レパルス (巡洋戦艦)

レナウン級巡洋戦艦

レパルス (HMS Repulse) は、イギリス海軍巡洋戦艦[注釈 1]。 日本ではリパルスと表記することもある[4]レナウン級の2番艦である[注釈 2]Repulseとは「撃退、反撃」の意。第一次世界大戦中に就役したが、活躍する機会はなかった[5]海軍休日時代、イギリス海軍の巡洋戦艦3隻(フッド[6]、レナウン、レパルス)で巡洋戦艦戦隊英語版を編成していた。 1941年(昭和16年)5月下旬、ライン演習作戦により大西洋に進出してきた戦艦ビスマルク (Bismarck) を追跡したが、燃料不足で交戦できなかった[7]東洋艦隊に所属してシンガポールに進出後の12月10日[8]マレー沖海戦日本海軍陸上攻撃機の空襲により、戦艦プリンス・オブ・ウェールズ (HMS Prince of Wales) とともに撃沈された[9]

レパルス(1922年から1924年頃)
レパルス(1922年から1924年頃)
基本情報
建造所
  • ジョン・ブラウン社
  • クライドバンク造船所
運用者  イギリス海軍
艦種 巡洋戦艦
級名 レナウン級
艦歴
起工 1915年1月25日[1][2]
進水 1916年1月8日
就役 1916年8月18日
最期 1941年12月10日
除籍 1941年12月10日
要目
満載排水量 38,200トン
全長 242.0 m
27.4 m
吃水 9.8 m (満載)
主缶 パブコック&ウィルコックス重油石炭混焼缶42基
主機 ブラウン・カーチス直結タービン2基
出力 112,000 hp
推進器 4軸
速力 28.3ノット
航続距離
  • 9,400カイリ(15ノット時)
  • 3650浬(10ノット時)
乗員 1260名(戦没時1309名)
兵装
竣工時
38.1cm42口径MkI連装砲 3基
10.2cm45口径MkIX3連装砲 4基
10.2cmMkXVIII連装高角砲 2基
同単装 1基
2ポンド8連装ポムポム砲 2基
12.7㎜4連装機銃 4基
45cm水上魚雷発射管 8門
カタパルト 1基
戦没時
38.1cm42口径MkI連装砲 3基
10.2cm45口径MkIX3連装砲 3基
10.2cmMkXVIII連装高角砲 2基
同単装 1基
2ポンド8連装ポンポン砲 3基
20㎜単装機銃 6基
12.7㎜4連装機銃 4基
45cm水上魚雷発射管 8門
カタパルト 1基
装甲
舷側装甲
152 mm
229 ㎜(水線)
甲板装甲
76 mm
146 ㎜(主甲板)
主砲塔装甲
279 mm(前盾)、-mm(側盾)、-mm(後盾)、-mm(天蓋)
バーベット部
178 mm
司令塔
254 mm
レーダー
竣工時
無し
戦没時
284型 1基
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艦歴編集

第一次世界大戦編集

1914年計画リヴェンジ級(通称R型)戦艦レナウンの予算を流用して、船体をフェアフィールド・ゴーヴァン造船所に、機関をキャメル・レアード&バーケンヘッド造船所に12月29日に発注した。1915年(大正4年)1月25日に起工し、1916年(大正5年)1月8日に進水。同年の8月18日に竣工した。これは姉妹艦レナウン (HMS Renown) よりも早かった[5]

同年9月、レパルスはグランド・フリート英語版に加わり、第1巡洋戦艦戦隊英語版の旗艦となった。1917年(大正6年)9月、B砲塔(二番砲塔)とY砲塔(三番砲塔)の上に飛行機滑走台をもうけた[10]。飛行船撃退用のためで、イギリス艦としては初めての試みだったという[11]。10月、航空機(ソッピース パップ)の離床に成功した[11]。また、同時期のレパルスは迷彩を施されていた[11]。 11月17日、第一次世界大戦における第2次ヘリゴラント・バイト海戦英語版に参加。ドイツ帝国海軍の戦艦カイザー (SMS Kaiser) 、カイゼリン英語版ドイツ語版 (SMS Kaiserin) と交戦した。レパルスは巡洋艦ケーニヒスベルク (SMS Königsberg) に命中弾を与えた[12]。12月12日、レパルスは味方の巡洋戦艦オーストラリア (HMAS Australia) と衝突した。

