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レムコ・パドゥール(Remco Pardoel、1969年5月23日-)は、オランダ[1]総合格闘家[2]である。柔術ファイティングシステムUFC修斗パンクラス等のヘビー級[3]で活躍した。1988年に柔道のジュニア国内チャンピオンとなり、ブラジリアン柔術の選手になった。UFC 2で総合格闘家デビューし、ホイス・グレイシーに敗れた。その後、ヴァーノン・ホワイト鈴木みのるマルコ・ファス等の著名な選手とも戦った[4][5]。本名レムコ・アドリアヌス・コーネルス・パドゥールレムコ・パードウェルと表記されたこともある[6]

キャリア編集

パドゥールは柔道、柔術テコンドーの道場を経営する父の影響で4歳の頃から格闘技を始め、最初は柔道を習った[5]。7歳でテコンドー、11歳[5]または14歳[6]柔術を始めた。1988年に柔道でジュニア国内チャンピオンまたは2位となり、その後、ヨーロッパで多くの柔術のタイトルを獲得した[4][5]。1993年に初めての柔術世界選手権がデンマークで開かれると、世界チャンピオンとなった[5]。ここで、ブラジリアン柔術のファビオ・グージェウロメロ・カヴァルカンティに出会い、2人から技術を学んだ[5]。パドゥールが1993年以降、故郷のオスで開催している多数のクラスやセミナーの際にも、カヴァルカンティをオランダに招聘している[5]


柔道編集

1988年9月24日、オランダ・ジュニア選手権U18/21ニウェへイン大会95kg以下級2位
1988年、オランダ・ジュニア選手権無差別級1位[6]
1989年、オランダ・ジュニア選手権無差別級1位[6]
1991年1月20日、オランダ・オープン選手権ヘルモンド大会95kg超級3位
1992年11月1日、 オランダ選手権ヘルトゲンボッシュ大会95kg超級3位
1993年1月10日、ロッテルダムオープン86kg超級2位
1993年11月7日、 オランダ選手権ヘルトゲンボッシュ大会95kg超級3位
1994年1月15日、ロッテルダムオープン86kg超級1位
(出典JudoInside.comなど)。

柔術ファイティングシステム編集

オープン・デンマーク大会1位[6]
オープン・ドイツ大会1位[6]
オープン・ベルギー大会1位[6]
1993年、第1回柔術世界選手権デンマーク大会1位[5]
1994年5月14日、デンマーク・オープン・トーナメント85kg超級1位[6]
1998年11月21日、柔術世界選手権ベルリン大会94㎏超級3位[7]
2001年、柔術ヨーロッパ選手権ジェノバ大会94㎏超級3位[8]
2002年、柔術世界選手権プンタ・デル・エステ大会94㎏超級3位[9]


柔術ファイティングシステムの国際競技団体である国際柔術連盟は2010年、パドゥールと同様ブラジリアン柔術を始める。正式名称は寝技柔術とした。

UFC編集

1994年、パドゥールはアメリカ合衆国で行われるUFC 2に招待された。柔術家として宣伝されて[10]、トーナメントの1回戦でスペイン人プンチャック・シラット選手アルベルト・セラ・レオンと対戦した。UFC 1で準優勝したジェラルド・ゴルドーに強く勧められ参戦した[11]。一方でパドゥールはゴルドーのマネージメントではなく直接、大会プロモーターからオファーがあったと語っている[6]

試合は、長く激しいものとなった。パドゥールは早い段階でレオンを地面に倒したが、アームロックをかけようとするとレオンは抵抗し、ルール違反の指で頬を引っ張ろうとさえした[10]。最終的に、パドゥールが袖車絞めで勝利した。パドゥールは後に以下のように述懐している。

アルベルトは私にとってUFCに入るきっかけになった。ヨーロッパでは、プンチャック・シラット詠春拳の出身の選手は、彼らは無敵だという嘘を言って、他の格闘技の選手を見下す発言をする。だから、彼らが間違っていることを証明する最も良い方法は、彼らに挑戦することなんだ

[12]

勝ち進んだ2回戦では、ムエタイ選手オーランド・ウィットと記憶に残る試合を行った[13]。体重に優るパドゥールはウィットを腰投げで倒し、崩袈裟固の一種肩袈裟固でマットに抑えて、こめかみへの7度の肘打ちでKOした。実際には2発目の後にはウィットの意識は飛んでおり、パドゥールはレフェリーに試合の中断を申し出るべきだった[14]。一方でパドゥールは「大会のルールがルールなんで気絶したふりをしてるとも考えられ油断はできなかった。だからもう一度いくぞ!と見せかけて反応を見た。ピクリとも動かなかったので攻撃を止めた。」と語った[6]。パドゥールは準決勝に進み、UFC 1の優勝者で同じ柔術家のホイス・グレイシーと対戦した。試合開始数秒で、ホイスは立ったままパドゥールの背中を取り、片羽絞に似た片手絞でタップを奪った[13]

