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91編集

基本的なデザインは前年車の87をベースとしている。87は88のカーボンモノコックを共用し、ツインシャーシ部分を取り除いたマシンなので、91の随所に88の名残が見られる。翌1983年からフラットボトム規定が導入されたため、ロータスにとって最後のグラウンド・エフェクト・カーとなった。

シーズン中盤の第10戦イギリスGPから87/5がプルロッド形式/ライジングレートのフロントサスペンションを持つ91/5に改装されて持ち込まれたが、イギリスGPを含む4戦でスペアカーとして使用されるに留まった。最終戦のラスベガスGPには91/10がプルロッド形式フロントサスでマンセル用の新車として持ち込まれたが、予選の途中からマンセルは従来のロッキングアーム車に乗り換えている。

タミヤはこのマシンを譲り受けて、102Bティレル・P34などのF1マシンとともに本社ビルに展示している。しかし、プラモデルとして製品化はされていない。

1982年シーズン編集

開幕戦には前年に使用した87の改良版である87Bを使用。91は第2戦ブラジルGPから投入された。ドライバーは、前年に引き続きエリオ・デ・アンジェリスナイジェル・マンセル。デビュー戦はマンセルが5位でフィニッシュし、レース後に1・2位の2台が失格となり繰り上がりで3位に入賞した。第4戦サンマリノGPは、他のFOCA系チームと共に欠場した。

カナダGPでの負傷により欠場したナイジェル・マンセルの代役として、第9戦にはロベルト・モレノが、第11戦にはジェフ・リースがスポット参戦したが、モレノは予選落ちでリースが12位完走という結果に終わった。

第13戦オーストリアGPでは、エリオ・デ・アンジェリスが僅か0.05秒差で追いすがるケケ・ロズベルグを抑えて優勝した。これはロータスにとって1978年第13戦以来4年ぶりの勝利であると共に、シーズン後に急逝する創設者コーリン・チャップマンにとって最後の勝利となった。

シーズン終了後の12月には、全日本F2選手権チャンピオンとなった中嶋悟が、JPSトロフィーに優勝した特典としてドニントン・パークにて91をテスト走行させている[1]。また、1983年の夏に富士スピードウェイで開催されたF1フェスティバルでも中嶋悟が91を運転している。

シャーシ履歴編集

91は8788と基本的に共通のモノコックが使用されているので、シャーシ・ナンバーも88、87からの連番となっている(88用として作られたタブは、フロント部に空力シャーシのラダー部分が上下動するための切り欠きがある)。91/6から91/10までが新しく作られ、87/5が91/5へとコンバートされた。日本のコレクターに売られた91/6と「タブの出来が悪かった」91/9以外のモノコックは、その後9294Tとしても使用された。88、87と後にコンバートされた92も含めて10台全てが現存する。

スペック編集

シャーシ編集

  • シャーシ名 91
  • 全長 4,300mm
  • 全幅 2,150mm
  • ホイールベース 2,748mm/2,799mm/2,849mm(可変式)
  • 前トレッド 1,784mm
  • 後トレッド 1,673mm
  • ホイール スピードライン
  • タイヤ グッドイヤー
  • ダンパー コニ

エンジン編集

記録編集

No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント ランキング
RSA
 
BRA
 
USW
 
SMR
 
BEL
 
MON
 
DET
 
CAN
 
NED
 
GBR
 
FRA
 
GER
 
AUT
 
SUI
 
ITA
 
CPL
 
1982 11   エリオ・デ・アンジェリス Ret 5 4 5 Ret 4 Ret 4 Ret Ret 1 6 Ret Ret 30 5位
12   ナイジェル・マンセル 3 7 Ret 4 Ret Ret Ret 9 Ret 8 7 Ret
12   ロベルト・モレノ DNQ
12   ジェフ・リース 12

脚注編集

  1. ^ 「F1走る魂」(海老沢泰久著、文藝春秋