カトリック教会

キリスト教の教派のひとつ

カトリック教会(カトリックきょうかい、ラテン語: Ecclesia Catholica)は、ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教教派。その中心をローマ司教座に置くことからローマ教会ローマ・カトリック教会とも呼ばれる[1]

バチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山サン・ピエトロ大聖堂

概要編集

カトリック教会自身による「カトリック」の定義は、教会憲章 (Lumen Gentium[2]) にみられる「ペトロの後継者(ローマ教皇)と使徒の後継者たち(司教)によって治められる唯一、聖、カトリック、使徒的な教会」という表現に最もよく表されている。1054年大シスマによる東西教会の分裂以前の教会で、ニカイア信条ニカイア・コンスタンティノポリス信条およびカルケドン信条を信仰する教会(アリウス派単性論の対義語という意味。正統教義ともいう)を指してカトリックと呼ぶこともある。[3]

また、狭義の「カトリック教会」には、ローマ教皇を中心としながらも伝統的な独自の東方典礼を維持する東方典礼カトリック教会の諸教会があるほか、「カトリック」を自称・自認する教派は他にも復古カトリック教会ポーランド・カトリック教会リベラル・カトリック教会中国天主教愛国会など独立カトリック教会の諸教会があり、これらと区別する意味でローマ・カトリック教会とも呼ばれる。

歴史編集

キリスト教としての信仰の確立の歴史編集

イエスの復活信仰の確立・ナザレのイエスの死を通しての贖罪信仰の確立・主イエス・キリスト信仰の確立・終末信仰の確立については、キリスト教#歴史を参照

聖書は神の言葉という信仰の確立編集

聖書は神の言葉という信仰の確立については、旧約聖書#神の言葉として成立した聖書の歴史を参照

組織編集

「キリストの教会」という世界観編集

カトリック教会においては、自宗を「キリストの教会」だとする世界観がある。[4]この世界観は、神と神の右に座するイエス、神の母マリアや聖人たちのとりなし[5]、天国の鍵を管理するペテロ、信者たちの集う天国等で構成されている[6]。こうした世界観にもとづく組織構造がペテロの権威を引き継ぐローマ教皇という現実の人間を中心に展開されている。

ローマ教皇編集

 
前ローマ教皇(現名誉教皇)
ベネディクト16世

ローマ教皇とは、カトリック教会の総代表者で、全カトリック教会の裁治権と統治権を持つものである(日本語では「法王」と呼ばれることも多いが、カトリック教会での正式名称は「教皇」であり、「法王」という言い方は日本国にとってのバチカン市国の首長を表す外交用語でしかない)。ローマ教皇は使徒ペトロによる使徒座の後継者であり、現在はバチカンに居住する

枢機卿団編集

枢機卿団は、教皇庁で働く高位聖職者や世界の重要な司教区の司教たちの中から教皇によって任命される。教皇選挙に参加できるのは80歳未満の枢機卿である。

司教編集

司教は使徒たちの後継者であり、教え、聖化し、統治する務めを与えられた者であるとされる。ローマ教皇もまた、司教の一人であるが、使徒ペトロの権能を引き継いでいるとみなされ、司教団の中における特別な地位を認められている。なお、東方教会東方典礼カトリック教会)の一部では「総大司教」がいて、教会の首長となっている。

司教の本来の職務は、教区の責任者として教区内の教会を統治することで、キリストの代理者として、司祭助祭の協力を得て司牧の務めを果たすものとされている[7]。通常の司教(教区司教)のほかに、(大司教など職務の多い)司教を補佐するために「協働司教」や「補佐司教」が任命されることがある[8]

司祭と助祭編集

司祭助祭は司教の職務を補助している。司祭には、教区に属する教区司祭(かつて「在俗司祭」とも呼ばれた)と、修道会に属する修道司祭とがあり、どちらにも属さないフリーの司祭というものは存在しない。

また、教皇パウロ6世の時代まで、守門、読師、祓魔師、侍祭という下級聖職(下級品級)および副助祭という聖職位階が存在したが、1972年8月15日に発布された自発教令「ミニステリア・クエダム」によって1973年に廃止され、現代では聖体奉仕者祭壇奉仕者の2つの「奉仕職」に改められて、かつてのような聖職位階として扱われることはなくなった[9]

