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ローマの休日』(ローマのきゅうじつ、原題:Roman Holiday)は、1953年製作のアメリカ映画

ローマの休日
Roman Holiday
Audrey Hepburn in Roman Holiday trailer.jpg
主演のオードリー・ヘプバーン
監督 ウィリアム・ワイラー
脚本 ダルトン・トランボ
ジョン・ダイトン
原案 ダルトン・トランボ
製作 ウィリアム・ワイラー
出演者 グレゴリー・ペック
オードリー・ヘプバーン
エディ・アルバート
音楽 ジョルジュ・オーリック
撮影 アンリ・アルカン
フランク・F・プラナー
編集 ロバート・スウィンク
配給 パラマウント映画
公開 アメリカ合衆国の旗 1953年8月27日
日本の旗 1954年4月21日(佐世保
上映時間 118分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $1,500,000(見積値)[1]
興行収入 アメリカ合衆国の旗 $5,000,000[1]
世界の旗 $12,000,000[1]
配給収入 2億8404万円[2] 日本の旗
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概要編集

ウィリアム・ワイラーが製作・監督した。イタリアローマを表敬訪問した某国の王女と、彼女が滞在先から飛び出し一人でローマ市内に出たとき知り合った新聞記者との切ない24時間の恋を描いている。トレヴィの泉真実の口などローマの名だたる観光スポットが登場する。

新聞記者をグレゴリー・ペック、王女をオードリー・ヘプバーンが演じている。当時新人だったヘプバーンは、本作により1953年のアカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した。このほか衣裳のイーディス・ヘッドが「最優秀衣裳デザイン賞」を、脚本のイアン・マクレラン・ハンターが「最優秀原案賞」をそれぞれ受賞している。

ただし、本作の脚本は実際にはダルトン・トランボが執筆したものだった。当時のマッカーシー旋風による赤狩りでトランボはハリウッドを追われていたため、名義を借用したのである。アカデミー賞選考委員会は、1993年にトランボへ改めて「1953年最優秀原案賞」を贈呈している[3]

ストーリー編集

 
ローマ市内をベスパで走るシーン

ヨーロッパきっての古い歴史と伝統を持つ某国の王女アンは、ヨーロッパ各国を表敬訪問中であった。最後の滞在国であるイタリアローマで、過密なスケジュール、疲労感と自由のない生活への不満により、ついにアンはヒステリーを起こしてしまう。

その夜、密かに城を抜けだした王女は、直前に打たれていた鎮静剤のせいで、無防備にも路傍のベンチでうとうとし始める。そこに通りかかったのが、アメリカ人新聞記者のジョー・ブラッドレーだった。見かねて介抱するうち、いつの間にか王女はジョーのアパートまでついて来てしまう[4]。眠くて仕方のない王女は、詩を朗読して寝てしまう[5]

翌日の昼になって、彼女の素性に気づいたジョーは、王女の秘密のローマ体験という大スクープをものにしようと、職業を偽り、友人のカメラマンであるアーヴィングの助けを得て、どうにか王女を連れ歩くことに成功する。

アンは、市場での散策を楽しむ。まずサンダルを買い、美容院で髪の毛を短くし、スペイン広場ジェラートを食べる。その後ジョーとベスパに2人乗りしてローマ市内を廻り、真実の口を訪れ、サンタンジェロ城前のテヴェレ川でのダンスパーティーに参加する。その様子をアーヴィングが次々とスクープ写真を撮っていくうち、永遠の都・ローマで、自由と休日を活き活きと満喫するアン王女と新聞記者のジョーの男女仲は、次第に近づいていくのであった。

キャスト編集

製作編集

製作決定編集

本作の脚本家であるダルトン・トランボがこの物語を書き上げたのは1940年代半ば頃で、元々フランク・キャプラが映画製作会社リバティ・フィルム社のために書かせたものである。1948年にリバティ・フィルムがパラマウント社に買収された後に、キャプラを監督にして製作に入ることに決まっていた。この時、エリザベス・テイラーケーリー・グラントに出演交渉されたが、パラマウントの予算が少なかったためキャプラは興味を失った[6]

