ロクロワフランス語: Rocroi)は、フランスグラン・テスト地域圏アルデンヌ県コミューンヴォーバンによって設計された星型の要塞としての自治体の形と、1643年ロクロワの戦いで知られている。

ロクロワ
Rocroi


地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) グラン・テスト地域圏
(département) アルデンヌ県
(arrondissement) シャルルヴィル=メジエール郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 08367
郵便番号 08230
市長任期 ドゥニ・ビネ
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes Val et Plateau d'Ardenne
人口動態
人口 2,422人
2011年
人口密度 48人/km2
住民の呼称 Rocroyens/Rocroyennes
地理
座標 北緯49度55分34秒 東経4度31分20秒 / 北緯49.9261111111度 東経4.52222222222度 / 49.9261111111; 4.52222222222座標: 北緯49度55分34秒 東経4度31分20秒 / 北緯49.9261111111度 東経4.52222222222度 / 49.9261111111; 4.52222222222
標高 平均:385m
最低:m
最高:m
面積 50.41km2 (5 041ha)
ロクロワ Rocroiの位置(フランス内)
ロクロワ Rocroi
ロクロワ
Rocroi
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地理 編集

ベルギー国境に近いロクロワは、シャルルヴィル=メジエールの北西28km、シャルルロワの60km南に位置する。

町は、町の名を冠したロクロワ台地の上にある。この台地は古生代カンブリア紀の硬い構造となっている。

由来 編集

ロクロワという名は、『ラウルの交差路』(la croisée de Raoul)を意味する。ラウルとは13世紀のこの地の領主の名である。17世紀、ロクロワ周辺の領土ほとんどをルイ13世が購入し、コミューンの地位を得て新たな意味が加わった。『王の岩』(la Roche du Roy)という意味を持つRoc-royである。フランス革命が起きると『自由の岩』を意味するロク=リーブル(Roc-Libre)と改名された。

歴史 編集

ロクロワを要塞化したのはフランソワ1世で、それをさらに拡張したのはアンリ2世である。ユグノー戦争中の1588年には、ユグノー軍によって陥落させられている。

1643年に起きたロクロワの戦いでは、フランスの将軍アンギャン公(後のコンデ公ルイ2世)が指揮するフランス軍がスペイン軍に輝かしい勝利をおさめた。

人口統計 編集

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
2 870 2 997 2 911 2 789 2 555 2 420 2 365

[1][2][3]

出身者 編集

  • アンリ・カナール(1836-1894) - セネガル総督
  • アルテュール・チュケ(1853-1925) - 歴史家
  • アンドレ・ヴィエノ(1901-1976) - 政治家。フランス第四共和政の数少ない女性閣僚として、若者・スポーツ担当相を務めた。

脚注 編集

  1. ^ Recensement de 2006 des communes des Ardennes
  2. ^ http://cassini.ehess.fr/ Population par commune avant 1962 (résultats publiés au journal officiel ou conservés aux archives départementales)
  3. ^ INSEE : Population depuis le recensement de 1962