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初代レノックス公(1期)エズメ・ステュワートの紋章
リッチモンド公爵(4期)・レノックス公爵(2期)・ゴードン公爵(2期)ゴードン=レノックス家の紋章

レノックス公爵英語: Duke of Lennox)は、スコットランド貴族公爵位。

過去に2回創設されており、1期目はスコットランド王ジェイムズ6世(後のイングランド王ジェイムズ1世)の従兄弟叔父エズメ・ステュワート1581年に叙されたのに始まる。2代公英語版4代公イングランド貴族リッチモンド公爵にも叙されているが、1672年6代公英語版の死去で廃絶した。現存する2期目はイングランド王・スコットランド王チャールズ2世の私生児チャールズ・レノックス1675年にイングランド貴族リッチモンド公爵位とともに叙されたのに始まる。6代公の代の1876年には連合王国貴族爵位ゴードン公爵にも叙されており、以降ゴードン=レノックス家はリッチモンド公爵、レノックス公爵、ゴードン公爵、オウビーニュイ公爵フランス語版を併せ持っている。

目次

歴史編集

第1期 ステュワート家編集

最初にレノックス公爵に叙せられたエズメ・ステュワート(1542-1583)は、第4代レノックス伯英語版マシュー・ステュワート(1516-1571)の甥であり、したがってスコットランド女王メアリー王配ダーンリー卿ヘンリー・ステュワート(1545-1567)の従兄弟にあたる。彼はカトリックとしてプロテスタントの摂政第4代モートン伯爵ジェイムズ・ダグラスを攻撃して1581年に失脚・処刑に追いやり、スコットランド国政を一時的に牛耳ったが、翌1582年にはプロテスタント貴族が起こしたリヴェン拉致事件英語版で失脚した[1]。彼は失脚前の1580年3月5日レノックス伯爵(Earl of Lennox)ダーンリー=オウビニー=ダルキース卿(Lord Darnley, Aubigny and Dalkeith)、ついで1581年8月5日レノックス公爵(Duke of Lennox)ダーンリー伯爵(Earl of Darnley)オウビニー=ダルキース=トーボルトン=アバーダー卿(Lord Aubigny, Dalkeith, Torboltoun and Aberdou)に叙せられた。いずれも継承者を男系男子に限るとの規定が付けられたスコットランド貴族爵位である[2]

その長男である2代レノックス公ルドヴィック・ステュワート英語版(1574-1624)は、スコットランドとイングランドが同君連合になる1603年をまたいで、スコットランド海軍卿英語版(在職1591-1624)、駐フランス大使(在職1604-1605、1613)、スコットランド議会国王代理官英語版(在職1607)、軍務伯代理(在職1614)、宮内長官英語版(在職1615-1624)などスコットランドとイングランドの官職を歴任し、1613年10月6日にはリッチモンド伯爵(Earl of Richmond)ヨーク州におけるセトリントンのセトリントン男爵(Baron Settrington, of Settrington in the County of York)1623年5月17日にはリッチモンド公爵(Duke of Richmond)ニューカッスル=アポン=タイン伯英語版(Earl of Newcastle-upon-Tyne)に叙せられた。いずれもイングランド貴族爵位である。しかし彼は子供を残さなかったのでこれらの爵位は彼一代で廃絶した[2]

初代公の次男である3代レノックス公エズメ・ステュワート英語版(1579-1624)は、レノックス公位襲爵前の1619年6月7日にイングランド貴族爵位のマーチ伯英語版(Earl of March)ハンティンドン州におけるレイトン・ブロムスウォルドのレイトン・ブロムスウォルドのステュアート男爵 (Baron Stuart of Leighton Bromswold, of Leighton Bromswold in the County of Huntingdon)に叙せられていた。1624年2月の兄の死により3代レノックス公爵位を継承するも同年7月に死去している[2]