1995年9月のUFC 7でUFCに戻り、1試合目の空手家ライアン・パーカーと対戦した。すぐにマットに倒てマウントを取り、袈裟固からパーカーの空手着上衣の裾を用いてラペラチョークで勝利した。2戦目はルタ・リーブリ界のレジェンドマルコ・ファスと対戦した。パドゥールは早い段階でギロチンチョークをしかけたが、ファスはフットストンプで逃れ、両者はグラウンドで向き合った。ファスはヒールホールドを試みたが失敗した。数分間のせめぎあいの後、ファスがマウントを取り、パドゥールはタップを選択した[15]。パドゥールは後に、ファスは何等かのボディーオイルか潤滑油を使っていたと抗議したが[16]、これが最後のUFC参戦となった。

戦績編集

総合格闘技 戦績
18 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
9 2 6 1 0 1 2
6 1 4 1 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× Tengiz Tedoradze 1R2:44 パンチ EF 1: Genesis 2003年7月13日
NC Roger Godinez 無効試合 GC 11: Gladiator Challenge 11 2002年4月20日
× Mark Smith 2R終了 判定 CW 1: Cage Wars 1 2002年2月23日
Glen Brown 2R0:00 袈裟固 UKMMAC 1: Sudden Impact 2001年11月11日
- Herman van Tol 引分け Rings Holland: No Guts, No Glory 2001年6月10日
Marc Emmanuel 5分2R終了 判定(3-0) Rings Holland: Heroes Live Forever 2001年1月28日
× Roman Savochka 1R0:00 打撃 IAFC: Pankration World Championship 2000 [Day 2] 2000年4月29日
John Dixson 1R8:15 ヘッドロック AAC 2: Amsterdam Absolute Championship 2 1999年11月27日
Michailis Deligiannakis 1R2:20 キーロック WVC 8: World Vale Tudo Championship 8 1999年7月1日
John Dixson 1R4:16 チョーク AAC 1: Amsterdam Absolute Championship 1 1998年10月25日
× マルコ・ファス 1R12:27 ギブアップ UFC 7 1995年9月8日
ライアン・パーカー 1R3:05 片羽絞め UFC 7 1995年9月8日
NC Carl Franks 無効試合 Shooto: Complete Vale Tudo Access 1995年7月29日
× 鈴木みのる 1R7:16 KO(パンチ) Pancrase: Road To The Championship 3 1994年7月26日
ヴァーノン・ホワイト 1R14:24 TKO(ポイント) Pancrase: Road To The Championship 2 1994年7月6日
× ホイス・グレーシー 1R1:31 片羽絞め UFC 2 1994年3月11日
オーランド・ウィット 1R1:29 KO(肘打ち) UFC 2 1994年3月11日
アルベルト・セラ・レオン 1R9:51 アームロック UFC 2 1994年3月11日

出典編集

  1. ^ Remco Pardoel”. Sherdog. 2014年10月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月26日閲覧。
  2. ^ Remco Pardoel”. mixedmartialarts.com. 2014年10月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月26日閲覧。
  3. ^ Remco Pardoel”. fightmatrix.com. 2014年10月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月26日閲覧。
  4. ^ a b Remco Pardoel Pancrase bio”. pancrase.co.jp/en. 2014年10月25日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h UFC 2 Vet Remco Pardoel On Pioneering BJJ In Europe, Fighting In The First Mundials In The Black Belt Division & His Flourishing DJ Career”. bjjee.com. 2014年10月25日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j 格闘技通信 平成6年6月23日号 P.22,23,24
  7. ^ JU-JITSU WORLD CHAMPIONSHIP 1998 (pdf)”. JJIF. p. 2. 2019年2月26日閲覧。
  8. ^ Ju-Jitsu European Championship Genua/Italien 2001 (pdf)”. JJIF. p. 2. 2019年2月26日閲覧。
  9. ^ JU-JITSU WORLD CHAMPIONSHIP 2002 (pdf)”. JJIF. p. 2. 2019年2月26日閲覧。
  10. ^ a b John McCarthy, Let's Get It On!: The Making of MMA and Its Ultimate Referee
  11. ^ Erich Krauss (November 10, 2010). Brawl: A Behind-the-Scenes Look at Mixed Martial Arts Competition. ECW Press. ISBN 155490238X. 
  12. ^ Clyde Gentry (2005). No Holds Barred: Ultimate Fighting and the Martial Arts Revolution. Milo Books. ISBN 1903854105. 
  13. ^ a b Scott Newman (2005年6月11日). “MMA Review: #51: UFC 2: No Way Out”. The Oratory. 2016年9月17日閲覧。
  14. ^ The 3 Most Important Fights Of Early MMA”. Constant Aggression (2014年11月15日). 2016年9月17日閲覧。
  15. ^ Scott Newman (2005年12月7日). “MMA Review: #67: UFC 7: The Brawl in Buffalo”. The Oratory. 2016年9月17日閲覧。
  16. ^ Derek Callahan (2004年5月27日). “Remco Pardoel Interview”. Sherdog.com. 2016年9月17日閲覧。

外部リンク編集