両大戦間編集

1919年(大正8年)から1920年(大正9年)に第1次近代化改装がおこなわれ、防御装甲板を追加し、舷側装甲 229mm に強化された。レパルスは大西洋艦隊に編入された。 ワシントン海軍軍縮条約により保有艦艇の整理がおこなわれ、イギリス海軍は巡洋戦艦3隻(フッド、レナウン、レパルス)で巡洋戦艦戦隊を編成した[注釈 3]

1923年(大正12年)、巡洋戦艦フッド (HMS Hood) が東まわりで世界一周航海を行うことになった[14]イギリス特務戦隊の世界一周)。巡洋戦艦レパルスと巡洋艦5隻はフッドを護衛し、1年にわたる世界巡行をおこなった[15]。特務戦隊は南アフリカ、ザンジバル、セイロン、シンガポール、オーストラリア[注釈 4]、ニュージーランド、太平洋諸島、アメリカ合衆国西海岸サンフランシスコに寄港し、パナマ運河を通ってジャマイカへ立ち寄り、最後にニューファンドランドを訪問した[15]。特務戦隊の世界巡行パフォーマンスは成功し、各地で好印象を与えた[16]。またイギリス国民の士気高揚につながった[16]1925年(大正14年)、レパルスは英国皇太子の御召艦としてアフリカ大陸南アメリカ大陸方面を巡航した[14]

1934年(昭和9年)から1936年(昭和11年)に第2次近代化改装を実施されたが、レナウンの様な外観の変更も伴った大々的な改装は行われず[17]、小火器の更新に留められた。レナウン級2隻は改装をおこなう機会が多く、レナウンは「リフィット(Refit)」、レパルスは「リペア(repair)」と渾名されたという[14]。近代化改装実施後は、地中海艦隊に編入された[14]。1938年(昭和13年)、イギリス本国に戻った[14]

第二次世界大戦編集

 
1938年に撮られた本艦

1939年(昭和14年)9月1日の第二次世界大戦勃発後、ドイツ海軍ポケット戦艦仮装巡洋艦大西洋に放ち、通商破壊作戦を実施した[18]。レパルスは本国艦隊に所属し、通商破壊艦狩りに参加したが戦果を得られなかった。 11月23日[19]シャルンホルスト級戦艦2隻がイギリス軍の補助巡洋艦仮装巡洋艦ラワルピンディ (HMS Rawalpindi) を撃沈した[20]フェロー諸島沖海戦[21][22]。 イギリス海軍は敵艦をポケット戦艦ドイッチュラント (Deutschland) と誤認する[注釈 5]イギリス本土所在のネルソン級戦艦2隻(ネルソンロドニー[25]、巡洋戦艦ダンケルクフランス海軍)および巡洋戦艦フッドを出撃させると共に[26][27]、船団護衛中の戦艦や巡洋艦[28]カナダハリファックスにいたレパルスと空母フューリアスHMS Furious, 47) も敵通商破壊艦の捜索に投入した[29]。だがレパルスは波浪で損傷した[30]。英海軍の大捜索は、空振りで終わった[31]。 12月からカナダとイギリス間の輸送船団の護衛任務に従事した。

1940年(昭和15年)4月にドイツがヴェーザー演習作戦を発動して北欧侵攻が始まった際[32]、レパルスはノルウェー沿岸で活動していた英海軍機雷敷設部隊の援護をおこなう[注釈 6]。4月8日、駆逐艦グローウォーム (HMS Glowworm H92) がトロンヘイム沖海戦でドイツ重巡洋艦アドミラル・ヒッパー (Admiral Hipper) に撃沈された[34][35]。本国艦隊の命令により巡洋戦艦レパルスと軽巡ペネロピ (HMS Penelope, 97) が駆逐隊を率いて出撃、捜索に参加した[36]。だがグローフォームもヒッパーも発見できなかった[36]