その後、この企画はしばらく宙に浮いたままだったが、1951年初めにウィリアム・ワイラーがこの脚本を知り、ローマでの撮影を条件に強い関心を示して、ワイラー監督でパラマウント社は製作に入ることとなった。

製作時にアメリカ本国では、ジョセフ・マッカーシー上院議員らによる「赤狩り」と呼ばれるマッカーシズムが吹き荒れ、非米活動調査委員会での共産主義者排斥運動が行われ、映画産業でも「ハリウッド・テン」と呼ばれた人物たちがパージされた。本作の脚本家であるトランボもその一人であったため、友人の脚本家イアン・マクレラン・ハンターが、本作の脚本にその名前をクレジットした。

ワイラーがローマへ携えた草稿は、トランボの脚本をハンターが手直ししたものであった。ワイラーは、イギリスの作家ジョン・ダイトン英語版を雇い、その草稿に磨きをかけて製作中に新たなシーンを書き加えさせた。そのため、1953年に映画が公開された時には、画面に出された脚本家のクレジットはハンターとダイトンが共有した[7]

撮影地編集

1950年代から、アメリカ映画はハリウッドを離れてヨーロッパなどで撮影するケースが増えていた。本作の舞台がローマであったことから、ワイラー監督は最初から撮影場所を現地ローマとして、スタジオをチネチッタ撮影所にする決定をした。

これは、製作費が低く抑えられたために、人件費が安く、また当時チネチッタなどイタリア映画も好調で優秀なスタッフが揃っており、人材面での不安がなく[8]、またパラマウント映画がイタリアで稼いだリラ(国外には持ち出せない)を制作費に充てられる、という理由もあった[9]。アメリカの観客がヨーロッパの文化を受容しやすかった点なども海外ロケの要因にある。イタリア側も映画産業に対し協力的であった。これは観光産業が目的で、本作で紹介される名所はスペイン広場パンテオンコロッセオ真実の口など枚挙に暇がない。またヨーロッパの工業製品として世界中でヒットしたスクーターのベスパ、小型車のフィアットを登場させている。

この作品の撮影に入ったのは1952年夏であったが、この年の夏はローマにおいて20世紀で最も暑い夏の一つとして記録されるほどの「地獄の夏」であった。出演者はメイクが流れ落ち、頻繁にメイクアップを直していた。街は湿気でサウナに変わったと言われている[10][9]

オードリー・ヘプバーンの起用編集

 
スクリーン・テストを受けるオードリー・ヘプバーン。

この作品で最初にヒロイン候補に挙がっていたのはエリザベス・テイラーであった。その後監督がフランク・キャプラからウィリアム・ワイラーに変わり、ヒロイン候補にはジーン・シモンズの名前が挙がった。しかしジーン・シモンズと専属契約をしているハワード・ヒューズが貸し出しを拒否した[9][11]。グレゴリー・ペックも最初は出演を渋ったがワイラーが説得、出演を承諾した[11][12]。インタビューでワイラーは「主役にグレゴリー・ペックを使えると決まって急に具体化しました。相手の王女役に大スターを使う必要がなくなったからです。そこで私は無名であっても王女の役にふさわしい娘さんを捜しにかかりました。」と答えている[13]

1951年7月パラマウント社ロンドン支社のリチャード・ミーランド製作部長[14]は「『ローマの休日』の新しい候補、オードリー・ヘプバーンを発見した。『素晴らしき遺産』で彼女が演じた小さな役に感銘を受けた」とニューヨークの事務所に送った[15][12]。ロンドンに立ち寄ったワイラーはオードリーに会い「何か独特の個性を持っているという強い感銘を受け、早速カメラ・テストをすることにしました。」と答えている[13]