カトリック教会の聖職者(司教・司祭・助祭)は、独身男性に限られ、叙階の秘跡を受けることで選ばれる。

信徒編集

洗礼を受けた信者は、信徒と呼ばれる。

信者数 カトリック信徒の分布編集

 
人口に占めるカトリック信徒の比率 色が濃くなるほど比率が高い

全世界に存在する(洗礼を受けた)カトリック信徒の総数は12億人に上るとみられている。カトリック信徒は世界中に存在しているが、特に多いのはヨーロッパアメリカ大陸である。2000年度の統計では、南北アメリカに5億2000万人、ヨーロッパに2億8000万人、アフリカに1億3000万人、アジアに1億700万人、オセアニアに800万人である[10]。 ヨーロッパでカトリック信徒の多い国は、ラテン諸国といわれる国でフランスイタリアスペインポルトガルアンドラモナコサンマリノ、非ラテン諸国ではオーストリアベルギークロアチアチェコハンガリーアイルランドリトアニアマルタポーランドスロバキアスロベニアルクセンブルクリヒテンシュタインである。ドイツオランダスイスおよび北アイルランドはカトリックとプロテスタントがほぼ同数である。

アメリカ大陸では特に南アメリカに信徒が多く、特に多いのはメキシコブラジルアルゼンチンコロンビアパラグアイである。

アジアではスペイン、ポルトガルの植民地であった歴史的背景からフィリピン東ティモールにカトリック信徒が多い。

教義編集

おとめマリアより生まれたイエス編集

  • ナザレのイエスは、処女マリアから生まれた、と信じる。聖書に書いてある通りである。

ナザレのイエスは死んだけれども、よみがえった編集

  • 罪がないナザレのイエスは死刑になったが、死んでから三日たってからまた生き返った、と信じる。聖書に書いてある通りである。

ナザレのイエスは天に昇って行ってから、神の右に座った編集

  • ナザレのイエスはみんなの見ている前で、天に昇って行った、と信じる。聖書に書いてある通りである。
  • ナザレのイエスは再び天から降りてきて、最後の審判の時に、今現在生きている者と、すでに死んだ者とをさばくと信じる。
  • すでに死んだ人でも生き返ると信じる。イエスを救い主と信じる人は、神の国が到来したら、新しい命がもらえると信じる。[11]

聖母の被昇天編集

ナザレのイエスの母だったマリアは、その人生の終わりに、肉体のままで天国にあげられたという信仰。

無原罪の御宿り編集

ナザレのイエスの母だったマリアは子供を宿した時に原罪が潔められた、という意味ではなく、「マリアはその存在の最初(母アンナの胎内に宿った時)から原罪を免れていた」という信仰。[12][13]

教皇不可謬説編集

ローマ教皇が「信仰および道徳に関する事柄について教皇座(エクス・カテドラ)から厳かに宣言する場合、その決定は聖霊の導きに基づくものとなるため、正しく決して誤りえない」という教義のこと。<教皇ピウス12世の「聖母の被昇天」に関する宣言には、「もしこれらのことを疑い、否定する発言を行うものはカトリック教会の信仰から離れているとみなされる」とした。

奇蹟があるという教説編集

カトリック教会には、公認、未公認、または非公認のあらゆる奇蹟があるとされる。

聖書は神の言葉だと信じる編集

指導者が聖霊に満たされて語る言葉は、神の言葉とされているので、聖霊に満たされて書かれた聖書は、神の言葉である。[14]

教皇の首位権編集

ローマ教皇は、全世界のキリスト教の司教たちの中で、最も権威を持っていて、天国の鍵[15]を受け継いでいるとされる。教会の外にいるものは聖霊の恵みを受けられず、もしそこから離れてしまえば聖霊の恵みを得ることができないとされている。[16]

現代的な教義の意味づけ編集

カトリック教会の教説(教え)は「聖書聖伝」という言葉であらわされるように、旧約聖書新約聖書およびイエス・キリスト使徒の教えに由来し、教父たちによって研鑽され、多くの議論を経て公会議などによって確立されてきたものである。使徒信条およびニケア・コンスタンティノープル信条を信条としている[17]。特に宗教改革以降、トリエント公会議においてカトリック教会の教義が整理され、再確認された。さらに現代では第2バチカン公会議でも現代に生きる教会として教義の意味を見直した。[18]

