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ロブ・レンセンブリンク

オランダのサッカー選手

ロブ・レンセンブリンクRob Rensenbrink, フルネーム:Robert Pieter Rensenbrink, 1947年7月3日 - )は、オランダアムステルダム出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(左ウイング、センターフォワード)、ミッドフィルダー(左サイドハーフ、攻撃的MF)。

ロブ・レンセンブリンク Football pictogram.svg
Rob Rensenbrink (1978).jpg
1978年
名前
本名 ロベルト・ピーテル・レンセンブリンク
愛称 ロブ
ラテン文字 Robert Pieter Rensenbrink
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1947-07-03) 1947年7月3日(71歳)[1]
出身地 アムステルダム[1]
身長 178cm[1]
選手情報
ポジション FW(LWG)、MF(OH, LSH)
利き足 左足
ユース
オランダの旗 DWSアムステルダム
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1965-1969
1969–1971
1971–1980
1980
1981–1982
オランダの旗 DWSアムステルダム
ベルギーの旗 クラブ・ブルッヘ
ベルギーの旗 アンデルレヒト
アメリカ合衆国の旗 ポートランド・ティンバース
フランスの旗 トゥールーズ
120 (34)
55 (24)
262 (143)
18 (6)
12 (1)
代表歴
1968-1979[2] オランダの旗 オランダ 46 (14)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アンデルレヒト時代のチームメイトで元オランダ代表の選手であるヤン・ムルダーはレンセンブリンクについて、「クライフと同じくらい良い選手だった。そう思っていないのは彼だけだよ。」と話している[3]

目次

経歴編集

主にベルギーのクラブでプレーするなどオランダ国内では無名の存在で(オランダのフットボール界でレンセンブリンクが無名だった訳では無く、「フェイエノールトリヌス・イスラエルに続いて自分もDWSから獲得しようとしていたが、クーン・ムーラインがすでにブレイクしていたこと、DWSの求めた45万グルデンがフェイエノールトには高すぎた」と本人が後年語っている[4])、1974年のFIFAワールドカップ・西ドイツ大会ではオランダ代表に選出されたが、開幕前はピート・カイザーら層の厚いFW陣の中で控え選手であった。しかし1次リーグ第3戦のブルガリア戦以降はレギュラーの座を掴み、2次リーグの東ドイツ戦では1得点を決めた。

1978年のFIFAワールドカップ・アルゼンチン大会では左サイドからプレーすることが多かったヨハン・クライフが参加を辞退した事もあり、より自分の本職のポジションでプレーすることができたレンセンブリンクはエースとしてチームを牽引。1次リーグイラン戦でハットトリックを達成。スコットランド戦で前半34分に決めたゴールはW杯通算1000ゴール目の記念ゴールとなった。2次リーグオーストリア戦でも1ゴールを決め、計5得点の活躍で準優勝に貢献した(得点王は6得点のマリオ・ケンペス)。

またアルゼンチン大会決勝・アルゼンチン戦では、1対1で迎えた後半終了30秒前にルート・クロルのロングパスから上手く抜け出し、キーパーと一対一の場面から放ったシュートがポストに嫌われる場面があった(その後、延長でアルゼンチンが2点を加え1対3で敗退)。古いサッカーファン(特にオランダのファン)の間では「もしあのシュートが決まっていればオランダの優勝と得点王を獲得出来た筈」と話題に上る事がある。しかし、レンセンブリンク自身は、「あのときのシュートが、まったく違う方向に外れていればよかったと思うときがある。そうすればこんなにいつまでも言われ続けることはなかった。あの場面でシュートを決めるのは不可能だったんだよ。」と語り[3]、ポストに当てることが精一杯で、ゴールを狙える場面ではなかったと話している[3]。この大会についてレンセンブリンクは「全ての注目がクライフに集まった1974年大会よりも1978年大会の方がずっと良い気分だった。ただ決勝だけは未だに残念。ライン上に重装備の軍人たちが並び、得点したらどうなるのかと思った」と語っている[5]

タイトル編集

脚注編集

外部リンク編集