当時、オードリーは映画界では無名に近い存在であったが、その彼女をロンドンのパインウッド撮影所に呼んで1951年9月18日にスクリーン・テストを受けさせた。監督はオードリーの希望で『初恋』の監督だったソロルド・ディキンソン。他に俳優でライオネル・マートンとキャスリーン・ネズビットが出演した[15][12]。ワイラーはありのままのヘプバーンを評価するために、ベッドから起き上がるシーンのテストが終わってもカメラを回して撮影しておくように指示した[9][12]。テストが終わったと思い込み、笑顔で伸びをする自然なヘプバーンのフィルムを見たワイラーはヒロインに抜擢することを決めた[16][17][18]グレゴリー・ペックも彼女の才能を認め、新人であるにもかかわらず自分と同等のクレジットを与えることをエージェントとスタジオに要求[9][6]。ヘプバーンは映画のタイトルの前に主演としてグレゴリー・ペックと共に載った[9][6]

しかし、彼女にはそれ以前に声がかかってブロードウェイで上演される『ジジ』の主役に抜擢されており、この直後に船でニューヨークに向かった。そしてブロードウェイでおよそ6か月の公演が続き、『ローマの休日』の撮影に入ったのは主演に決まってから8か月後の1952年6月であった。

撮影編集

ワイラーの演出は同じシーンの撮影に何回も繰り返すことで有名であった。スタジオでの撮影ではワイラーの要求が多すぎて、何度もテイクを繰り返すことが多い。ところがこの作品ではローマ市内での屋外ロケが多く、制約が多すぎて、カットをわずかな回数に限定せざるを得なかった。これはオードリーにとっては幸運であった。しかし市内の観光名所や公共施設で撮影するので、騒音対策、交通整理、パパラッチ問題に悩まされて、移動のたびに見物するファンの群れにも対応せざるを得ず、暑い夏で大変な作業を要したと言われている[10][12]

ペックとワイラーは新人ヘプバーンの女優としての力量を引き出すために腐心した。真実の口のシーンの撮影では、2人は一計を案じ、本番で真実の口に手を突っ込んだペックは、本当に手を噛みちぎられたように演じた。ヘプバーンは驚きのあまり、本気で叫び声を上げ、素のリアクションを見せた。この自然な演技は、2人を十分満足させるものであり、1テイクでOKが出た。

ローマ市内を2人がスクーターで走る場面は、この映画の代表的なシーンになったが、わずか3分のシーンであるのに撮影には6日間を要した[12]

評価編集

2002年にアメリカン・フィルム・インスティチュート (AFI) がアメリカ映画の GREATEST LOVE STORY を集めて行った「情熱的な映画ベスト100」において、『ローマの休日』は『カサブランカ』『風とともに去りぬ』『ウエスト・サイド物語』に次いで第4位で、『めぐり逢い』『追憶』『ドクトルジバゴ』『素晴らしき哉、人生!』『ある愛の詩』より上位となった。また、同じAFIが2008年に行ったロマンティック・コメディ映画の部門でも第4位(トップは『街の灯』)となっている。

日本初公開編集

『ローマの休日』の日本初公開は、1954年4月27日(東京地区)であったことになっているが、正確にはそれより6日早く、4月21日に長崎県佐世保市の「佐世保富士映画劇場」で先行して公開されている[19]。4月23日には名古屋市の「名古屋ミリオン座」で封切られ、28日間の興行で名古屋地区洋画興行界始まって以来の大入りとなった[19]。他の一部の地方都市でも、東京よりも早く公開されている。4月27日公開の東京の日比谷映画劇場では最初3週間の上映期間がお客が減らずに延々と伸ばされ、最終的に5週間と3日となり、開館以来の新記録を打ち立てた[19][20][21]。大阪でも開館以来のヒットであった[20][21]。最終的には1954年公開の洋画での配給収入第1位になっている。