教典編集

カトリック教会においては、ヒエロニムス以来何度となく改訂されてきたヴルガータとよばれる後期ラテン語聖書が公式な聖書とされてきた。現在は各国語に翻訳されている。カトリック教会で聖書正典に含まれる諸文書を最終的に決定した公会議はトリエント公会議である。カトリック教会が正典とする旧約聖書には、七十人訳聖書には含まれていたがヘブライ語マソラ本文に含まれていない文書がある。それらは第二正典という語で指される場合もあるが、正典に含めている。

日本語訳聖書においても、かつてカトリック教会とプロテスタント諸派では異なる翻訳による聖書を用いてきた。しかし、第2バチカン公会議以降の世界でのカトリックとプロテスタントによる聖書の共同翻訳という流れを受けて、日本でも両者による共同翻訳作業が始められた。その成果が初めて形になったのが『共同訳聖書』であり、表記などの問題点を改善したものが、現在日本のカトリック教会で公式に用いられている『新共同訳聖書』である。なお、『新共同訳聖書』では、上記旧約聖書の第二正典の部分を、これを正典に含めないプロテスタントなど他教派へ配慮して「旧約聖書続編」という名称で掲載している。

活動編集

典礼・年間行事編集

 
ブラジルでのミサにおける教皇ベネディクト16世

カトリック教会の信仰生活の中心にあるのは、聖体祭儀のミサである。ミサの中で信者は聖体の秘跡を受ける(聖体拝領)。主日[19]と守るべき祝日にミサにあずかることは、信徒としての務めであるとされている。

ミサ以外の重要な典礼行為として、「聖務日課」があげられ、修道院などで必ず行われている。これは本来「時課の祈り」という意味で、一日の各時間を祈りをささげることで聖化することが目的である。日課の中で特に重要なのは、ラウズとヴェスパ(ヴェスペレ)と呼ばれる朝の祈りと晩の祈りである。これらに加えていくつかの祈りが一日の中で行われる(かつて九時課、六時課、三時課と呼ばれた)。それ以外に読書課という祈りもあり、そこでは祈りと共に、聖書朗読と聖人伝や古典的な著作が読まれる。聖務日課の中心となるのは旧約聖書の詩篇である。

現代のカトリック教会のミサの中では、主日日曜日[19])と教会祝日には、福音書朗読と福音以外の聖書朗読が二つの合わせて三つが朗読される。それ以外の平日のミサでは、福音書朗読と福音以外の聖書箇所の二つが朗読される。

秘跡編集

カトリック教会は伝統的に7つの秘跡サクラメント)を認めている。秘跡とは、神の恵みを実際にもたらす感覚的しるしで、イエス・キリストによって制定され、教会にゆだねられたものである[20]

数字は『カトリック教会のカテキズム』 (CCC) において説明がある箇所の項目番号を表すもので、詳細に関しては各項目の記述あるいは『カトリック教会のカテキズム』の該当箇所を参考のこと。

信徒の役割編集

神は全てのキリスト者に対して聖性に向かうようにとお呼びかけになった。聖性とは何にもまして神を愛し、神ゆえに人々を愛し、人々に仕えることである。聖パウロは、エフェソの初代のキリスト者(鍛冶屋や店主、家事従業員や料理人、労働者からなる人々など)に、神は「天地創造の前から、私たちを愛され、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと」(エフェソ1,4)、キリストにおいて私たちをお選びになったと保証している。第二バチカン公会議で、「どのような身分と地位にあっても、全てのキリスト者がキリスト教的生活の完成と完全な愛に至るように召されている」(バチカン公会議、『教会憲章』40)と述べられた。

この聖性への普遍的な召し出しの一部として、キリスト者は誰でも、人々に仕え、人々をキリストに近づけるために呼ばれている。 いわゆる「霊的」な仕事に従事している人たちばかりでなく、あらゆる真っ当な世の中の仕事と活動に従事している人たちが、キリストの教えを自らの模範と言葉で広げていくように呼ばれているのです。神はすべてのキリスト者が「教会の使命の証人、生きる道具となるよう」(『教会憲章』33)招いておられるのである。

