ロックフォード (哨戒フリゲート)

艦歴
発注
起工 1943年8月28日
進水 1943年9月27日
就役 1944年3月6日
退役 1945年8月27日
その後 1945年8月27日にソ連海軍に貸与
1950年10月23日に韓国海軍に貸与
1953年9月30日に標的艦として海没処分
除籍 1953年5月26日
性能諸元
排水量 基準 1,430トン
満載 2,415トン
全長 303 ft 11 in (92.6 m)
全幅 37 ft 6 in (11.4 m)
吃水 13 ft 8 in (4.1 m)
機関 ボイラー3基 5,500軸馬力
タービン2基 2軸推進
最大速力 20ノット (37 km/h)
航続距離
乗員 190名
兵装 3インチ50口径対空砲3門
40mm機関砲 4門
20mm機関砲 9門
ヘッジホッグ 1基
対潜爆雷投射機(Y砲)8基
爆雷投下軌条 2条

ロックフォード (USS Rockford, PF-48) は、アメリカ海軍の哨戒フリゲートタコマ級フリゲートの1隻。艦名はイリノイ州ロックフォードに因む。

艦歴 編集

ロックフォードは当初 PG-156 (砲艦)として1943年8月28日にカリフォルニア州ウィルミントンコンソリデーテッド・スチール社で起工した。1943年9月27日にハリー・L・クロッツアー夫人によって命名、進水し、1944年3月6日に艦長D・H・バートレット沿岸警備隊中佐の指揮下就役した。

ロサンゼルス沖での整調後、太平洋艦隊に加わり1944年6月25日に南西太平洋に向かう。7月2日に敵潜水艦と遭遇、爆雷による攻撃を行い損傷を与えた。7月7日にも敵潜水艦と遭遇し、ヘッジホッグによる攻撃を行った。その後エスピリトゥサント島を経由して7月23日にオーストラリアケアンズに到着した。

8月2日にロックフォードはミルン湾に投錨し、同地を拠点としてニューギニア沖で船団護衛および対潜哨戒任務に従事した。9月23日にアドミラルティ諸島マヌス島へ向かう。

ニューギニアに帰還した後10月15日に出航、マヌス島を経由して真珠湾に向かう。途中11月13日に掃海艇のアーデント (USS Ardent, AM-340) と共に敵潜水艦を撃沈する。潜水艦は戦後の調査で伊号第十二潜水艦であるとされた。ロックフォードは11月17日にサンフランシスコに到着、予定されていた修理作業が行われた。

その後1945年1月4日に、アラスカン・シー・フロンティアで船団護衛任務に就き、8月までダッチハーバーコールド・ベイエイダックで AM-222 グループの水先船として働いた。

ロックフォードはレンドリース法に基づき1945年8月27日にソ連海軍に貸与された。ソ連では「護衛艦」を意味する「EK」の略号を付与され、EK-20 の名で就役した。ソ連での任務を終えると1949年11月1日に横須賀で返還された。1950年10月23日に大韓民国に貸与され、鴨綠江(アムノッカン、ROK Amnokgang, PF-62)として就役、北朝鮮に対する封鎖任務に従事した。その後1952年9月3日に返還され予備役のまま保管、1953年5月26日に除籍され、1953年9月30日に標的艦として海没処分された。

ロックフォードは第二次世界大戦の戦功で2個の従軍星章を受章した。

参照 編集

外部リンク 編集