レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフ

レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフ(レーゲンスブルクのきゅうしがいとシュタットアムホーフ)は、2006年の第30回世界遺産委員会で登録されたドイツの世界遺産古代ローマ時代にカストラ・レギーナ(Castra Regina,レーゲン川沿いの要塞)として成立したレーゲンスブルクは、ドナウ川とレーゲン川の合流点に位置する交通の要衝として、特に中世には一大交易地として栄えた。世界遺産では、当時の姿を伝えるドナウ南岸の旧市街と、対岸のシュタットアムホーフにある旧聖カタリナ慈善病院が登録された。

世界遺産 レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフ
ドイツ
英名 Old Town of Regensburg with Stadtamhof
仏名 Vieille ville de Ratisbonne et Stadtamhof
面積 182.8 ha
(緩衝地域 775.6 ha)
登録区分 文化遺産
登録基準 (2), (3), (4)
登録年 2006年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
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歴史 編集

世界遺産登録にかかわる中世・近世の歴史を概観する。通史についてはレーゲンスブルクの歴史を参照のこと。

1245年にレーゲンスブルクは帝国自由都市となり、中世後期に交易路が変わるまで交易の中心地だった。1486年には、レーゲンスブルクがバイエルン公国に組み込まれたが、1496年には神聖ローマ帝国によってその独立性が回復された。

1542年にはレーゲンスブルクは宗教改革を受け入れたので、1803年カール・フォン・ダールベルクのもとでレーゲンスブルク公国Principality of Regensburg)に組み込まれるまで、市議会はルター派だった。市民の少数派はローマ・カトリックにとどまったが、市民権(Bürgerrecht)は剥奪されていた。とはいえ、レーゲンスブルク市とレーゲンスブルク司教職は混同してはならない。市は宗教改革を受け入れてはいたが、ローマ教会の司教座でありつづけ、修道院も複数存在していた。聖エメラム修道院、ニーダーミュンスター修道院、オーバーミュンスター修道院は、神聖ローマ帝国内で地位を認められていたので、帝国議会に議席と投票権を持っていた。この結果、レーゲンスブルクの町には、プロテスタントの町そのもの、ローマ教会の司教座、上記3修道院という5つの独立した"states"が並存するという独特の状況になった。

1663年から1806年には、都市は神聖ローマ帝国議会が常設された。かくしてレーゲンスブルクは帝国の中心的都市のひとつとなり、多くの訪問者でにぎわった。

主な建造物群 編集

レーゲンスブルク中心地のパノラマ
 
レーゲンスブルク大聖堂
 
レーゲンスブルク大聖堂側面

旧市街 編集

  • 聖ウルリヒ教区教会は、13世紀の過渡期的な建築様式の優れた例証で、貴重な骨董品のコレクションを含んでいる。現在は、宗教芸術などを扱った聖ウルリヒ司教区博物館が入っている。
  • 市庁舎は14世紀にまで遡る部分が現存する。かつて1663年から1806年までは帝国議会が置かれていた。

シュタットアムホーフ 編集

  • 旧聖カタリナ慈善病院

登録基準 編集

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。