3代公と2代クリフトン女男爵英語版キャサリン・クリフトン英語版の間の長男であるジェイムズ・ステュワート(1612-1655)が4代レノックス公爵位を継承した。彼は1637年8月21日に母からクリフトン男爵位も継承している(この爵位は議会招集令状英語版によるイングランド貴族爵位であるため、男子なき場合に姉妹間に優劣のない女系継承が可能)。ピューリタン革命期には王党派として行動したため、1641年8月8日に2期目のリッチモンド公爵に叙せられている。このイングランド貴族爵位は自身の男系男子の他、弟ジョージへの特別継承権を認めていた[2]

4代公の唯一の男子である5代レノックス公・2代リッチモンド公エズメ・ステュワート英語版(1649-1660)は、幼くして死去した。この際にクリフトン男爵位は彼の妹メアリー・バトラー(1651-1668)に継承され、それ以外の爵位は4代公の弟ジョージの子チャールズ・ステュワート英語版(1639-1672)に継承された(6代レノックス公・3代リッチモンド公)。彼はレノックス公爵位襲爵前の1645年12月10日にイングランド貴族爵位のリッチフィールド伯英語版(Earl of Lichfield)バークシャー州におけるニューベリーのニューベリーのステュアート男爵(Baron Stuart of Newbury, of Newbury in the County of Berkshire)に叙せられていた。また1668年にはメアリーが子供無く死去したため、第6代クリフトン男爵位も継承している[2]。彼はその後、スコットランド海軍卿(在職1672)などの官職を務めたが、子供はなく、1672年12月12日の彼の死去によってクリフトン男爵位を除く全保有爵位が消滅した(クリフトン男爵位は彼の妹キャサリン・オブライエンが継承した)[2]

第2期 レノックス家編集

イングランド王・スコットランド王チャールズ2世の私生児チャールズ・レノックス(1672-1723)は、1675年8月9日リッチモンド公爵(Duke of Richmond)マーチ伯爵(Earl of March)ヨーク州におけるセトリントンのセトリントン男爵(Baron Settrington, of Settrington in the County of York)の3つのイングランド貴族爵位に叙せられ、ついで同年9月9日にレノックス公爵(Duke of Lennox)、ダーンリー伯爵(Earl of Darnley)、トーボルトン卿(Lord Torbolton)の3つのスコットランド貴族爵位に叙せられた。これが現存する2期目のレノックス公爵位の創設である[3]。チャールズは母ルイーズ・ケルアイユからフランス貴族爵位オウビーニュイ公爵フランス語版も受け継いでいる。

4代公チャールズ・レノックス(1764-1819)の夫人シャーロット英語版(1768-1842)は、ゴードン公爵ゴードン家の財産を継承したため、レノックス家は「ゴードン=レノックス家」に改姓した[4]。その孫である6代公チャールズ・ゴードン=レノックス(1818–1903)は、ヴィクトリア女王の寵愛を受けて1876年1月13日に2期目のゴードン公爵位(連合王国貴族爵位)を与えられている。これによりゴードン=レノックス家は、イングランド貴族リッチモンド公爵位、スコットランド貴族レノックス公爵位、連合王国貴族ゴードン公爵位、フランス貴族爵位オウビーニュイ公爵フランス語版位を併せ持つ家柄となる[5]

2017年現在の爵位保有者はチャールズ・ゴードン=レノックス英語版(1955-)(第11代レノックス公爵・第11代リッチモンド公爵・第6代ゴードン公爵・第11代オウビーニュイ公爵)である[3]

一覧編集

レノックス公 第1期 (1581年)編集

レノックス公 第2期 (1675年)編集

系図編集

脚注編集

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出典編集

  1. ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 414-415.
  2. ^ a b c d e f Heraldic Media Limited. “Lennox, Duke of (S, 1581 - 1672)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月19日閲覧。
  3. ^ a b Heraldic Media Limited. “Richmond, Duke of (E, 1675)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月19日閲覧。
  4. ^ 森護 1987, p. 202.
  5. ^ 森護 1987, p. 203.

参考文献編集

  • 松村赳富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478
  • 森護『英国の貴族 遅れてきた公爵』大修館書店、1987年。ISBN 978-4469240979