ナムソスの戦いにより連合軍が敗北し、ノルウェーの戦いが終盤になると、連合軍はノルウェーからの撤退を開始した[37]。レパルスは引き上げる部隊を輸送する船団の護衛任務につく。6月上旬、レナウンとレパルスを主力とする機動部隊はアイスランド近海のドイツ艦隊捜索を命じられて捜索を行ったが、実際は派遣されておらず空振りに終わった[38]。その後、輸送船団の護衛任務に戻った。ノルウェーをめぐる攻防戦ではドイツ海軍も大損害を受け[39]、シャルンホルスト級2隻も揃って損傷してドック入りした[40]

6月下旬より、レパルス艦長はウィリアム・テナント大佐となった。 10月下旬、機関修理を終えたポケット戦艦アドミラル・シェーア (Admiral Scheer) が大西洋に出撃し、イギリス海軍の新たな懸念材料となった[41]。11月15日、シェーアはHX84船団を襲い[42]、補助巡洋艦ジャーヴィス・ベイと商船5隻を撃沈した[43]。イギリス海軍はシェーアを捕捉するためにネルソン級戦艦2隻、巡洋戦艦戦隊(フッド、レナウン、レパルス)を投入した[44]。だがシェーアは南方に逃走していた[44]

1941年(昭和16年)1月には、リュッチェンス提督が率いるシャルンホルスト級2隻(シャルンホルストグナイゼナウ[45]の捜索に、ネルソン級戦艦2隻や多数の巡洋艦と共に投入された[46]ベルリン作戦[47]。シャルンホルスト級2隻は英海軍を翻弄したが、4月上旬よりフランス西部のブレスト軍港で修理を開始したところをイギリス空軍の空爆に遭遇し、機関修理と損傷修理を併せて数カ月出撃できなくなった[48][49]

同年5月中旬、巡洋戦艦レパルスと空母ヴィクトリアス (HMS Victorious, R38) は[50]、喜望峰周りでWS8B船団を護衛しながら中東へ向かう予定であった[51][52]。その準備のため、レパルスはクライド海軍基地に停泊していた[53]。 5月20日昼すぎ[54]スウェーデン海軍の軽巡ゴトランド (HMS Gotland) がカテガット海峡ナチス・ドイツ海軍の戦艦ビスマルク (Bismarck) および護衛部隊と遭遇して本国に伝達[55]、その情報はイギリスに伝えられた[56][57]。本国艦隊司令長官ジョン・トーヴィー大将は、オークニー諸島スカパ・フローや北海で行動中の艦艇でいくつかの部隊を編成し、ドイツのライン演習作戦に備えることにした[51][58]。 主力部隊は、トーヴィ提督直率部隊[59](旗艦キング・ジョージ5世、空母ヴィクトリアス、巡洋戦艦レパルス、軽巡4隻、随伴駆逐艦)[53]、巡洋戦艦戦隊司令官ランスロット・ホランド英語版提督の高速部隊(巡洋戦艦フッド[60]、戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、随伴駆逐艦)であった[61]

航空偵察でノルウェー南西部ベルゲンに寄港した戦艦ビスマルクと重巡プリンツ・オイゲンを確認したトーヴィー提督は[62]、まずホランド戦隊をアイスランド方面に出撃させた[63][64]。トーヴィ戦隊もスカパ・フローを出撃した[65]5月23日夕刻に重巡ノーフォーク (HMS Norfolk, 78) がリュッチェンス戦隊(ビスマルク、オイゲン)と遭遇して各方面に伝達したとき、トーヴィー戦隊は既に洋上にあってアイスランド方面にむかっていた[注釈 7][注釈 8]

