メインメニューを開く

ロシアにおけるアイヌではロシア連邦の領内における先住民族としてのアイヌ民族の歴史及び現状について記す。

目次

概要編集

サハリン州ハバロフスク地方カムチャツカ地方に居住している。ロシア語ではアイヌ(Айны)、クリル(Куриль)、カムチャツカ・クリル(Камчатские Куриль)、カムチャツカ・アイヌ(Камчадальские Айны)、エイン(Ейны)などと呼ばれ、6つの集団に分けられる。2010年の国勢調査ではロシア国内で自らがアイヌであると回答した人数は100人程度であるが、少なくとも1,000人はアイヌを祖先に持つと考えられている。アイヌを名乗る人数が少ないのは、連邦政府に「現存する」民族集団としての承認を受けられていない結果であると考えられる。アイヌを祖先に持つ人が最も多いのはサハリン州であるにも関わらず、自らをアイヌと定義する人の大多数はカムチャツカ地方に居住している。

集団編集

ロシア領内に居住するアイヌは6つの集団に分けられ、うち4つは民族集団としては消滅している。

カムチャツカアイヌ編集

「カムチャツカ・クリル」として知られる。1706年にロシア帝国に敗北したことに加えて天然痘が流行した事により、現在では民族集団としては消滅している。現在では後述の北千島アイヌ、もしくはイテリメン族に同化している。18世紀のロシアの探検家の記録が最後である[1]

北千島アイヌ編集

「クリル」として知られる。千島列島1875年樺太・千島交換条約が締結されるまではロシア帝国の統治下であった。大多数は占守島に、他は幌筵島に少数居住し、1860年段階で人口は221人であった。彼らはロシア式の名前を名乗り、流暢なロシア語を話し、ロシア正教を信仰していた。日本領になってからは100人以上のアイヌがロシア人と共にカムチャツカに移住した[2]。最近では100人近くがウスチ・ボリシェレツキー地区英語版に居住している。日本の統治下に留まった集団は第二次世界大戦後、最後の生存者だった田中キヌが1973年に北海道で亡くなり絶滅した[3]

南千島アイヌ編集

18世紀時点では国後島択捉島得撫島を中心に約2,000人が居住していたが1884年には500人前後まで減少した。1941年には太平洋戦争開戦に伴い50人(大部分が混血)が北海道に避難した。現在は6人がロシアに居住している。

アムールアイヌ編集

ブロニスワフ・ピウスツキの調査によると、20世紀初頭に数人がロシア人もしくはウリチ人と結婚していた[4]1926年ソ連の国勢調査ではニコラエフスキー地区に純血は26人しかおらず、多くはスラブ系民族の中に同化したと考えられる[5]。今日ではハバロフスク地方で自らをアイヌを定義する者は殆どいないが、ウリチ人の相当数がアイヌの血を引き継いでいる[6]

北樺太アイヌ編集

1926年の国勢調査では北サハリン州に純血は5人だけであった。ブロニスワフ・ピウスツキの調査によると、大部分の樺太アイヌは1875年に北海道に移住させられ、樺太に留まったごく少数のアイヌはロシア人と結婚したものと考えられる。民族集団としては消滅したが、アイヌの血を引き継いだ人は現在もいると考えられる[7]

南樺太アイヌ編集

大部分の樺太アイヌがソ連対日参戦後に日本の当局により北海道に避難させられた。現在のサハリン州にも個人としてはアイヌが存在している可能性はある。1949年の時点では約100人のアイヌがサハリンに残っていた。ソ連当局はサハリンにおいて子供にアイヌを名乗らせないように圧力を掛けた。1980年代には3人の純血のアイヌが亡くなり、数百人ほどの混血者だけが現在も居住している。しかし彼らは先祖であるアイヌに関する知識は殆どない。

歴史編集

カムチャツカ半島のアイヌが最初にロシア人と接触したのは17世紀末である。18世紀にはアムールと北クリルのアイヌが制圧された。アイヌはモンゴロイドの日本人と異なるロシア人を友好関係の対象とみなし、18世紀半ばには1,500人以上のアイヌがロシアへの帰属を選んだ。アイヌ人はコーカソイド的な特徴も持ち合わせていることから、日本人にとってアイヌ人とロシア人の区別は困難であり、日本人が初めてロシア人と接触した時にはロシア人の事を「赤蝦夷」と呼んでいた。19世紀初頭にようやくロシア人はアイヌ人と異なる民族集団であることを認識したのである。その一方でロシア人はアイヌ人の事を「毛深い」「浅黒い」「髪と目が黒い」と記録していた。初期のロシア人探検家はアイヌ人の事を顎髭のあるロシアの貧農、もしくはロマに似ていると記していた。