「全ての信者は神の救いの計画がどんな時代にも、あらゆる国々のあらゆる人々にまで届くよう働くべき」(『教会憲章』33)であることを、全てのカトリック信者は知るべきである。「自分の毎日の活動を、神との一致の機会、御旨の到達の機会、人々への奉仕の機会、キリストにおける神との交わりに人々を導く機会と見なすよう」(『信徒の召命と使命』17)、神は信徒である男女をお呼びになっている。現代の聖人たちは信徒の信仰生活や使命に関しては次のように語っている:「あなたがキリストを尋ね、キリストに出会い、キリストを愛するように」(聖ホセマリア・エスクリバー『道』382)[22]。同様、 教皇ヨハネ・パウロ二世によると、「信徒は聖性への召し出しに気づき、何よりも拒むことのできない義務としてそれを生きなければ」ならない(『信徒の召命と使命』17)。

司教会議編集

地域の司教たちは定期的に会合を開いて、さまざまな問題について討議する。これを司教会議シノドス)という。シノドスでは典礼などの問題に関しては決議することが出来るが、特定の司教の処遇に関してなどの決議のためには、有資格司教の3分の2以上の同意と教皇庁の裁可が必要とされている。

現代では従来の聖職者至上主義の修正が図られていて、「神の民の教会論」により、すべての信徒がキリストの祭司職にあずかっていて教会の宣教活動、典礼活動、司牧活動を遂行する者であるとされている。この信徒の使命は「信徒使徒職」と呼ばれている[23]

公会議編集

カトリック教会では21の公会議に特別な権威を付与している。21の公会議とは年代順に、第1ニカイア公会議第1コンスタンティノポリス公会議エフェソ公会議カルケドン公会議第2コンスタンティノポリス公会議第3コンスタンティノポリス公会議第2ニカイア公会議第4コンスタンティノポリス公会議第1ラテラン公会議第2ラテラン公会議第3ラテラン公会議第4ラテラン公会議第1リヨン公会議第2リヨン公会議ヴィエンヌ公会議コンスタンツ公会議フィレンツェ公会議第5ラテラン公会議トリエント公会議第1バチカン公会議、そして第2バチカン公会議である。

公会議の位置付けはキリスト教各教派によって異なっており、東方正教会ギリシャ正教)では最初の7つの公会議のみを認めており、東方諸教会のうち非カルケドン派では最初の3つのみを認めている。さらにネストリウス派の諸教会(アッシリア東方教会など)は最初の2つしか認めていない。

特に第2バチカン公会議は、現代のカトリック教会の方向性を大きく変えた重要な公会議だったといえる。この公会議を機にカトリック教会は典礼の改革を行い、エキュメニズムの推進を目標に掲げた。カトリック教会は、この第2バチカン公会議において「本人の側に落ち度がないままに、キリストの福音と教会を知らずにいて、なおかつ、誠実な心を持って神を求め、良心の命令を通して認め られる神の意志を、恩恵の働きのもとに、行動をもって実践しようと努めている人は、永遠の救いに達することができる」という従来とは異なる見解を示した [24]

教義についての他教派との関係編集

カトリック教会では、1054年正教会との分裂や、それよりもはるかに古いエフェソ公会議カルケドン公会議における分裂であっても、実際に分裂の直接の原因となったのは、本質的なことではなく些細な教義論争であると捉えている。それをよく示すのは、1994年11月に発布された『キリスト理解におけるカトリック教会とアッシリア東方教会の共同宣言英語版[25]』である。これはカトリック教会の教皇ヨハネ・パウロ2世アッシリア東方教会総主教マル・ディンハ4世英語版の間で調印された。アッシリア東方教会とカトリック教会の分裂は、431年のエフェソ公会議で争われた「テオトコス論争」という聖母マリアの称号をめぐる論争が原因となっている。これは「神の母」と「キリストの母」という称号のどちらが正しいかということが論議となったものである。『共同宣言』では、「どちらの呼び方も同じ信仰を表明したものであり、両教会は互いの典礼と信心を尊重する」と述べている。

さらに難しいのは正教会との合同問題である。カトリック教会側では、カトリック教会と正教会が合同するためには、教義の問題よりも互いの伝統に関する問題が大きな障害となっていると考えている。たとえば、ローマ教皇の首位権をどう評価するかという問題や、互いの典礼や信心における差異をどう尊重しあうかという問題になっているとする。一方、正教会の側からは、対立はフィリオクェ問題という基本的教義の不一致にあり、首位権や不可謬権の問題もたんなる伝統の問題ではなく教義上の問題と捉えている(アメリカ正教会の研究版新約聖書では、一致の主な障害を、フィリオクエ問題と教皇不可謬権であると指摘している)。また東方側からは十字軍問題や東方布教などのカトリックからの姿勢に対する反発もある。カトリック教会で用いられる「教導権」という言葉は、信徒を教え導く権威のことを示している。この権威は神学者のものではなく、司教たちのものである。カトリックの理解では、人々がある教えを自分勝手に理解すると必ず矛盾や対立が生じることになると考える。ユダヤ人の教育において、指導者がトーラーを声に出して読みながら、覚えさせるという伝統があるが、これはヘブライ語の文章は母音が表記されていないため、さまざまな読み方が可能であったためだが、そこにおいては口伝が文章を確定させる。これがカトリック教会が聖書と同様に聖伝(聖なる伝承)を尊重することのたとえとして用いられる。