5月24日朝のデンマーク海峡海戦でフッドが撃沈され[70]、その速報が届いたとき、トーヴィー本隊(キング・ジョージ5世、レパルス、ヴィクトリアス、軽巡戦隊、駆逐艦)はリュッチェンス戦隊の南東360浬地点にいた[71]。フッドは大英帝国の象徴であり、イギリス海軍にとってビスマルク撃沈は急務となった[69]。 トーヴィー提督はビスマルクに空襲をおこなうため空母と軽巡部隊を分離し、レパルスは旗艦キング・ジョージ5世に付き従った[72][73]。トーヴィー提督はビスマルクと砲撃戦をおこなう決意を固め、防御力の脆弱なレパルスに対しては「旗艦の外方5,000ヤード(約4.6km)に占位すること」「旗艦(ジョージ五世)が発砲するまではいかなる戦闘行動をおこないこと」を厳命した[74]。だが5月25日午前4時、触接部隊とヴィクトリアス偵察機がビスマルクを見失う[75][76]。レパルスは燃料が乏しくなり[77]25日午前11時ころ補給のためにトーヴィ本隊を離脱した[7][78]。かわりにビスマルクを追尾していた戦艦プリンス・オブ・ウェールズがトーヴィー本隊に合流した[77]。だがウェールズも燃料不足になっており、まもなく本隊を離脱している[79]

8月、レパルスは南アフリカケープタウンに配備された。その後イギリス領インド帝国に移され、10月28日にインド到着。さらに日本との戦争の可能性が高まってきたため、ウィンストン・チャーチル首相の意向により戦艦プリンス・オブ・ウェールズ(東洋艦隊司令長官トーマス・フィリップス中将)と共に極東へ配備された[80]。空母インドミタブル (HMS Indomitable, 92) も極東へむかう予定だったが、同艦はジャマイカで座礁して修理のために外された。

12月8日に、日本軍のマレー作戦を機に太平洋戦争大東亜戦争)がはじまった。イギリス海軍は東洋艦隊の主力艦艇でZ部隊英語版 (Force,Z) を編成した。Z部隊(戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、巡洋戦艦レパルス、駆逐艦エクスプレステネドス、エレクトラ、ヴァンパイア)はシンガポールを出撃し[81]マレー半島へ向かう日本軍の侵攻部隊を乗せた船団の攻撃へと向かった[80]。これを馬来部隊(指揮官小沢治三郎中将、南遣艦隊司令長官)率いる水上艦部隊と、サイゴン方面の飛行場に配備された基地航空部隊が迎え撃った[82]。 馬来部隊にはイギリスのヴィッカース社で建造された金剛型戦艦金剛も含まれていたが[注釈 9]、イギリス東洋艦隊とは接触しなかった[84]

マレー沖海戦編集

 
撃沈される前に撮られたレパルス。

12月10日、Z部隊南シナ海において行われたマレー沖海戦で、九六式陸上攻撃機美幌海軍航空隊元山海軍航空隊)と鹿屋海軍航空隊[85]一式陸上攻撃機の大部隊に襲撃された[9]。レパルスは最初に九六式陸攻8機(美幌空)の水平爆撃を受けた。最初の被害は水上機甲板に命中した250kg爆弾で、水上機甲板を貫通して水平装甲に達し、そこで炸裂した。水上機は延焼する恐れがあったために海面に投棄された。続いて戦場に到着した元山空と美幌空の九六陸攻(魚雷装備)の雷撃をすべて回避した。 最後に鹿屋空の一式陸攻(魚雷装備)が出現し、レパルスに4-5発の魚雷を命中させた(日本側記録7本命中)[86]。生存者は左舷中央に2発、後部砲塔左舷に1発、スクリュー付近の左舷に1発、右舷船体中央部に1発の合計5本の魚雷命中を主張している。それまで損害軽微だったレパルスだが、魚雷による損害は致命的であり、12時33分(日本側記録午後2時3分)に転覆して沈没した。508名の乗員が失われた。同様にプリンス・オブ・ウェールズも陸攻の魚雷と爆弾多数が命中し、日本時間午後2時50分に沈没した[86]

テナント艦長を含むレパルスの生存乗員は、駆逐艦エレクトラ英語版 (HMS Electra,H27) とヴァンパイア (HMAS Vampire, I68) によって救助されているが、日本海軍機はこれを一切攻撃しなかった。また翌日、撃沈した航空隊員の1人である壱岐春記大尉は搭乗機で現場を訪れ、鎮魂のために花束を投下している。

日本軍の攻撃の前にレパルスからビル・クローザー准尉のウォーラス1機が発進している。この機は対潜哨戒を行うよう指示されていたがボートを曳航する汽船を発見したのみであり、レパルスの上空に戻って報告を行ったがこれにより日本軍機を連れてくることとなった[87]

