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ロベール2世 (フランドル伯)

ロベール2世フランス語Robert II, 1065年頃 - 1111年10月5日)は、フランドル伯(在位:1093年 - 1111年)。第1回十字軍に参加し、「エルサレムのロベール」(Robert de Jérusalem)として知られる。ロベール1世とその妻ゲルトルート・フォン・ザクセンの長男。異父姉にフランスフィリップ1世の王妃ベルト・ド・オランドがいる。

ロベール2世
Robert II
フランドル伯
Robert2Flandry.jpg

出生 1065年
死去 1111年10月5日
モー
配偶者 クレマンティーヌ・ド・ブルゴーニュ
子女 ボードゥアン7世
父親 フランドル伯ロベール1世
母親 ゲルトルート・フォン・ザクセン
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生涯編集

1093年に父ロベール1世の死により伯位を継承した。継承の前年の1092年にフランス王フィリップ1世はロベール2世の異父姉ベルトと離婚し、これ以降フランドルとフランスとの関係は悪化、フランドルはイングランドと接近していた。1101年3月、ロベールはイングランド王ヘンリー1世との間にドーヴァー条約を結んだ[1][2]。この条約はフランドルはヘンリーが要請した場合に騎兵を提供し、フランス王フィリップ1世のイングランドおよびノルマンディー侵略を阻止するというものであったが[2][3]、ヘンリー1世と敵対していたノルマンディー公ロベール短袴公(かつてフランドルに亡命していた)とフランドルとの関係を絶つという目的もあった。ただ、この条約にもかかわらず、ロベール2世は常にフランス王に忠実であったという[4]

1111年、ロベール2世はブロワティボー4世と争い、甥でもある主君のフランス王ルイ6世を援けたときの傷が元で、モーで死去した。ロベールはブルゴーニュ伯ギヨーム1世の娘で教皇カリストゥス2世の姉妹であるクレマンティーヌと結婚しており、伯位はその息子ボードゥアン7世が嗣いだ。

脚注編集

  1. ^ 朝治 他、p. 23 - 24
  2. ^ a b 朝治 他、p. 199
  3. ^ 朝治 他、p. 24
  4. ^ 朝治 他、p. 200

参考文献編集

  • 朝治啓三 他 編 『中世英仏関係史 1066-1500』 創元社、2012年
先代:
ロベール1世(フリース人伯)
フランドル伯
1093年 - 1111年
次代:
ボードゥアン7世