エピソード編集

スペイン広場の時計編集

 
後景の教会の時計は11時25分を指している。
 
スペイン広場でのシーン

映画の中盤に、アン王女が市内に出て美容院で髪を短く切り、尾行してきた新聞記者ジョー・ブラッドレーが、スペイン広場で「偶然の再会」を装って、2人が語り合う場面がある。

上映時間にして2分にも満たないが、その時に階段下から撮ったカットで、後景に教会の鐘楼の下の時計が映っている。カットのたびに時計の針が大きく動いており、一度に撮影されたものではないことがわかる。

まず、アン王女が広場の階段の端に座っている時にジョーが声をかける最初のカットでの時計の針は8時10分で、9秒後に同じアングルでジョーがアンの横に座ろうとしたカットでは9時15分を指し、ジョーがアンの横に座った後にアップしたカットでは11時25分、そして一緒に市内観光に行こうと合意して立ち上がったカットでは10時20分を指している。

その他

  • イギリスの女王エリザベス2世の妹マーガレット王女に関して、王女と民間人との恋の主人公として『ローマの休日』公開前に話題となったが、この恋は成就しなかった。そのため『ローマの休日』はこのことをモデルにしたのではと思われることもあるが、この映画の撮影は1952年であり、マーガレット王女の恋が公になったのは1953年である。このためこの映画のプロデューサーであったパラマウント社のライルズは明確に否定している。ただし、映画のプロモーションとしてこの事件が功を奏したことは否定していない。
  • 映画の中で、エディ・アルバートが演じるカメラマンが使用する、ライターで紙巻きたばこに火をつけるように見せかけて写真を撮る「ライター型写真機」は、日本製の「エコー8」である。
  • グレゴリー・ペック演じる新聞記者ジョー・ブラッドレーと、支局長とのやりとりの中で、特ダネの代名詞としてアニー・オークレイとともにマダム・チャン・カイ・シェック(蒋介石夫人)の名前が挙げられている。
  • 劇中でヘプバーン演じるアン王女がジェラートを食べるシーンが撮影されたスペイン階段は、2019年7月から「観光客がゴミを散らかしているため」座ったり寝そべるのが禁止された。悪質な場合は最大で400ユーロ(約4万7,000円)の罰金が科される[22]

デジタル・ニューマスター版編集

2003年に映画製作50周年を記念してデジタル・ニューマスター版が発表された。クレジットにはダルトン・トランボの名前が入っている。日本では全国のテアトル系・ユナイテッド・シネマ系の劇場でリバイバル公開の後、スペシャルDVDが販売された[23]

東京のテアトルタイムズスクエアで上映された時は大ヒット、テアトルタイムズスクエアの劇場前売り券新記録達成、観客動員数でも第1位になった[24]。その後『パッション』に抜かされたものの、2009年の閉館時でも歴代観客動員数第2位であった[25][26]。閉館の最終上映日の大トリも『ローマの休日』であったが、他の作品に先駆けて前売り券だけで完売していた[27]

賞歴編集

アカデミー賞編集

受賞
アカデミー主演女優賞オードリー・ヘプバーン
アカデミー衣裳デザイン賞 (白黒部門)イーディス・ヘッド
アカデミー原案賞イアン・マクレラン・ハンター、1992年12月にダルトン・トランボに変更
ノミネート
アカデミー作品賞ウィリアム・ワイラー
アカデミー監督賞:ウィリアム・ワイラー
アカデミー助演男優賞エディ・アルバート
アカデミー脚本賞:イアン・マクレラン・ハンター、ジョン・ダイトン
アカデミー撮影賞 (白黒部門):フランツ・プラナー、アンリ・アルカン
アカデミー美術賞 (白黒部門):ハル・ペレイラ、ウォルター・H・タイラー
アカデミー編集賞:ロバート・スウィンク