アイヌ人、特に北千島のアイヌは19世紀の日露間の対立でロシア側を支持した。しかしながら、1905年日露戦争でロシアが敗北してからは、ロシア人の間でアイヌ人との同盟意識は薄れていった。更に数百人のアイヌが処刑されたり、強制的に北海道に移住させられた。その結果、ロシア人は第二次世界大戦においてアイヌを味方に付ける事が出来ず、ソ連への残留を選択したアイヌは極少数に留まった。90%以上のアイヌは日本への帰属を受け入れた。

カムチャツカへの移住編集

樺太・千島交換条約の結果、千島列島は日本領となり、そこで暮らすアイヌ人も日本に帰属した。しかしながら、83人の北千島アイヌは1877年9月18日ペトロパブロフスク・カムチャツキーに渡り、ロシアの統治下で生活することを決断した。彼らはロシア当局によるコマンドル諸島への移住の提案は拒絶した。最終的には1881年にヤヴィン村に移ることになった。1881年3月にはペトロパブロフスクを離れ、ヤヴィンまでの徒歩で渡った。4ヶ月後になってようやく新たな居住地にたどり着いた。もう一つの村であるゴリヴィノ村は後から形成された。1884年には9人のアイヌが日本から移住した。1897年の調査では、ゴリヴィノに57人、ヤヴィンに33人のアイヌが居住していた[8]。ソ連体制下では両集落は再整理され、ロシア人が居住するウスト・ボルシェレツキー地区のザポロージエ集落に移住させられた[9]。異民族との通婚の結果、3つの部族はカムチャダールと同化した。

帝政ロシア時代のアイヌは自らを「アイヌ」と名乗ることは禁じられていた。大日本帝国側はアイヌ民族が居住している、もしくは過去に居住していた全ての地域は日本領であると主張していたためである。代わりに「クリル」や「カムチャツカ・クリル」などの表現が用いられた。ソ連時代にはアイヌの姓を名乗る者はしばしば日本人と間違われてグラグや労働キャンプに送られた。その結果、アイヌの大多数はスラブ式の姓に改姓した。 第二次世界大戦後の1953年2月7日には当局によりソ連国内に居住するアイヌに関するあらゆる情報を出版することを禁じられた。この指令は20年後になって取り消された。

最近の動向編集

北千島アイヌが居住するカムチャツカのザポロージエ集落は現在のロシアにおけるアイヌの部族では最大規模である。父方が南千島アイヌのナカムラ一族は6人であり、ペトロパブロフスク・カムチャツキーに住んでいる。サハリン島では数十人が自らをアイヌと名乗るが、大部分は片親が他民族であり、アイヌの伝統文化を習得していない。2010年調査では888人の「日本人」が居住しており、その大多数がアイヌとの混血であるが、彼らもまたアイヌの伝統文化を習得していない[10]。同様に、ハバロフスクには片親がアイヌの子孫が居住しているが、アムールアイヌは誰も自らをアイヌと名乗ることはない。なお、カムチャツカアイヌの生存者はいないと言われている。1979年にはソ連政府はロシアの領域から民族集団としてのアイヌが消滅したとして、現存する民族集団から「アイヌ」の項目を削除した。ソ連崩壊後の2002年の国勢調査では調査票に「アイヌ」と記載する者はいなかった[11][12][13]

アイヌ民族自身は自らは千島列島の先住民であり、日本とロシアの両方が侵略者であると主張してきた[14]2004年にはカムチャツカ地方の小規模なアイヌ人団体がウラジミール・プーチン大統領に日本との間での北方領土における一連の動きついて再考することを求める手紙を出した。その手紙では日本、帝政ロシアソビエト連邦の全てをアイヌ民族の殺害と同化政策を行なったとして糾弾していた[15]。しかしながら、その要請はプーチン大統領に拒否された。その団体はアイヌ民族をめぐる悲劇の規模と激しさはアメリカ先住民が直面したジェノサイドに匹敵すると主張している。2010年の国勢調査ではその集落の100人近くがアイヌ民族と申告したが、カムチャツカ地方議会はそれを拒否してイテリメン族として取り扱った[16]。2011年にはカムチャツカのアイヌ民族団体のリーダー、アレクセイ・ウラジミロヴィッチ・ナカムラがウラジミール・イリューヒン(カムチャツカ地方知事)とボリス・ネフゾロフ(連邦下院議員)に政府の北方・シベリア・極東地方少数先住民族のリストに加えるように要求した。 しかしながらこの提案も拒否された[17]