カトリック教会とプロテスタントの諸教会との間での教義的な差異は、東方教会よりさらに大きい。プロテスタントは、カトリック教会が使徒本来の教えをゆがめてきたと考えてきた。一方カトリック教会側は、2007年の「教会論のいくつかの側面に関する問いに対する回答」において「16世紀の宗教改革から生まれたキリスト教共同体(プロテスタント)は、使徒継承による司祭職の秘跡を欠くため、カトリックの教えによれば、固有の意味で『教会』と呼ぶことはできない」としている[26]

他方、エキュメニズム(教会合同運動)の進展が皆無というわけではなく、たとえば日本聖書協会によって1987年に刊行された『新共同訳聖書』は、日本におけるカトリック関係者とプロテスタント諸派の関係者らの共同作業によって翻訳され編集されたものである(ただし新共同訳聖書に日本正教会は参加していない)。また日本におけるカトリック教会では、2000年2月15日から日本聖公会と同じ「主の祈り」の日本語翻訳が使用されている[27]

「カトリック」の語源編集

語源編集

カトリック」の語源ギリシア語の「カトリケー (καθολική)(普遍的、世界的)」の形容詞「カトリコス(καθολικος)」に由来し、ラテン語では「カトリクス (Catholicus)」と表記される[28]。ただし「カトリック」(普遍的)を自認・自称するキリスト教の教派は他にもあり(後述)、「カトリック」の語彙は教派名にとどまらない概念を指すこともある。

教会の教えによれば、教会とは単なる人間的な組織ではなく、20世紀前にパレスティナで誕生した伝統を継続する人々の集まりでもなく、教会は、人間から成り立っているが、神から来るものである[29]

名称編集

東方教会正教会および東方諸教会)と区別するため、カトリック教会とプロテスタント教会を総称して西方教会と呼ぶ場合もある。その中で、最近はあまり見かけないが、日本語表記においてプロテスタント教会を「新教」とも呼ぶことがあるのに対してカトリック教会を「旧教」と呼ぶ例もあった。日本で出版された歴史の本などにも「旧教」という言葉が使われていたことがあるが、カトリック教会の側が「旧教」を自称したことはない。

別の名称としては、日本ではかつて天主公教会(てんしゅこうきょうかい)と称していた。これはかつて神のことを「天主」と呼んで教えていたためで、大浦天主堂浦上天主堂などの名称はこれに由来するものである。また「公教」の使用例としては「公教要理」「長崎公教神学校(現・長崎カトリック神学院)」などがあったが、現在ではほとんどない。

なお、日本語カソリックと表記されることもあるが、カトリックを現す、ギリシャ語のκαθολικοςのθとラテン語のCatholicusのthの部分の発音の表記の違い[30]でしかない。

現在ではカトリック中央協議会が公式表記としていないので、日本のカトリック教会側が「カソリック」という表記・呼称を使用することは通常はない。

「カトリック」という名称編集

 
キリスト教諸教派の成立の概略を表す樹形図。さらに細かい分類方法と経緯があり、この図はあくまで概略である。

1054年大シスマによる東西教会の分裂以前の教会で、ニカイア信条ニカイア・コンスタンティノポリス信条およびカルケドン信条を信仰する教会(アリウス派単性論の対義語という意味。正統教義ともいう)を指して「カトリック」と呼ぶこともある。この場合は現在のカトリック教会と正教会を含む。ただしこれはカトリック教会側の見方であって、正教会は東西教会分裂以前の教会を指して「正教会」と呼ぶ。