日本軍の攻撃が始まると対空砲火の射程外へ逃れ、それからシンガポールへ向かった[88]。途中で燃料不足のため不時着水したが、イギリス領シンガポールから捜索のため派遣されたカタリナにまず発見され、それから駆逐艦ストロングホールド (HMS Stronghold) が現れてウォーラスをシンガポールまで曳航した[89]。このウォーラスはプリンス・オブ・ウェールズのウォーラスとともに第205飛行隊に引き取られた[90]

現在のレパルス編集

レパルスの沈没地点は水深50メートル前後と浅く、船体には比較的容易に到達できる。過去2回にわたって海底調査が実施されており、レパルスは完全に転覆した状態で沈没しているが沈没時に誘爆がなかったので船体は比較的綺麗な状態で保たれている。また船体の数箇所に魚雷攻撃によると思われる破損孔が確認されている[91]。5か所命中したという魚雷であるが、2007年のダイビング調査では、左舷スクリュー付近と右舷中央部の2か所の命中孔は確認されたものの左舷中央部は海底の泥に埋もれていて魚雷命中の跡は確認できなかった。後部砲塔の側面も観察可能であったがそこには魚雷命中孔は無かった。

2014年に違法サルベージ業者が爆薬を使ってレパルスの船体を破壊し、その破片をスクラップとして売却していることが報じられた。同様の行為はプリンス・オブ・ウェールズに対しても行われており、近海の日本海軍艦艇も同じ被害にあっている[92]

ギャラリー編集

出典編集

注釈編集

  1. ^ 戰艦“レナウン Renown[3] 全要目{排水量32,000噸 速力31.5節 備砲38糎砲6門 10糎砲12門 魚雷發射管2門(水中53糎) 起工1915年1月 竣工1916年9月 建造所フエヤー・フヰルド造船會社} 同型艦“レパルス Repupse但し10糎砲15門 魚雷發射管10門
     この2隻が起工より竣工に至る迄僅々1年半餘を費してゐるのみであることは當時が世界大戰の酣戰期であつた爲である。全長239.89米、幅31.29米、平均吃水8.12米。速力31.5節はこの2艦が巡洋戰艦として計畫されたものであつたがためである。そして主砲の38糎砲を僅か6門としたのも高速力の犠牲である。この高速力に要する軸馬力は實に112,000馬力である。カタパルトは1基。1926年に一度改装した。以上英國海軍の有する主力艦は計15隻、排水量合計474,750噸。ワシントン會議に依る保有量は15隻525,000噸である。
  2. ^ 戰艦“レナウン Renown[5] 全要目{排水量32,000噸 速力31.5節 備砲38糎砲6門 10糎砲12門 魚雷發射管2門(水中53糎) 起工1915年1月 竣工1916年9月 建造所フエヤー・フヰルド造船會社} 同型艦“レパルス Repupse 但し10糎砲15門 魚雷發射管10門。
     時あたかも世界大戰が酣であつたのでこの2隻は起工より竣工に至る迄僅々1年半餘を費してゐるのみである。レパルス、レナウンの二艦は世界戰爭の最中僅か一年餘りで急ぎ建造されたもので、この目的は砲2門を減じても31.5節の快速力を得んとしたために外ならない。しかしこの2隻が活躍する前に戰爭は終焉になつた。全長239.89米、幅31.29米、平均吃水8.12米でレパルスは建造後更に水上發射管8門を増して10門とした。10糎副砲が3聯装になつてゐるのも珍しい。1934年來改装中である。
  3. ^ イギリス海軍は練習艦として巡洋戦艦タイガー (HMS Tiger) も保有していたが、ロンドン海軍軍縮会議で破棄され、1931年(昭和6年)に除籍、翌年売却された[13]
  4. ^ 1924年(大正13年)4月25日、豪州滞在中にワシントン海軍軍縮条約にともない処分される巡洋戦艦オーストラリア (HMAS Australia) の自沈に立ち会った。
  5. ^ アドルフ・ヒトラー総統の懸念により[23]、ドイッチュラントは1939年(昭和14年)11月15日付でリュッツオウ (Lützow) と改名していた[24]
  6. ^ レパルスは出撃準備が間に合わず、巡洋戦艦戦隊司令官のホイットワース英語版少将は姉妹艦レナウンに将旗を掲げて先に出撃した[33]
  7. ^ リュッチェンス戦隊と最初に遭遇したのは重巡サフォーク (HMS Suffolk, 55) だが[66]、無線の性能が落ちていて本国では誰も受信していなかった[52]。このため、イギリス海軍はノーフォークからの無電で初めてビスマルクの行動を直接確認した[67]
  8. ^ トーヴィー戦隊は5月22日夜にスカパ・フローを出撃し[68]、5月23日夜の時点でリュッチェンス戦隊の南東550浬の洋上を航行していた[69]。フッド轟沈の情報を得てイギリス本土を出撃したわけではない。
  9. ^ 戰艦“金剛 こんがう”[83] 全要目{排水量29,330噸 速力26.0節 備砲38糎砲8門 15糎砲16門 12.7糎高角砲8門 魚雷發射管4門 起工44年1月 竣工大正2年8月 建造所 英國ヴイツカース會社} この艦だけがイギリスのヴイツカース會社であるところから、我海軍たつた一つの舶來軍艦と云ふ風に思はれるのであるがそれは當つてゐない。即ちこの艦は計畫及び設計は我海軍の手でやつたのであるが、その起工された明治44年頃にはこれと時を同じうして計畫された榛名以下3主力艦を同時に建造する造船能力がなかつたのでやむなく金剛1隻のみは英國に註文したのである。霧島、榛名と比較して最大幅が0.92米短いが、その外すべて同様の要目であつ。元より本艦も竣工以來各部分の改造を遂げ、今や全く近代化された。