ゴールデングローブ賞編集

受賞
主演女優賞:オードリー・ヘプバーン

英国アカデミー賞編集

受賞
主演女優賞:オードリー・ヘプバーン
ノミネート
作品賞
外国男優賞:グレゴリー・ペック
外国男優賞:エディ・アルバート

ニューヨーク批評家協会賞編集

受賞
主演女優賞:オードリー・ヘプバーン
ノミネート
作品賞

ヴェネツィア国際映画祭編集

ノミネート
金獅子賞(作品賞):ウィリアム・ワイラー

ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞編集

受賞
トップ10フィルム

バンビ賞編集

ノミネート
主演女優賞:オードリー・ヘプバーン
主演男優賞:グレゴリー・ペック

全米監督協会賞編集

ノミネート
長編映画監督賞:ウィリアム・ワイラー

全米脚本家組合賞編集

受賞
脚本賞(コメディ部門):イアン・マクレラン・ハンター、ジョン・ダイトン

アメリカ国立フィルム登録簿編集

登録
1999年

オンライン映画批評家協会編集

受賞
OFTA Film Hall of Fame 2019年

その他編集

  • 「スクリーン」1955年5月号読者投票 第3位
  • 「映画の友」1955年5月号読者投票 第2位
  • 「キネマ旬報」 1954年度外国映画 第6位
  • アメリカン・フィルム・インスティテュート100周年記念 恋愛映画ベスト100 第4位[23]
  • 100万人の映画ファン投票「わが青春の一本」 第1位(1990年) NHK&JSB衛星映画マラソン365共同事務局編[23]
  • 映画人・著名人が選んだわが青春の映画ベスト109本 第7位(1990年) NHK&JSB衛星映画マラソン365共同事務局編[23]
  • 外国映画史上ベスト10 第6位 「キネマ旬報」(1989年)[23]
  • 大アンケートによる洋画ベスト150 第13位 (文藝春秋編)[23]


日本語吹替編集

役名 俳優 日本語吹替
フジテレビ版1 テレビ朝日 TBS フジテレビ版2 ソフト 日本テレビ PDDVD
アン王女 オードリー・ヘプバーン 池田昌子 笠原弘子 鈴鹿千春 池田昌子 すずきまゆみ 岡村明美
ジョー グレゴリー・ペック 城達也 津嘉山正種 小川真司 城達也 津嘉山正種 寺杣昌紀
アーヴィング エディ・アルバート 山内雅人 木村幌 大塚明夫 山野史人 大塚明夫 内田直哉 小形満
大使 ハーコート・ウィリアムズ 千葉順二 槐柳二 大木民夫 松岡文雄 北村弘一 宮田光[28] 樋渡宏嗣
伯爵夫人 マーガレット・ローリングス 金子亜矢子 幸田弘子 池本小百合 浅井淑子 荘司美代子 谷育子 定岡小百合
マリオ パオロ・カルリーニ 広川太一郎 安原義人 江原正士 山寺宏一 清水明彦 安斉一博
将軍 トゥリオ・カルミナティ 大久保正信 北村弘一 大木民夫 丸山詠二 石森達幸 ふくまつ進紗
支局長 ハートリー・パワー (登場シーンはカット) 上田敏也 中庸助 富田耕生 楠見尚己
日本語版制作スタッフ
演出 小林守夫 佐藤敏夫 松川睦 佐藤敏夫 小山悟 間瀬博美
翻訳 高瀬鎮夫
(ソフト版字幕)
木原たけし 森みさ 木原たけし 森みさ 岩崎純子
効果 遠藤尭雄 サウンドボックス 諸橋一男
調整 山下欽也
飯野和義
平野富夫 荒井孝 オムニバス・
ジャパン
田中和成 清本百合子
選曲 重秀彦
スタジオ オムニバス・
ジャパン
制作担当 稲毛弘之
プロデューサー 上田正人 山形淳二 宮崎啓子
北島有子
解説 前田武彦 淀川長治 宮島秀司 高島忠夫 - 坂上みき[29] -
制作 東北新社 東北新社
TBS
東北新社
初回放送
発売日
1972年4月7日
21:00-22:56
ゴールデン洋画劇場
正味約95分
1979年11月11日
21:00-22:54
日曜洋画劇場
正味約90分
1992年12月23日
21:00-22:54
水曜ロードショー
1994年1月15日
21:02-23:24
『ゴールデン洋画劇場』
本編ノーカット
1994年1月21日 2004年10月29日
21:03-23:24
金曜ロードショー
本編ノーカット
2007年11月