サハリン州ハバロフスク地方のアイヌ人は政治的主張を行う団体を結成していない。アレクセイ・ナカムラは2012年時点でロシア領内にアイヌ人は205人しかいない、そのうち2008年段階で自らがアイヌ人であると主張していたのは12人であり、「千島列島のカムチャダール族」と共に少数民族としての認定のために活動していると主張している[18]。アイヌがロシア政府の少数民族の公式リストから外されて以来、彼らは無国籍人、ロシア人、カムチャダール人のいずれかに定義されている[19]。なお、2012年時点では北千島アイヌと千島列島のカムチャダールは共にロシア政府から北方少数先住民族としての漁業権・狩猟権は認められていない[20]。最近になってボリス・ヤラヴォイによってロシア極東アイヌ協会(RADA)が設立された[21]

人口編集

2010年のロシア国勢調査では109人のアイヌ人が存在するとしている。このうち94人はカムチャツカ地方、 4人は沿海地方、3人はサハリン州、1人はハバロフスク地方、4人はモスクワ市、1人はサンクトペテルブルク市、1人はスヴェルドロフスク州、1人はロストフ州という内訳である。実際のアイヌ人口は更に多いと考えられるが、サハリンの数百人のアイヌは自らをアイヌと定義する事を否定している。

ロシア政府の見解編集

ロシア連邦当局の国勢調査ではアイヌ民族はロシア国内では既に絶滅した民族集団とされている。アイヌ民族を名乗る人もアイヌ語を話すことは出来ず、生活における民族の伝統文化の要素も失われている。社会的・風習的には古くから居住するカムチャツカのロシア人と殆ど同一である。それゆえ、イテリメン族に与えられているような少数民族としての権利はカムチャツカのアイヌ人には認められていない。アイヌ語はロシア国内では話し言葉としては既に消滅している。カムチャツカのアイヌは20世紀初頭にはアイヌ語を用いなくなった。1979年時点でわずか3人の流暢なアイヌ語話者がサハリン州にいたのみであり、1980年代には消滅した。

脚注編集

  1. ^ Shibatani, Masayoshi (1990). The languages of Japan. Cambridge University Press via Google Books. p. 3.
  2. ^ Minichiello, Sharon (1998). Japan's competing modernities: issues in culture and democracy, 1900-1930. University of Hawaii Press via Google Books. p. 163.
  3. ^ http://uwspace.uwaterloo.ca/bitstream/10012/2765/1/Scott%20Harrison_GSO_Thesis.pdf
  4. ^ Piłsudski, Bronisław; Majewicz, Alfred F. (2004). The collected works of Bronisław Piłsudski Volume 3. Walter de Gruyter via Google Books. p. 816.
  5. ^ Всесоюзная перепись населения 1926 года.Национальный состав населения по регионам РСФСР
  6. ^ Piłsudski, Bronisław; Majewicz, Alfred F. (2004). The collected works of Bronisław Piłsudski Volume 3. Walter de Gruyter via Google Books. p. 37.
  7. ^ [Howell, David L. (2005). Geographies of identity in nineteenth-century Japan. University of California Press via Google Books. p. 187.
  8. ^ http://ansipra.npolar.no/russian/Items/Japan-3%20Ru.html
  9. ^ http://www.youtube.com/watch?v=IcIErWxe16k
  10. ^ В России снова появились айны – самый загадочный народ Дальнего востока Репортаж
  11. ^ http://www.perepis2002.ru/ct/doc/English/4-2.xls
  12. ^ http://www.perepis2002.ru/ct/doc/English/4-3.xls
  13. ^ http://www.perepis2002.ru/index.html?id=87
  14. ^ “Ainu people lay ancient claim to Kurile Islands: The hunters and fishers who lost their land to the Russians and Japanese are gaining the confidence to demand their rights”. (1992年9月22日). http://www.independent.co.uk/news/world/ainu-people-lay-ancient-claim-to-kurile-islands-the-hunters-and-fishers-who-lost-their-land-to-the-russians-and-japanese-are-gaining-the-confidence-to-demand-their-rights-reports-terry-mccarthy-1552879.html 2016年11月20日閲覧。 
  15. ^ ТРАГЕДИЯ АЙНОВ - ТРАГЕДИЯ РОССИЙСКОГО ДАЛЬНЕГО ВОСТОКА
  16. ^ Айны – древние и таинственные
  17. ^ Айны просят включить их в Единый перечень коренных народов России
  18. ^ Айны – борцы с самураями
  19. ^ Без национальности
  20. ^ Представители малочисленного народа айну на Камчатке хотят узаконить свой статус
  21. ^ Russia’s Ainu Community Makes Its Existence Known – Analysis

関連項目編集