カトリック教会も東方正教会も、東西教会の分裂以前の教会の直接の正統な後継者を自認していること、そして「カトリック」(普遍性)も「オーソドックス」(正しい讃美)もいずれもが東西教会分裂以前の教会においても重要な概念であったためにいずれの見解も誤りではなく、自らの重視する概念に由来する教会名の方を過去の教会名にも当てはめるために、このような事象が必然的に生じている。

現在のカトリック教会・正教会のいずれもが自らの「カトリック」(普遍性)・「オーソドックス」(正しい讃美)を自覚しておりこの2つは排他的概念ではないことには注意が必要である。

日本におけるカトリック教会編集

カトリック教会での事件編集

2010年3月、ニューヨーク・タイムズが、ベネディクト16世自身が枢機卿在任時代に司祭の虐待事件をもみ消していたという疑惑を報じたことにつき教皇側が強く反発したことから、同年3月28日にはロンドンで教皇の退位を要求する抗議デモが行われた。

また、近年一部の聖職者が児童に対して性的虐待をしていた事実が判明し、カトリック教会の一大スキャンダルに発展している。

カトリック教会への批判編集

宗教改革以来、プロテスタントから、教皇の首位権・使徒継承性に対して「『聖書』の曲解、根拠なき伝承(聖伝)に基づくもの」と批判されている。同様にプロテスタントが『聖書』に根拠を持たないと主張する「秘跡」や「マリア崇敬聖人崇敬[31]」について批判を受ける。歴史的には、カトリック教会が封建領主として君臨したこと、マルティン・ルターによって、聖遺物崇敬・贖宥状(免罪符)発行を批判されたが、対抗改革によって中止された。一方、改革の中で原理主義的姿勢が強まって「禁書目録」の作成がなされたが、このような動きは学問の自由言論の自由を求める学者と衝突を招いた。

啓蒙主義者にとっては、カトリック教会による社会生活の支配は克服すべき課題であった。フランス革命ではマクシミリアン・ロベスピエールが宗教を廃止し、「理性」(あるいは、「最高存在」)に対する崇拝をそれまでの宗教に代わるものと位置付けた。このような過程を経て、カトリック教会は寛容政策に転換し、信徒や聖職者が他宗教の祭祀・儀式に列席することも認められるようになった。しかし、21世紀においても(プロテスタントの保守的な教会同様に)胎児も含めた、かけがえのない生命を尊重するという崇高な理念に基づき人工授精妊娠中絶避妊同性愛(ただし、同性愛的行為は禁じられるが、同性愛的性志向自体は否定されない)

ES細胞研究への反対姿勢は変えておらず、この点を批判されることがある(ただしこれらについては他教派やプロライフの関係者にも賛成する者がおり、賛成者とカトリック教会が連携することもある。一例としてマンハッタン宣言を参照)。「妊娠中絶の支持者には聖体の秘跡の授与を制限すべきだ」という教会関係者の発言が物議を醸しており、一種の"教条主義"とも揶揄されている[誰?]

なお、プロテスタントや聖公会の中には“教会内における女性の首位権”(女性聖職者または女性牧師)を認める教会もあるが、カトリック教会では女性は司祭に叙階されない。教義上、聖職者になれるのは男性信者に限られている。フェミニストはこれに対する批判を行う者もいるが、カトリック教会側はあくまでも教義に基づく制度であるから「女性蔑視」ではないと説明している。また、聖職者には世俗の権力は一切存在しないので「女性差別」とは言いがたい、との説明もあるが、国や地域、組織によっては、聖職者が世俗的な権力行使に関わったり、その言動が世俗の権力に大きな影響を及ぼす例もあり、至当とは言えない。また、かつては女性助祭や旧約時代の女性預言者も存在したこともあり、この制度が復活することがないとは言えない。

カトリック教会が影響した出来事編集

国教としての唯一神教関連編集

正統派信仰と異端信仰関連編集

バチカンの国家財政管理を行う組織である「宗教事業協会」のこと編集

  • 2013年5月22日、独立機関の聖座財務情報監視局は、2012年の金融取引において6件のマネーロンダリングの疑いがあると発表した。2013年6月28日には、現金4千万ユーロ(約52億円)を無申告でスイスからイタリアに運ぼうとしたとして、スカラーノ司祭がイタリア警察逮捕された。2013年7月1日には、幹部2人が辞任に追い込まれた事件があった。