※書籍『名作映画で声優アフレコトレーニング』付属DVD(雷鳥社)では、厳選した9シーンの映像で、アン王女を久川綾渡辺明乃恒松あゆみが、ジョーを藤真秀野島健児三木眞一郎が吹き替えている。

テレビ放送履歴編集

※地上波のみ表記。

回数 放送日 放送時間 放送局 番組枠 吹替
1 1972年4月7日 21:00-22:56 フジテレビ ゴールデン洋画劇場 フジテレビ版1
2 1974年4月19日 21:00-22:55
3 1976年3月5日 21:00-22:54
4 1979年11月11日 21:00-22:54 テレビ朝日 日曜洋画劇場 テレビ朝日版
5 1986年5月9日 21:00-22:51 日本テレビ 金曜ロードショー
6 1992年12月23日 21:00-22:54 TBS 水曜ロードショー TBS版
7 1994年1月15日 21:02-23:24 フジテレビ ゴールデン洋画劇場 フジテレビ版2
8 1996年12月8日 21:03-22:54 テレビ朝日 日曜洋画劇場 テレビ朝日版
9 2000年5月6日 21:00-22:54 フジテレビ ゴールデン洋画劇場 TBS版
10 2004年10月29日 21:03-23:24 日本テレビ 金曜ロードショー[30] 日本テレビ版
11 2005年12月24日 21:30-23:24 フジテレビ プレミアムステージ フジテレビ版1
12 2007年9月8日 3:00-4:50 テレビ朝日 - テレビ朝日版
13 2009年3月21日 3:15-5:00 フジテレビ - フジテレビ版1


著作権問題編集

本作は作品中(オープニングタイトル、エンドロールなど)に著作権表記がなかったため、公開当時のアメリカ合衆国における著作権に関する法律(方式主義)により、著作権の権利放棄とみなされ、パブリックドメインとなった。なお、同じくヘプバーン主演の『シャレード』も同様にパブリックドメインとなった[31]

日本においては、1953年(昭和28年)上映の映画作品は、2003年平成15年)12月31日をもって「著作権法による著作権の保護期間が終了したもの」と解釈されたことから、2004年(平成16年)1月1日以降、いくつかの会社から格安DVDとしてリリースされた。パラマウント・ピクチャーズは、日本では著作権が存続していると主張して、販売差し止めと損害賠償を求めて民事訴訟を起こした。2005年(平成17年)7月11日、一審の東京地方裁判所民事47部は、『ローマの休日』について「著作権の保護期間は終了した」としてパラマウント・ピクチャーズの主張を全面的に退け、パラマウント側の敗訴となった。パラマウントはこの東京地裁判決を不服として、東京高等裁判所に控訴したが「戦術の見直し」を理由に、東京高裁への控訴を取り下げ、東京地裁判決が確定判決となり、『ローマの休日』は、日本でもパブリックドメインとして扱われることになった。

なおパラマウントが、同じ著作権の存続を理由に裁判で争っていた西部劇『シェーン』についても、一審・二審ともパラマウントは敗訴して最高裁に上告したが、2007年(平成19年)12月18日最高裁が、パラマウント側の主張を退け、著作権は消滅しているとの確定判決が下されて、この著作権問題は決着した。

映画に登場した名所編集

 
「真実の口」:ここでのペックの演技は撮影時に全く台本にない、オードリーを驚かせるアドリブであったと言われる。
 
バルベリーニ宮殿
(クアットロ・フォンターネ通りに面した門)
 
