ロシア四重奏曲 Op.33(全6曲)は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが作曲した弦楽四重奏曲集。

ハイドンのこの6曲により、弦楽四重奏曲は古典的な完成を果たした。古典派以降の多くの弦楽四重奏曲の源流がこの6曲にあるという点で、音楽史的にも重要な作品である。

なおモーツァルトはこの6曲の完成度の高さと意義とに感銘を受け、2年あまりをかけて同じく6曲の弦楽四重奏曲(ハイドン・セット)を作曲しハイドンに献呈した。

ニックネームの由来編集

これら6曲は、アルタリア社から出版された第2版に、「ロシア大公に献呈」と記されたことから、「ロシア四重奏曲」の呼び名で呼ばれている。このロシア大公とは、のち1796年ロシア皇帝となったパーヴェル・ペトロヴィッチのことである。ハイドンはこの曲を作曲した1781年に、ウィーンを訪れたペトロヴィッチ大公夫妻に会っており、その際婦人に数回音楽を教えているほか、婦人の部屋ではハイドン主宰の音楽会が開かれている。その音楽会ではこの「ロシア四重奏曲」op.33のうちの1曲が演奏されたと言われている。

作曲の背景編集

ハイドンは、この曲を書くのに先立って1772年に6曲からなる弦楽四重奏曲集「太陽四重奏曲」op.20を作曲していた。しかしその後、この「ロシア四重奏曲」を書くまで、10年近く弦楽四重奏曲を作曲していない。

「太陽四重奏曲」は、6曲中3曲のフィナーレにフーガを導入するなど、対位法によって強固に凝縮された構造を持たせ、ディヴェルティメントの一種から分化を始めた弦楽四重奏曲にさらに新たな芸術的価値を付与することを目指したものだった。しかし弦楽四重奏という新しい形式に、バロック時代の旧式な対位法形式を持ち込んだ手法は、ハイドン自身も不満が残るものだった。また、このことにより「太陽四重奏曲」はあまりに肩肘の張りすぎたものになり、ハイドンは手詰まりの状態にあったといえる。

だがそれからおよそ10年後に着手されたこの「ロシア四重奏曲」は、出版前にハイドンが書簡の中で「全く新しい特別な方法で作曲された」とアピールしているように、従来よりも磨かれた形式美や端正さを備え、それまでのメヌエット楽章に代わりスケルツォをおく手法などが取り入れられた。これにより、弦楽四重奏という形式は、よりくつろぎ洗練されたものに完成した。中には、第38番『冗談』のように独特なユーモアを持つものさえある。

このようにして「ロシア四重奏曲」で弦楽四重奏曲の古典派的手法を確立させたハイドンは、独特のユーモアやウィットを持ちながら、自在な四つの楽器の扱いと熟練した和声手法で練り上げられた形式で、そのあとの弦楽四重奏曲の楽曲を量産していくことになる。

ロシア四重奏曲 Op.33の6曲編集

  1. 弦楽四重奏曲第37番 ロ短調 op.33-1 Hob.III:37(ロシア四重奏曲第1番)
  2. 弦楽四重奏曲第38番 変ホ長調 op.33-2 Hob.III:38『冗談』(ロシア四重奏曲第2番)
    『冗談』という呼び名は、この曲の4楽章が終わり方がユーモアに満ちたものであることから来ている。
  3. 弦楽四重奏曲第39番 ハ長調 op.33-3 Hob.III:39『鳥』(ロシア四重奏曲第3番)
    『鳥』という呼び名は、第1楽章の第2主題の旋律が、鳥のさえずりを思わせるところからきている。
  4. 弦楽四重奏曲第40番 変ロ長調 op.33-4 Hob.III:40(ロシア四重奏曲第4番)
  5. 弦楽四重奏曲第41番 ト長調 op.33-5 Hob.III:41(ロシア四重奏曲第5番)
  6. 弦楽四重奏曲第42番 ニ長調 op.33-6 Hob.III:42(ロシア四重奏曲第6番)

関連項目編集