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ 八木谷涼子 『なんでもわかるキリスト教大事典』p58 朝日新聞出版 ISBN 9784022617217
  2. ^ DOGMATIC CONSTITUTION ON THE CHURCH LUMEN GENTIUM The Holy See(バチカン公式サイト)
  3. ^ この場合は現在のカトリック教会と正教会を含む。
  4. ^ 教皇#地位と権威参照
  5. ^ 中世には「来世の裁き」の観念が発達し、最後の審判を描く図像には天国の場所に神が裁判官として座し、マリアや聖人たちが仲介者として周りを囲んでいた。(岩波キリスト教辞典P779)
  6. ^ マタイによる福音書の16:18-19の天国の鍵の記述の中で、ペテロが天国の管理人をするところの教会を、イエスは「自分の教会」と言ったという記述がある。岩波新約聖書2004年P131
  7. ^ 『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』175頁
  8. ^ 「東京大司教区に補佐司教任命」(2004年12月2日 カトリック中央協議会)
  9. ^ 『カトリック教会の教え』251-254頁
  10. ^ ANNUARIUM STATISTICUM ECCLESIAE: Published for 2000”. 2015年9月4日閲覧。
  11. ^ キリスト教#ニカイア・コンスタンティノポリス信条の全文参照
  12. ^ 中世には「来世の裁き」の観念が発達し、最後の審判を描く図像には天国の場所に神が裁判官として座し、マリアや聖人たちが仲介者として周りを囲んでいた。(岩波キリスト教辞典P779)
  13. ^ 神の母という信仰は、3世紀初めからアレクサンドリアの教父によって行われている。428年ネストリオスはキリストの母と呼ぶべきだとして、激しい論争がおこった。(岩波キリスト教辞典P767) 
  14. ^ なお、聖書が神の言葉として成立した経緯については旧約聖書#神の言葉として成立した聖書の歴史を参照
  15. ^ マタイによる福音書の16:18-19の箇所にのみ出てくる、ペテロはイエスより天国の管理人に任命されたとされる。。岩波新約聖書2004年P131
  16. ^ 教皇を参照
  17. ^ カトリック教会のカテキズム』194,195 (p65) ISBN 4877501010
  18. ^ これらの教義は1992年に『カトリック教会のカテキズム』(CCC) として教皇庁により編纂され、順次各国語に翻訳されている。これは、いわゆるローマ・カトリック教会だけでなく東方典礼カトリック教会の規範にもなっている。なお、イエズス会フランシスコ会などはローマ・カトリック教会の組織内部の修道会であり、教義(カテキズム)については同じであるため、「イエズス会派」「フランシスコ教団」などと呼んだりプロテスタントの各教派と同列に扱うのは誤りである。
  19. ^ a b 主日のミサは、日曜日だけでなく前日の土曜日の夜のミサも含む。
  20. ^ カトリック教会のカテキズムより。(『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』137頁、カトリック中央協議会 ISBN 978-4-87750-153-2
  21. ^ “結婚の神秘”. http://opusdei.org/ja-jp/document/kekkonno-shinpi/ 2018年4月6日閲覧。 
  22. ^ “オプス・デイへの召し出し”. http://opusdei.org/ja-jp/article/opusudeiheno-meshidashi/ 2018年4月6日閲覧。 
  23. ^ 『カトリック教会の教え』252頁
  24. ^ クリスチャン神父のQ&A - カトリック松原教会 2014年10月31日閲覧。
  25. ^ COMMON CHRISTOLOGICAL DECLARATION BETWEEN THE CATHOLIC CHURCH AND THE ASSYRIAN CHURCH OF THE EAST The Holy See(バチカン公式サイト)
  26. ^ 教会論のいくつかの側面に関する問いに対する回答(日本語訳) カトリック中央協議会
  27. ^ 日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳
  28. ^ 小高毅 よくわかるカトリック-その信仰と魅力 教文館 2002.15.May p.10
  29. ^ “教会への愛、教会における責任”. http://opusdei.org/ja-jp/article/kyoukaiheno-ai/ 2018年4月10日閲覧。 
  30. ^ 小高毅 よくわかるカトリック-その信仰と魅力 教文館 2002.15.May p.10
  31. ^ カトリック教会では、聖母マリアや諸聖人を神として敬っているわけではないため、「マリア崇拝」等と称するのは誤りである。
  32. ^ ガリレオは、ニコラウス・コペルニクスヨハネス・ケプラーアイザック・ニュートンと並び、科学革命の中心人物とされている。

関連文献編集

関連項目編集

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