コロッナ宮殿

「ローマの休日」を題材にした作品編集

  • リメイク 1987年にアメリカで、テレビ映画新・ローマの休日』がキャサリン・オクセンバーグを主演にして放映(日本ではビデオ発売のみ)
  • ドラマ
  • 漫画
    • 『ローマの休日』水野英子1963年(昭和38年)発表の漫画化作品。祥伝社より単行本発売)
    • 9番目のムサシ高橋美由紀
      • 第2シリーズ「ミッション・ブルー」第4巻・「MISSION3」西アジア ダージェ王国皇太子アラム・アーレイ・アージェリア
    • COMBINATION聖りいざ
      • 第1巻・「FILE3」パミス国第1王女 プリンセス・アーリエ・ヤスコ・エレオノーラ
    • シティハンター北条司(週刊少年ジャンプにて連載。集英社)
      • 第15巻「ハーレム地獄の巻」「TOKYOデート・スクランブルの巻」「王女誘拐!?の巻」「告白のエアポートの巻」セリジナ公国アルマ王女
    • パタリロ
      • 「王女様の一日」パタリロ!93、23巻6話目
  • アニメ
    • サイボーグ009』(1979年版)
      • 第27話「美しく生きよ! 愛しき王女」モナミ王国キャサリン王女
    • シティーハンター2
      • 第10話・第11話「モッコリ殺し!? 王女の高貴なオーラ 前編・後編」セリジナ公国アルマ王女(原作15巻収録エピソードのアニメ化)
    • ストライクウィッチーズ2
      • 第5話「私のロマーニャ」 ロマーニャ公国第一公女 マリア・ピア・ディ・ロマーニャ(Maria Pier Di Romagna) :米澤円
  • 舞台
    • ミュージカル『ローマの休日』初演:1998年10月1日~10月28日・青山劇場ほか、脚本:堀越真、演出:山田和也、アン王女:大地真央 ジョー・ブラッドレー:山口祐一郎ほか、1998年度芸術祭賞受賞[32]
    • 演劇「ローマの休日」初演:2010年4月27日~5月9日・天王洲銀河劇場(東京)ほか、脚本・演出:マキノノゾミ 脚本:鈴木哲也。
主要キャスト
  2010年 2012年 2017年
アン王女 朝海ひかる 荘田由紀秋元才加 朝海ひかる
ジョー・ブラッドレー 吉田栄作
アーヴィング 小倉久寛
キャスト

