 32 23 8 1 67 22 49 準々決勝敗退
2023-24

欧州の成績 編集

現所属メンバー 編集

2023年9月2日現在[10]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   ニコ・マントル
3 DF   アレクサ・テルジッチ
4 DF   カミル・ピョンツコフスキ
5 DF   ブライアン・オコー
6 DF   ザムソン・バイドゥ
7 MF   ニコラス・カパルド
8 MF   ディヨン・カメリ
10 MF   ルカ・スチッチ
11 FW   フェルナンド
14 MF   マウリッツ・ケアゴー
15 MF   ママディ・ディアンブ
17 DF   アンドレアス・ウルマー
18 MF   マッズ・ビストルップ
19 FW   カリム・コナテ
20 FW   セク・コイタ
No. Pos. 選手名
21 FW   ペタル・ラトコヴ
22 DF   ウマル・ソレ
23 FW   ロコ・シミッチ
24 GK   アレクサンダー・シュラーガー
27 MF   リュカ・グルナ=ドゥアト
29 DF   ダウダ・ギャンド
30 MF   オスカル・グローフ
31 DF   ストラヒニャ・パヴロヴィッチ
32 MF   アマンクワ・フォーソン
36 MF   ユスティン・オモレジ
39 DF   レアンドロ・モルガラ
41 GK   ヨナス・クラムレイ
45 FW   ネネ・ドルジェル
55 DF   ルーカシュ・ヴァルナー
70 DF   アマル・デディッチ
監督

ローン移籍 編集

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- DF   イグナス・ファン・デル・ブレント (ハンブルガー)
-- MF   ローレンス・アギェクム (リーフェリング)
No. Pos. 選手名
-- MF   サムソン・ティジャニ (ヴォルフスベルガー)
-- MF   ママドゥ・サンガレ (ハルトベルク)

歴代監督 編集

氏名 国籍 期間
オットー・バリッチ   クロアチア 1991 - 1995
ヘルマン・シュテッスル   オーストリア 1995 - 1996
ヘリベルト・ヴェーバー   オーストリア 1996 - 1998
ハンス・クランクル   オーストリア 1998 - 2000
ミロスラフ・ポラック   オーストリア 2000
ハンス・バッケ   スウェーデン 2000 - 2001
ラース・ゼンデガールド   デンマーク 2001 - 2003
ペーター・アスィオン   ドイツ 2003
ヴァルター・ヘルマン   オーストリア 2004
ペーター・アスィオン   ドイツ 2004-05
ニコラ・ユルチェヴィッチ   クロアチア 2005
マンフレッド・リンツマイヤー   オーストリア 2005
クルト・ヤーラ   オーストリア 2005-06
ジョバンニ・トラパットーニ   イタリア 2006/6/2 - 2008/5/31
コー・アドリアーンセ   オランダ 2008/6/1 - 2009
フーブ・ステフェンス   オランダ 2009 - 2011/4/8
リカルド・モニス   オランダ 2011/4/8 - 2012/6/12
ロガー・シュミット   ドイツ 2012/7/24 - 2014/5/31
アドルフ・ヒュッター   オーストリア 2014/6/1 - 2015/6/15
ペーター・ツァイドラー   オーストリア 2015/6/22 - 2015/12/3
オスカル・ガルシア   スペイン 2015/12/28 - 2017/6/14
マルコ・ローゼ   ドイツ 2017/7/1 - 2019/6/30
ジェシー・マーシュ   アメリカ合衆国 2019/7/1 - 2021/6/30
マティアス・ヤイスレ   ドイツ 2021/7/1 -

歴代所属選手 (SVアウストリア・ザルツブルク時代) 編集

GK 編集

DF 編集

MF 編集

FW 編集

歴代所属選手 (FCレッドブル・ザルツブルク時代) 編集

GK 編集

DF 編集

MF 編集

FW 編集


脚注 編集

  1. ^ Stadium official website
  2. ^ Club World Ranking - IFFHS(2018年1月1日16閲覧)
  3. ^ ザルツブルクとライプツィヒ、CL出場めぐる“RB問題”の顛末。“兄弟クラブ”に向けられた懸念”. フットボールチャンネル (2017年6月30日). 2019年9月18日閲覧。
  4. ^ ライプツィヒと南野のザルツブルク、両方CL出場可能へ…UEFAが発表”. Goal.com (2017年6月21日). 2019年9月18日閲覧。
  5. ^ 分離は「建前」。RBライプツィヒと レッドブル帝国の領土拡大は続く”. footballista (2019年5月9日). 2019年9月18日閲覧。
  6. ^ RBライプツィヒはなぜドイツで忌み嫌われ、でも強いのか?”. footballista (2016年12月20日). 2019年9月18日閲覧。
  7. ^ ライプツィヒ、ザルツブルクからヴォルフ獲得”. Kicker日本語版 (2019年1月23日). 2019年9月18日閲覧。 “RBザルツブルクから過去7年で通算18人目となる、”
  8. ^ ザルツブルク、敵地でライプツィヒとの“レッドブル対決”を制す…南野拓実は途中出場”. Goal.com (2018年9月21日). 2019年9月18日閲覧。
  9. ^ ザルツブルクがライプツィヒ下す! GS全勝で決勝Tへ…南野は途中出場”. サッカーキング (2018年11月30日). 2019年9月18日閲覧。
  10. ^ TEAM”. レッドブル・ザルツブルク公式サイト. 2023年2月20日閲覧。

外部リンク 編集