脚注編集

  1. ^ 第1次改装:1918年12月 - 20年10月
  2. ^ 第2次改装1933年4月 - 36年5月
  3. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 82(原本146-147頁)戰艦レナウン
  4. ^ 英国軍艦写真集 2009, p. 73a巡洋戦艦「リパルス」(Repules)
  5. ^ a b c ポケット海軍年鑑 1937, p. 75(原本132-133頁)戰艦レナウン
  6. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 76ps=(原本134-135)戰艦フード.
  7. ^ a b ビスマルクの最期 1982, pp. 252-253(ビスマルク追撃戦、5月25日~27日各部隊各艦行動図)
  8. ^ 英国軍艦写真集 2009, p. 74a巡洋戦艦「リパルス」(Repulse)
  9. ^ a b 戦史叢書95 1976, pp. 227-229マレー方面航空作戦、マレー沖海戦
  10. ^ 英国軍艦写真集 2009, p. 118a迷彩を施された巡洋戦艦「レパルス」
  11. ^ a b c 英国軍艦写真集 2009, p. 118b.
  12. ^ 英国軍艦写真集 2009, p. 73b.
  13. ^ 英国軍艦写真集 2009, p. 70巡洋戦艦「タイガー」(Tiger)
  14. ^ a b c d e 英国軍艦写真集 2009, p. 74b.
  15. ^ a b ビスマルクの最期 1982, p. 99.
  16. ^ a b ビスマルクの最期 1982, p. 100.
  17. ^ 英国軍艦写真集 2009, p. 72巡洋戦艦「リナウン」(Renown)
  18. ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 44-49ポケット戦艦で通商破壊作戦
  19. ^ 呪われた海 1973, pp. 33-36.
  20. ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 49-50「シャルンホルスト」北大西洋へ
  21. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 274-276巡洋戦艦と砲戦、沈没
  22. ^ ヒトラーの戦艦 2002, pp. 94-100英仮装巡洋艦〈ラワルピンディ〉対独戦艦
  23. ^ 呪われた海 1973, p. 37.
  24. ^ ヒトラーの戦艦 2002, pp. 86-88〈ドイッチュラント〉の改名
  25. ^ 呪われた海 1973, p. 38.
  26. ^ 撃沈戦記 1988, p. 335.
  27. ^ 呪われた海 1973, p. 42(地図1、シャルンホルスト級の出撃と英軍の捜索)
  28. ^ 呪われた海 1973, p. 40.
  29. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 276-278英海軍、大捜索を開始
  30. ^ 撃沈戦記 1988, p. 278.
  31. ^ 呪われた海 1973, p. 41.
  32. ^ 撃沈戦記 1988, p. 280.
  33. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 282-284「ウィルフレッド」作戦
  34. ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, p. 68.
  35. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 286-288重巡「ヒッパー」に体当たり
  36. ^ a b 撃沈戦記 1988, p. 289.
  37. ^ 呪われた海 1973, p. 138.
  38. ^ 呪われた海 1973, pp. 134-135.
  39. ^ 呪われた海 1973, pp. 150-151.
  40. ^ ヒトラーの戦艦 2002, pp. 158-161大戦果への批判
  41. ^ 呪われた海 1973, p. 191.
  42. ^ 呪われた海 1973, p. 193.
  43. ^ ヒトラーの戦艦 2002, pp. 167-169英仮装巡洋艦〈ジャーヴィス・ベイ〉の奮戦
  44. ^ a b ヒトラーの戦艦 2002, pp. 169-171.
  45. ^ ビスマルクの最期 1982, p. 29.
  46. ^ 壮烈!ドイツ艦隊 1985, pp. 89-94「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」
  47. ^ ヒトラーの戦艦 2002, pp. 180-183"ベルリン作戦"はじまる
  48. ^ 呪われた海 1973, pp. 201-203.
  49. ^ 呪われた海 1973, pp. 213-215.
  50. ^ ヒトラーの戦艦 2002, p. 215.
  51. ^ a b ビスマルクの最期 1982, pp. 61-62.
  52. ^ a b ビスマルクの最期 1982, p. 95.
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参考文献編集