脚注編集

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  1. ^ a b c Roman Holiday (1953) - Box office / business” (英語). IMDb. 2011年5月18日閲覧。
  2. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)113頁
  3. ^ 本人が亡くなっていたため、未亡人が代わりに受賞した。そしてハンターの名前は削除されている。
  4. ^ ラジオから聞こえてくる静かなピアノ曲はフランツ・リストの『巡礼の年』の「ゴンドラをこぐ女」である。
  5. ^ Arethusa arose / From her couch of snows / In the Acroceraunian mountains, -- で王女はキーツと言う。ジョーにシェリーと言われ、キーツと言い返すが、シェリーの Arethusa である。
  6. ^ a b c イアン・ウッドワード (1993年12月25日). 『オードリーの愛と真実』. 日本文芸社. 
  7. ^ ピーター・ハンソン著、松枝愛訳『ローマの休日を仕掛けた男〜不屈の映画人ダルトン・トランボ〜』(中央公論新社、2013年10月発行)186p
  8. ^ これは別の面から言えば、ハリウッドの撮影現場で専門技術者の組合の力が極めて強く、映画製作に経費がかかり過ぎて、製作コストを抑えるには国外で製作することが多くなっていった背景があった。この後に『慕情』『戦場にかける橋』『ベン・ハー』『スパルタカス』などがアメリカ国外で製作され、1960年代に入るとそれが当たり前になっていった(大場正明+編集部 著『アメリカ映画主義〜もうひとつのUSA〜』(フィルムアート社、2002年10月発行)184-186P)
  9. ^ a b c d e f バリー・パリス (1998年5月4日初版). 『オードリー・ヘップバーン』上巻. 集英社. 
  10. ^ a b チャールズ・ハイアム (1986年3月15日). 『オードリー・ヘプバーン 映画に燃えた華麗な人生』. 近代映画社. 
  11. ^ a b ジェリー・バーミリー (1997年6月13日). 『スクリーンの妖精 オードリー・ヘップバーン』. シンコー・ミュージック. 
  12. ^ a b c d e f アレグザンダー・ウォーカー (2003年1月20日). 『オードリー リアル・ストーリー』. アルファベータ. 
  13. ^ a b 『映画の友』. 映画世界社. (1954年5月号(3月発売)). 
  14. ^ ミーランドはこのすぐ後で、彼女にキャサリン・ヘプバーンと混同されるので改名してはどうかと打診している。その時彼女は「私をお望みなら、名前も採用してください」と答えている(アレグザンダー・ウォーカー.株式会社アルファベータ.『オードリー リアル・ストーリー』2003年1月20日発行,)
  15. ^ a b バリー・パリス (1998年5月4日). 『オードリー・ヘプバーン』上巻. 集英社. 
  16. ^ 『映画ストーリー臨時増刊 オードリー・ヘップバーン』. 雄鶏社. (1954年10月15日発行). 
  17. ^ 泉 三樹夫 (1954年11月20日発行). 『オードリー・ヘップバーン物語』. 東京タイムズ. 
  18. ^ 『スクリーン』. 近代映画社. (1954年5月号(3月発売)). 
  19. ^ a b c “オードリー旋風・二億三千万円”. キネマ旬報 1954年6月下旬号. 
  20. ^ a b “ヘップバーン旋風五つの秘密”. 『サンデー毎日』. (1954年7月4日号). 
  21. ^ a b 『AUDREY HIGHNESS & SABRINA』別冊付録(『サンデー毎日』の記事の再録). シンコー・ミュージック. (1987年11月初版発行). 
  22. ^ 「ローマの休日」再現ダメ 舞台となったスペイン階段座ると罰金”. テレ東NEWS. 2019年8月14日閲覧。
  23. ^ a b c d e f 『ローマの休日』制作50周年記念デジタル・ニューマスター版イントロダクション”. パラマウント・ピクチャーズ. 2019年7月20日閲覧。
  24. ^ ローマの休日 :: インフォメーション”. パラマウント・ピクチャーズ. 2019年7月20日閲覧。
  25. ^ “大きなミニシアター”テアトルタイムズスクエアが終焉!”. MovieWalker. 2019年7月20日閲覧。
  26. ^ 豪華すぎる! テアトルタイムズスクエア閉館特別上映のラインナップが決定”. チケットぴあ. 2019年7月20日閲覧。
  27. ^ あの名作を大画面で! テアトルタイムズ閉館特別上映、絶賛開催中”. チケットぴあ. 2019年7月20日閲覧。
  28. ^ 当初は松村彦次郎が演じる予定だったが、事情により宮田に変更となった。
  29. ^ 厳密には「番組ナビゲーター」
  30. ^ “ローマの休日 - 解説、見どころ”. 金曜ロードショー. http://www.ntv.co.jp/kinro/before200805/before200602/lineup/2004/1029/index.html 
  31. ^ このため、ウィキコモンズに高解像度のスクリーンショットが収録されている。
  32. ^ 2018年5月1日中日劇場(中日新聞文化芸能局)発行「中日劇場全記録」
  33. ^ a b c 宝塚歌劇団雪組「ローマの休日」の主な配役が発表”. ステージナタリー (2016年2月26日). 2016年2月26日閲覧。

外部リンク編集