  • 木俣滋郎「(10)グリーンランド沖の大捕物」『大西洋・地中海の戦い ヨーロッパ列強戦史』光人社〈光人社NF文庫〉、2004年2月(原著1986年)。ISBN 978-4-7698-3017-7
  • エドウィン・グレイ 著、都島惟男 訳『ヒトラーの戦艦 ドイツ戦艦7隻の栄光と悲劇』光人社〈光人社NF文庫〉、2002年4月。ISBN 4-7698-2341-X
  • ルードヴィック・ケネディ 著、内藤一郎 訳『戦艦ビスマルクの最期』早川書房〈ハヤカワ文庫〉、1982年9月。ISBN 4-15-050082-7
  • クリストファー・ショアーズ、ブライアン・カル、伊沢保穂、『南方進攻航空戦1941-1942』、伊沢保穂 訳、大日本絵画、2002年、ISBN 4-499-22770-4
  • 世界の艦船増刊第67集
  • 高木宏之『英国軍艦写真集 British warship photograph collection』光人社、2009年1月。ISBN 978-4-7698-1415-3
  • 永井喜之、木俣滋郎『撃沈戦記』朝日ソノラマ〈文庫版新戦史シリーズ〉、1988年10月。ISBN 4-257-17208-8
  • 第2部 第二次大戦 ― 日本編/1.イギリス駆逐艦「サネット」 外国編/1.イギリス仮装巡洋艦「ラワルピンディ」/2.イギリス駆逐艦「グロウウォーム」/7.イギリス巡洋戦艦「フッド」
  • リチャード・ハンブル 著、実松譲 訳『壮烈!ドイツ艦隊 悲劇の戦艦「ビスマルク」』サンケイ出版〈第二次世界大戦文庫 26〉、1985年12月。ISBN 4-383-02445-9
  • カーユス・ベッカー、松谷健二 訳『呪われた海 ドイツ海軍戦闘記録』フジ出版社、1973年7月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍航空概史』第95巻、朝雲新聞社、1976年3月。
  • ブルカルト・フォン・ミュレンハイム=レッヒベルク 著、佐和誠 訳『巨大戦艦ビスマルク 独・英艦隊、最後の大海戦』早川書房〈ハヤカワ文庫〉、2002年7月。ISBN 4-15-050269-2
  • 歴史群像編集部『ミリタリー・戦史 Magazine 歴史群像 2016年2月号(第25巻第1号、通巻135号) ●巡洋戦艦から戦艦、そして高速戦艦へ戦艦『金剛』の生涯 』株式会社 学研プラス、2016年1月。

関連項目編集

外部リンク編集